渇望の対価 - 1 -
柔らかな風が吹き抜ける盆地。その中心に、王都は存在している。
王都の周りは高い石壁に囲まれ、その外側は幅二十メートル、深さ十メートルほどに掘られた水路が存在している。
この王都から出るためには、入り口の橋を渡るか、専用の水路を使って回りこむしか方法がない。
背中にかけた袋の重さを確かめながら、俺は橋を渡りきった後、王都の外観を見渡した。
辺りを見回すと、山々が遠くから俺を見下ろしている。新緑の津波が山を覆い尽くし、春はすでに通りすぎたのだとこちらに教えてくれている。
行き交う者たちは、馬車に乗って王都から出てくるもの、王都の橋の前で物品の交渉をしている商人たちも見受けられた。
俺も通常ならこの商人たちに混ざって珍しそうな骨董品を漁り、値段の交渉をするのだが、
あいにくそんな暇はない。
袋をもう一度肩にかけなおして、目的地を目指して歩き出す。
もしかしたら騎士たちが先行している可能性もあるため、念のためではあるが黒装束を準備した。後は、ミリアの捜索にどれほどかかるか分からないため二日分の食糧を袋の中に詰めてある。
脚力を強靭化させて目的地に行きたいところだが、なにしろ情報が足りない。それに魔法を使っているところを一般人に見られるわけにもいかなかった。
……まずは、エトワール大森林から帰ってくる人たちから情報収集するしかないか。
綺麗に整えられた街道を進みながら、俺はあの時のミリアの様子を思い出す。
結局、あいつはエトワール大森林に行くことを諦めきれなかったのだろうか。それならば俺に追加の約束事を強要すれば良かったのに、と違う苦労が増えたことに悩む。
騎士団の連中が探しているとなれば、とうとうミリアは王城から簡単に出られない状況になってしまったのではないだろうか。
あの時の約束を却下したせいで、エトワール大森林で王女が死んでしまった、なんて寝覚めの悪いことが起きないことを願う。
行き交う人々を観察しながら、大森林から帰ってきている目ぼしい人間を見つける。
すると、交易商か、ここでは見られないような服装をした黒いヒゲを生やした初老の男が、荷馬車に乗りながら王都を目指しているのを発見した。
その荷馬車の中にあるものを見つけて、俺は声をかける。
「ちょっといいか?」
荷馬車を止めて、初老の男は何か不思議そうにしていた。
「おや、旅人かな?私の売り物は骨董品が多いから、君に売れるものはなさそうなんだが……」
「いや、そうじゃない。少し聞きたいことがあるんだ」
「ふむ、情報が欲しいのかい?それなら、銀貨一枚でどうだい?」
……商人っていうのはどうして金になりそうなことを見つけるとこんなにも目を輝かせるのか……。
と思い、俺も同じ商人だということに気づく。
……お互い様だな。
俺はポケットから銀貨一枚を取り出してその男に渡した。男は満足そうに頷いて、次の言葉を待っている。
「人を探してる。ここら辺じゃ珍しい銀髪と銀の瞳を持った少女だ。心当たりはないか?」
そう言うと、男は驚いたように目を見開いた。
決まりが悪そうな顔をして、周囲を行き交う人々を見渡しながら、こちらに耳打ちする。
「君は王都の騎士じゃないのかい?」
「……騎士団の人間だったら、あんたに情報料なんて渡さないだろ」
それもそうだ、と男は快活に笑った。
「いや、実はね、今ちょうど、エトワール大森林にその女の子を送り届けたばっかりなんだよ」
「依頼されたのか?」
「金貨をあんなに貰っちゃ断ることもできなくてね。荷馬車に隠れて、王都の門を抜けたんだ。騎士たちには内緒にしてくれと言われたから、細心の注意を払っていたんだが……」
でも、と苦笑する。
「まさか、ピンポイントで私にそのことを訪ねてくるなんて、恐れいったよ」
「……まあ、いい目印があったからな」
俺は、荷馬車の後ろにあったものを拾い上げる。
汚れひとつない、純白の婦人帽子。それは、ミリアが被っていたものと同じだった。
この男が親切心溢れる人間だったから良かったものの、もし悪徳商人と取引していたら、奴隷として売り飛ばされていた可能性もある。
あの王女様は、その危険性に全然気づいていないみたいだが……。
なぜだかは分からないが、無性に腹が立ってきた。
「渡した情報料のお釣り代わりにもらってくぞ。その少女を送り届けたあとはどうしたんだ」
「……参ったねこりゃ。エトワール大森林の手前で降ろして、後はそれっきりだ。元気よく《星の樹》のある方へ向かっていったよ」
――――行動力があり過ぎるのがいけない。
「……ほう」
だいたい、昨日の城下町の視察で散々俺に迷惑をかけておいて、自分のワガママが通らないと分かったら結局一人で観光とはどういうことだ。
……自分でも何を言っているのか分からなくなってきたが、このイライラをあいつに向かって吐き出さないと気がすまないということだけは分かる。
不機嫌になった表情を見た商人の男は、また苦笑する。
「なんだ、あの子と喧嘩でもしたのかい?」
「喧嘩程度だったら、それほど楽なことはないと思うがな」
「……まあ、仲良くすることだね。あの子も何か思いつめてた様子だったよ。ずっと荷馬車の後ろで俯いていたしね」
「……貴重な情報を悪いな。じゃあ俺はこれで」
そうだ。一つや二つぐらいあいつに文句を言ったって何も問題ないだろう。
男は、やれやれといった表情で俺に頭を下げると、王都へと向かっていった。
ミリアは、エトワール大森林にいる。
荷馬車では、ここからおよそ一時間と少しといったところか。徒歩だともう少しかかるだろうが、その間にミリアがエトワール大森林から出てくる可能性もある。
……というか、エトワール大森林で観光した後、あいつはどうやって戻る予定なんだ。
まさかとは思うが、エトワール大森林でまた商人の荷馬車に潜り込むとか考えていたりはしないだろうか。
……しそうだ。すごくしそうだ。
「何も分かってない王女様は、どこまで人を心配させれば気が済むんだろうな……」
これは、あれだ。
説教だ。
王城の中で一体どんな教育をされたのかは分からないが、この際、外界の危険性を身にしみるまで教えておく必要がある。
俺はミリアに対する文句と説教の言葉を考えながら、エトワール大森林に続く道を歩き出した。