矛盾の剣 - 16 -
◇
瞼の裏に映る陽の光に、俺は目を開いた。
水が流れて濡れたような黒いシミが天井にこびりつき、窓は少しくすんでいて、俺はすぐにここが自分の家ではないことを知る。
―――路地裏に逃げ込んで……あの後どうなった?
記憶が曖昧だ。自分の体が冷えきっていく感覚が、嫌でも記憶に残っている。
何度が瞬きした後、固いベッドから起き上がった。
「……!」
痛みがない。脈打つような激痛が走っていた左腕が簡単に動かせる。それに、体中を蝕むような痛みも今は感じない。
誰かが治癒魔法を施したのか。だが、治癒魔法だけで全快するなど考えられない。
貧民街にいる婆さんだって、骨折を治すだけでも何十回も治癒魔法を施さねばならないと言っていた。
……一体、どうなっているんだ。
頭を掻いて、俺は窓の外を見渡した。
どうやら、この部屋は二階にある部屋のようで、下には見慣れた王都中央通りが北から南を貫いている。
そしてこの部屋が―――この家が誰のものなのか、俺はすぐに察することができた。
立ち上がって、近くにあった階段に足を進める。
踏みしめるたびにギシリ、としなった。それに気づいたのか、下の階にいた人物が、こちらへと振り向いてニヤリと笑った。
「おお、起きたか。どうだ、体は大丈夫か?」
「ディモン……」
カウンターの下で屈みながら品物の整理を行っているようで、東洋独特の置物や皿を箱の中にしまっていた。
「ま、体の方は大丈夫みたいだな。王都中心区で起きた爆発に巻き込まれたって聞いてびっくりしたんだぜ?」
「……俺をここに運んだのはお前だったのか」
「まぁそうなんだけどな。お前が爆発に巻き込まれて倒れてるから助けて欲しいって、突然王女様が店に来たんだよ」
「ミリアが?」
ということは、あのとき俺に謝っていた人物はミリアだったのか?
だが、あの出来事が現実だったのか夢だったのかも定かではない。
「あいつはどこだ?」
カウンター下の物品の整理が終わったのか、今度は店の奥にある木箱の中を探っている。
「ああ、王女様なら王城に帰るって言ってたぜ。昨日の騒動の隙をついて王城から抜け出してきたらしいから、すぐに戻らないと騎士団の連中に見つかっちまうってかなり急いでたけどな」
「そうか……」
ミリアに一応報告しておいた方がいいだろうとは思ったが、魔力の暴発による屋敷の崩壊が何者かの仕業だという噂が広がっているのは容易に想像できる。
そうなれば、王城の警戒も一層強固なものになっているだろう。
「で、昨日何があったんだよ?まさか、本当に爆発に巻き込まれただけ、なんていうんじゃねえだろうな?」
「そんなわけあるか。とんでもない目に遭って大変だったんだ……」
本当に、とんでもない目に遭った。俺は階段の一段目に座ってため息をつく。
まだ早朝のためか、ディモンの店の中は静かな雰囲気に包まれており、客が訪れる気配はない。
ディモンは物品の整理を続けながら、昨日起こった騒動の真実を聞いていた。
一通り俺の話を聞いたディモンは、唸り声を上げて首を撫でている。
「人造の《魔剣》なんて聞いたことねえなぁ。《魔剣》そのものが未知のマジックアイテムみたいなもんだし」
《魔剣》と『マジックアイテム』の違いは、魔力を内包しているか、していないかで決まる。
マジックアイテムは外気の魔力を吸収して、何らかの魔術的作用を引き起こす道具のことだ。
それに対して《魔剣》は魔力を内包しないのに、未知の現象を引き起こすモノの総称である。
『矛盾』というエネルギーを使用して謎の事象を発生させるマジックアイテム、というべきか。
「あの宰相の話を聞いた限りじゃ、他の場所でも《魔剣》の製造をしてるみたいだ。王都内でまだあんな実験をやってるなら、その実験場を全部潰すべきだろうな」
「……っていうか、それヤバくねえか?裏を返せば、王都中に猛毒の格納庫が存在するってことだろ?」
「ああ……もし汚染が漏出すれば、王都の人間たちが死ぬ可能性もある」
ディモンの言うとおりだ。高濃度の魔力に耐性のない人間は、飽和した魔力に体を破壊されて絶命するだろう。
―――この実験場は破棄するしかあるまい。
あのとき、あの男はそう言っていた。
高濃度の魔力という猛毒を格納した蔵が、王都にまだ存在していることを示唆している。
「おいアルト……。あのとき捕まえた宰相が偽物なら、そいつは今どうなってんだ?」
「そのことについてミリアに確認したいと思ったんだが……あいつは王城から抜け出せる状況じゃないか」
本当に、タイミングが悪い……。
ミリアに確認しなければいけないことがたくさんある。報告すべきこともだ。
ディモンは眉間に皺を寄せて考え込んでいる。
「そもそも、本物の宰相はなんでその屋敷にいたんだ?他の場所で《人造魔剣》を―――勝手に言葉を作っちまうけどな、他の場所でも《人造魔剣》の実験をしてるんなら、そもそもお前と鉢合わせする可能性は低いはずなのによ」
「……確かに。わざわざあの実験場に来た意味が分からない」
……なぜだ?
仮定として、《人造魔剣》が完成しているかを確認しに来たと考えるとして、《魔剣》は他の骨董品と紛れてしまう。見極める方法もない。
と、俺はあの時の宰相の様子を思い出した。
「……影響を受けてなかった」
「なんだと?」
「あの男、『魔力汚染』の影響を受けてなかった。俺でさえも膝をつく『魔力汚染』の空間の中で、顔色変えずに突っ立ってたんだ」
「『魔力汚染』に対して、完全な抵抗力を持ってるってか?あり得ないだろそんな奴。汚染はどんな存在にも悪影響がある。例外なんて存在しねぇ」
「ああ……だけど……」
あの男は、何も感じていないように、涼しい顔で俺を見下ろしていたのだ。
『魔力汚染』の影響を受けない体など、聞いたことがない。
「……まあ、つまらねぇこと考えてても何も解決しないな。お前は素直に体を休ませろよ」
「……」
休め、とは言われても、体はこれ以上ないほどに全快なのだが……。
イリーガルが多すぎる。理解の及ぶ範囲の話ではない。
「昨日だって、王女様に町案内してたんだろ?お前も律儀だよなー」
「……こっちの秘密が握られている以上、ミリアの頼み事を聞かなけりゃ俺の盗賊家業も終わりだろ……それに―――」
……ん?
「お前……なんで俺とミリアが城下町を歩きまわってたこと知ってるんだ」
物品整理中に、は?とでも言いたげにディモンはこちらを向いて片眉を釣り上げたが、自分の失言に気づいたのか視線を彷徨わせている。
「あ、あれ?お前、あいつから聞いてたんじゃなかったのか?」
「なんだあいつって。誰のことだ」
「……なんだよ……全部バレたって聞いてたのに全然大丈夫じゃねえか……」
失敗?なにをだ?
と、思考を張り巡らせて、ある一人の人物が頭の中に浮かび上がる。
貧民街から出ようと、路地裏の通路を進んでいたときに追い払った、あの男。
てっきり政略結婚を狙う貴族の仕業かと思ったが、真実は実にくだらないことだったようだ。
「ほう……」
俺は冷や汗を掻きまくるディモンにゆっくりと近づいて襟首を掴んだ。
「ミリアを監視してたのはお前だったのか。なるほどな……」
「ま、待て待て!あくまでも保険だったんだよ!」
「保険?お前がそんな変態だとは思わなかったよ。そうだよなぁ?俺の家の鍵も渡しやがったしな?見目麗しい王女様にうつつを抜かしても仕方ないよな?」
「い、いいかよく聞け!理由を今から説明するから!な?な?」
慌てふためくディモンに、俺は疑いの眼差しをやめない。
王女が美人なのは認めるが、骨抜きになる様を見るのは流石にドン引きする。
「お、お前の鍵を王女様に譲ったのはな……えーと……ちょっと待ってろよ」
俺の追求から逃れるように、ディモンはあわあわとしながら、店の奥にあった金庫から、何か袋のようなものを取り出した。
「ほれ、これだ。中身を見てみろよ?」
「なんだよ……」
渡された袋はズッシリと重く、ジャラジャラと音がする。自分の手のひらでは包めないほど、何かが大量に入っているようだ。
呆れながら、俺はその袋の中を覗く。
「!!?」
「分かったか。これが王女様にお前ん家の鍵を渡した理由だよ」
袋の中には、純金の破片が大量に詰められていた。黄金の輝きが目に眩しく、価値からすればおそらく………。
「それを昨日の朝、王女様が持ってきた。ぜひ貧民街の支援に使って下さいってな。俺の店じゃ換金できる量じゃねえから、どうしようか迷っててな」
(盗んだ金品はどうやって他の人に明け渡しているんですか?)
あの時の俺の返答を、ミリアはちゃんと理解していたのか。
「ミ、ミリアが……?いや、でもこんな……」
貧民街を支援する、どころの量ではない。これだけあれば、貧民街に住む全員の食生活は十分改善されるだろう。
「商人はギブアンドテイクだ。タダなものほど怖いものはないから、俺に一番リスクが発生するお前の家の鍵を対価として、王女様に渡したってわけだ。信頼の証としてもな。まぁ、王女様もお前の健康状態を気にしてたみたいだったから、丁度良かったのかもしれねぇが」
「……」
……ディモンは、商人としてミリアを信頼したということか。
「い、いや待て。こんな大金をミリアが?王城からどうやってこれを持ちだしたんだ。普通ならこんなもの、王城の宝物庫に格納されてるだろ?」
「だからこそ、だろ、アルト」
ディモンの低い声が俺に向けられる。そこから覗いたディモンの目は、普段おちゃらけた雰囲気の目つきではない。
「だからこそ、俺はあの嬢ちゃんを信じたんだよ。もし王に見つかれば、問答無用で処刑される。あの嬢ちゃんは、自分の命を賭けてまで、これを持ってきたんだ。命に勝る商品は、俺は用意できないんでな。だから俺は、自分の首を締める対価をあの嬢ちゃんに払うしか出来なかったんだよ」
ディモンの言葉が、自分の心の奥深い部分に突き刺さった。
「お前、どこまであの嬢ちゃんを疑うつもりだ。あの嬢ちゃんは、最初から命を賭けていた。宰相の悪事を暴くのも、俺たちに加担することもな」
―――ミリアを最後まで疑わなければいけない?
―――義賊として、他人を疑うことをやめてはいけない?
何を馬鹿な。
宰相の悪事を暴こうとしたその時から、あいつは王族から罪人になるかもしれない綱渡りをしていた。
義賊の俺に加担したことを知られれば、あいつの首は鋼鉄の刃にかけられることになる。
……最初からずっと、自分の命を賭けていたんだ。
「ここまで言えば、なんで俺があの嬢ちゃんの監視を依頼したのか、分かるよな?」
「……ああ」
命を賭けた対価を、ディモンは全て支払えないといった。
ならば、その対価を守り通すしか方法がない。
ディモンは、あの王女の命を守るために、監視役を配置したのだ。
絶対に死なせないために。
―――何をやっているんだ、俺は。
地面に向けた視線のまま、項垂れるしかなかった。
灰色の石の地面が、やけに物寂しく思えた。
(ミリアさんを大切にしなきゃダメだよ、アル兄)
エルナにあの時言われた言葉が、脳内に響く。
肯定しながらも、俺は結局、ミリアを邪魔者としか扱っていなかった。
俺に向けられた言葉全てを、切り捨てていたのか。
と、頭に感じた温もりに、俺は顔を上げた。
ディモンは苦笑しながら、俺の頭に手を置いている。
「まぁ、お前は盗賊として生きることしかできなかったから、仕方ねぇっちゃあ仕方ねぇな。だけどな、本当に信頼できる人物を見極める目は、持っておかなきゃダメだ」
ディモンの眼差しは、普段見るディモンとはかけ離れたものだった。まるで、自分の弟に語りかけるような、優しい眼差しだった。
「独りに慣れるんじゃねぇぞ、アルト。絶対に、慣れんなよ」
こみ上げる空虚感と心痛に、俺はただ頷くことしか出来なかった。
それを見たディモンはまた苦笑した。
「よっし!じゃあ在庫の整理手伝ってくれや。ちょっと仕入れすぎてな、人手が足りなかったんだ」
「……了解だ。手伝いの奴はまだ来てないのか?」
「お前が二階を陣取ってたし、ボロボロの黒装束姿を見せるわけにゃいかねえだろ。今日は俺だけ―――」
コンコン、と。
音のした方向に目を向けると、商店の外に、鎧を装備した2人の人物が立っているのが分かった。
俺はディモンと顔を見合わせる。
「はいよー開いてますよー」
一体何だ、と首をかしげながらも、ディモンは入店を促す。
そして、入ってきた二人組の男女に俺は硬直する。
一人は、濃紺の髪をショートカットにした、見た目十代後半の少女だ。同い年そうに見えるが、その風格は少女のそれではなかった。鋭い眼光がこちらに注がれており、騎士になって数年といったところだろうか。腰に差したレイピアは自分の身長に合わせた特注製か。
動きやすいように軽いアイアンプレートの胸当てを装備している童顔の少女は、その風貌で実力を侮っていけないことを物語っている。
第一、その歳で副騎士団長を務めていることが、なによりの証拠だ。
そしてもう一人。
くすんだ金髪に、どこか優しさを醸し出す、金に輝く瞳。いつでも戦闘に入れるように、重厚なヘビーアーマーを身に纏っている。
間違いない。俺が宰相の屋敷で激闘を繰り広げ勝利した、あの騎士団長だ。
「朝早くに申し訳ありません。クライスラ騎士団、副団長のリース・フェンデと申します」
「同じく、クライスラ騎士団、団長、ヘリク・フォーゲルだ。突然の来訪で申し訳ない」
「ああ、お気になさらず。いつもならもう開いてる時間なんですけどね、手伝いの男が風邪を引いて休みまして、在庫整理が追いつかないんですよ」
へらへらと笑うディモンに、俺は冷や汗をかくことしかできなかった。
もしかしたら、俺たちの正体がバレてしまったのかもしれないのだから。
「それで、団長様と副団長様が、どうして私めの店に?」
「ああ、そのまま在庫整理を続けてもらって構わない。世間話程度に聞いてもらえればいい」
「はぁ、では失礼して……」
「実は、ある人物を探しているのです。目撃情報などがあれば教えて頂きたいのですが、よろしいですか?」
ディモンに紛れるように、俺もまたディモンの在庫整理を手伝う。カウンターの向こうにいる騎士二人は、店にある商品に目を向けながらも言葉を続けた。
「見た目は十代半ば、銀の髪に銀の瞳を持つ、誰もが振り向くような容姿を持つ少女です。心当たりはありませんか?」
それを聞いて、俺はさらに嫌な汗が背筋を伝った。
銀の髪と銀の瞳を持つ少女など、この地域では珍しい。俺の黒髪もこの地域では珍しい方だが、銀の髪を持つものなど、殆どいないと言っていいだろう。
間違いなく、ミリアのことだ。
「いやーそんな女の子がいたら、すぐにでもこの店の看板娘になってもらいたいものですよ。銀髪なんて、私が生きてきた人生の中で二、三人ぐらいですし」
愛想をふりまくディモンに、俺は終始、冷や汗をかきっぱなしだ。
「……その少女が、一体どうしたんだ?」
俺は恐る恐る、騎士の二人に尋ねてみる。
「実は―――」
「申し訳ないが、口外できない。少々混み合った事情があるんだ」
騎士団長の言葉に、副騎士団長の少女は口をつぐむ。
「……」
「あなたは何か知りませんか?」
睨みつけるように俺に質問する少女に、俺は心の中で肩をすくめる。
「もしそんな女性がいたら、すぐにでも声をかけるね」
どうやら俺たちを捕まえに来た、というわけではないようだ。しかし、ミリアを探しているこの二人は一体何を考えているのか。
……いや、というより、ミリアの行方が知れない、のか?
「やはり、中央通りは通っていないのでしょうか。もしかしたら、貧民街の方に―――」
「そちらの方は別の騎士たちに任せてある。……王都の外に出た可能性もあるな。もう少し捜索範囲を―――」
小さな声で話す二人に、俺を耳を傾ける。
ディモンが先程言った通りなら、ミリアは王城の自室にいるはずだ。
「【漆黒の風】に誘拐された可能性も考慮にいれては―――」
「……いや、あの義賊の可能性は低いだろう。仕方ない、次は―――」
と、一通り話し合いが終わったのか、騎士団長たちはこちらへ向き直る。
「失礼いたしました。私たちはこれで……」
綺麗にお辞儀をした少女は、そのまま扉に手をかける。
「何も買わずに申し訳ない。在庫管理も大変だと思うが、頑張って欲しい」
「いえいえ、こちらこそどうも。その女の子、見つかることを祈ってますよ」
丁寧にお辞儀をして、店から出て行った二人の背中を注意深く見つめた。
完全に扉が閉まったのを確認して、数十秒後、無言の空間を引き裂くように、俺は口を開く。
「どう思う?」
「さぁてな。あの王女様はなかなかに神出鬼没だから、王都のどこかをまわってるんじゃねえか?」
確かに、その可能性もあるか。
何しろ、騎士と衛兵に見つからずに王城を脱出する方法を知っている少女だ。そう簡単に見つかるはずがない。
が、どうも引っかかる。別の騎士たちもミリアを捜索しているということは、探し始めてからかなり経っている、ということではないか?
王都を見回る衛兵もかなりのものだ。そこから逃げることなど、本当にできるのだろうか。
……まさか。
「あいつ……」
ため息をつきそうになって、額に手を置く。手に持った東洋独特の皿を木箱にしまい込んで、俺は立ち上がった。
「ディモン…悪い、急用だ。黒装束は―――」
「あのボロボロの黒装束は捨てちまったから、新しいヤツはそこな」
ディモンが指を差した先は、脇に置いてあるタンスだった。
「で、王女様の行き先に心当たりでも?」
「ありまくって嫌な予感がするんだよ……。さっさと行ってくる」
「帰ってきたら何か奢ってやるよ。あの嬢ちゃんもな」
おそらく、帰ってきてもそんな暇なんてなさそうだが……その心だけありがたく受け取っておこう。
さて、王都から徒歩で何時間かかったか。
王都の外に出るのは久しぶりだ。