矛盾の剣 - 15 -
はたから見れば温厚そうな顔をしているが、その腹の中で何を考えているか分からない。
「【漆黒の風】、君には感謝しなければなるまい。君が私の悪事をものの見事に暴いてくれたおかげで、自由に動き回れるようになったのだからね」
「どういう意味だッ……!俺の質問に答えろ!お前は今、牢の中にいるはずだ!」
「やれやれ、『魔力汚染』の中心にいるというのに、随分元気な盗賊だ」
クライス宰相はそう言うと、俺の真横を通りすぎて水晶が置かれている部屋の中に入った。
「君はあの騒動で捕まった男が、本当の私だと思っているのかね?もし私ならば、他の貴族との契約文書など早々に破り捨てて、協力関係にあった貴族を暗殺するがね」
「……ッ!!」
俺があのときあった宰相とは違う、確かな威圧感。
コイツが本物の……宰相だと?
コツリ、と、床を踏む靴の足音が大広間に響き渡った。
なぜ、宰相は『魔力汚染』が発生しているこの場所で平然としていられる?
あまりの閉塞感に、油断すると意識を持っていかれそうなのに。手足も痺れ始め、ナイフを上手く握れそうにない。外気に存在する魔力が多いこの室内で、魔法を唱えでもしたら、励起状態に遷移した魔力が暴発を起こす可能性がある。
俺はたまらず、床に膝をついた。
「……ああ、なるほど。ここを探り当てたのも、ミリア王女のおかげかね?あの少女にも気づかれぬよう、魔力の漏出を防いでいたのだが……結界が不完全で漏れ出してしまったかな?」
ふむ、と落ち着いた態度で話す宰相に、俺の苛立ちは高まった。
「お前がこの『魔力汚染』を引き起こしたのか!?なぜこんなことをする必要がある!王都中心区にこの汚染が広がれば、どれだけの被害が出ると思ってるんだ!」
「なぜこんなことを、とは、愚問だな。君はこの部屋の中を確認していないようだね」
宰相はそう言うと、大広間の壁に近づいた。
―――いや、普通の壁ではない。半透明なガラスのような―――濁りの混じった壁だ。
その向こうに目をやって、俺は驚愕した。
その先にあるのは、武具と骨董品の倉庫だ。剣や鎧、ペンダントなどのアクセサリーが棚に置かれている。
しかも、その数もどれほどあるかわからない。大広間と同様の広さを持っているとしたら、その数はゆうに五百本を超えているだろう。
大量の武器防具。まさかあれは―――。
「【漆黒の風】、魔力とはね、この世ならざる未知の力だ。あらゆる自然現象を具現化させ、傷を治癒し、身体能力を活性化させる。だからこそ私は思うのだよ。魔力とは、『矛盾』を生み出すのに好都合の力だとね」
「………!!」
……なんだ。
それは、つまり。
「《魔剣》を人為的に生みそうと……しているのか!?」
「理解が早くて嬉しいな、【漆黒の風】」
《魔剣》の人為的な生成など聞いたことがない。《魔剣》そのものの出処も不明なのだ。いつ《魔剣》が生まれ、なぜこの世界に存在するのかも分かっていない。
口元を綻ばせる宰相、だがその笑顔は優しさを内包していなかった。
「いや、【漆黒の風】と呼ぶのは間違っているかね?アルト・ゼノヴェルト、かの『幻狼』の忘れ形見」
「!!」
こいつ……俺のことを……!!!
「ああ、すまない。君のことはすでに調べさせてもらった。商人として王城に来たときから、不審に思っていてね。ゼノヴェルト、という姓はかつて聞いたことがあったのだ」
宰相はそう言うと、床に片膝を付いていた俺に近づいてくる。
「だが好都合だった。君に聞きたいことがある」
「なん……だと?」
優しそうに微笑む男の目の奥、その色が、黒に染まった気がした。
「『幻狼』の持っていた《魔剣》、【砂上の傷跡】の在り処を知っているかね?」
心臓が跳ねた。
目を動かさずに、俺は腰に指している短剣に意識を向ける。
なぜ、この魔剣を探している?
俺は精一杯の気力を振り絞りながら、ニヒルに笑った。
「たとえ知っていたとして、俺がお前にそれを教えるとでも?」
視線を向け続ける宰相に、冷や汗が流れ出る。なぜこの《魔剣》を必要とする?
宰相は声を押し殺すようにくつくつと嗤った。
「……まあいい。【影写しの大鏡】は手に入れた。わざわざ探す必要もないだろう」
―――【影写しの大鏡】。その《魔剣》の名を、俺は聞いた。
あいつに。悲しそうにうなだれたあの少女から。
―――君が私の悪事をものの見事に暴いてくれたおかげで、自由に動き回れるようになったのだからな。
宰相は確かにそう言った。
その言葉の意味は。
骨董品を盗んだのも、城下町に広がる盗難事件も、全て―――。
俺はあまりの屈辱に唇を噛み締めた。
俺は宰相の悪事を暴いたのではない。暴かされたのだ。
あの倉庫内にあった偽造金貨。まさか……
「全て計画通りだったとでもいうのか……!あの偽造金貨も、ミリアが宰相の悪事を知ることも全部……!!」
宰相は、口角を釣り上げる。
「偽造した金貨をいとも簡単に見つけ出した【漆黒の風】には恐れいったよ。全て私の予想通りの結果となった」
筋肉が硬直する。『魔力汚染』による弊害が、肉体を侵し始めている。
「……さて、ここを知られてしまっては仕方ないな。この実験場は破棄するしかあるまい」
俺の横を再び通り過ぎ、大広間から立ち去ろうとしている。
なぜだ。なぜ俺を殺そうとしない。
コツリ、コツリと響く足音が不意に止まった。宰相は俺に背を向け、そのまま口を開いた。
「【漆黒の風】アルト・ゼノヴェルト。私に協力してはくれないか?そうすれば、貧民街の皆を助けてやろう。貧民の全てを支援できる金ならすぐに提供できる。君がいてくれたら、私の仕事も楽になるのでね」
抑揚のない、機械じみた声音だった。
……宰相に協力をすれば、貧民街の皆を助けることが出来る?
俺は、力なく笑った。
「クソ喰らえだッ!!!!」
それを聞いた宰相は、ニヤリと微笑んだ。
「そうか残念だ、【漆黒の風】。せめて安らかに、『幻狼』のもとへ逝くがいい」
大広間の扉が、閉まる。
「クライスッッッ!!!!」
なんとか力を振り絞って叫んだ声はしかし、大広間の壁に反響して、消え失せた。
その瞬間だった。ドゴンッ!と何かの地鳴りが床から響く。
ミシリ、ミシリと屋敷が嫌な音を立てた刹那、水晶が配置されていた広間の中心が、瞬時に崩れ去った。
大広間にあった水晶が、その穴に吸い込まれていく。
―――ゴリ、ゴリ、と、硬い岩石を潰すような音。
その下から、巨大な何かが赤い眼光を瞬かせて登ってくる。
―――否、立ち上がろうとしている。
その正体に、俺は顔を青ざめるしかなかった。
「鋼鉄人形……だと……ッ!!?」
無数の岩石と鉄が混じりあって、巨大な人型を作り出している。その頭だろう二つの空洞に宿る赤い光が、俺を注視していた。
『魔力汚染』による、『魔物』の発生だ。無機物が汚染されて、あらゆるものを破壊し尽くす殺戮の魔物へ形を変えた。
『魔力汚染』によって体が言うことを効かないのだ。これ以上の絶望的な状況があるものか。
自分の体内にある魔力を、魔法に励起させるだけでも命の危機に瀕するかもしれない。
が、この状況ではそうも言っていられない。
冷や汗が止まらない。手足の痺れもあったが、水晶がゴーレムに吸収されてから、『魔力汚染』が軽度になった気がした。先ほどよりはよっぽどマシか。
「チッ……!!『迅風よ―――」
迫り来るゴーレムに向けて魔法を詠唱しようとして、ミリアから言われた言葉を思い出して一瞬躊躇った。
確かに、詠唱を短縮して魔法を発動すれば、多くの魔力を消費してしまうが……。
「『迅風よ!唸り狂えッ!!』」
ミリアには悪いが、こんな状況で長時間の魔法詠唱を行うなど自殺行為に等しい。
生成された鎌鼬が、迫るゴーレムの腕に傷跡を残すが、ダメージを負った気配はない。
強固な鉄と岩石に身を包んでいるゴーレムは、あらゆる攻撃を無効化する。魔法に関しても、補助的な役目が多い風系統の魔法は、ゴーレムに十分なダメージを与えることは不可能だ。
振り下ろされるゴーレムの腕からなんとか離れるも、飛び散った木片が俺の体を打ち付ける。
「ぐっ……!!」
オオオオオォオォォオォ………ッ!!
デタラメに巨大な両腕を振りまくり、周囲の水晶を取り込みながら、壁と柱を粉々に粉砕していく。
「『聖風は我が身を守るッ!』」
発動した防護魔法により、飛び散る石片と木片が風の鎧によって弾かれた。
―――このまま屋敷を出るか?
……いや、それではダメだ。『魔力汚染』の元となっていた水晶はゴーレムを動かす動力に変換され、汚染の状態は緩和されたが、それでもまだ一般人が耐えられる状態ではないだろう。
クライス宰相が言っていたように、この屋敷は無数の呪符によって結界が構築され、魔力の漏出を防いでいる。
俺がもしこの屋敷から逃げれば、このゴーレムに全てを破壊され、王都中心区に『魔力汚染』が拡散する。
王都を守る方法はただ一つ。このゴーレムを、魔法的な結界が維持されている間に倒すしかない。
だが、ゴーレムの弱点はその鋼鉄の更に奥深くに存在する『核』だ。その核を攻撃しないかぎり、この魔物を倒す術はない。
俺は、穴の空いた床から距離を取り、装束に隠してある道具を確認する。
宰相の屋敷に忍び込んだときに、持参した道具が有り余っていた。あのときは騎士たちに手こずると思っていたのだが、ミリアの誘導のおかげでほとんどその道具を使用されることはなかったのだ。
……とはいえ、手持ちにあるのは煙幕弾五つにナイフ、あとは壁を破壊するための少量の火薬か。
オオオオオオオォォォオオォオオォォ……ッ!!
高い鈴の音のような咆哮が空間に木霊する。と、ゴーレムの両目が、辺りの水晶の光を吸収するように光りだす。
……冗談ではない。
ゴーレムの目から逃れるように、全速力で走り出す。
俺が飛散した瓦礫の後ろに隠れたのと同時に、ゴーレムは目に溜め込んだ魔力のエネルギーを解き放った。
雷が落ちたような、尋常ではない爆音。そして木っ端微塵に吹き飛ぶゴーレムの周囲の瓦礫。
「ぐっ……がっ……ッ…!!」
あまりの衝撃に、俺は瓦礫もろとも吹き飛んだ。風の鎧はその効力を失い、その次に、体に走った衝撃に肺の中の空気が一気に吐き出される。
くらくらと回る視界に、なんとか頭を振りながら立ち上がり、ゴーレムを見据えた。
「ふ、ざけるなよ……っ!」
あれがゴーレムの魔力励起の攻撃か…ッ!
親父に教えてもらったことはあったが、あんなものをまともにくらえば、一瞬で体が吹き飛ぶ。
「くそっ……!何か……方法は……」
荒い息を何度も吐き出しながら、俺は口の中に広がる鉄の味に顔をしかめた。背中には先程壁に激突した痛みが走っているが、激しい痛みではない。口の中でも切ったのだろうか。
ゴーレムはこちらを見据えながら、赤い眼光をこちらに向けて無遠慮に両腕を振り回している。
風特性の魔法では、ゴーレムにダメージを与えることが出来ない。火薬を使って爆発を引き起こし、ゴーレムの鋼鉄の鎧を剥ぐか?
……いや、不可能だ。こんなに少量の火薬では、あの鎧に傷一つつけることなど出来ないだろう。
どうする?どうすればいい?
ゴーレムを見据えながら、俺は何かないか視線を動かし続けた。
そして、見つける。
ゴーレムに吸収されていない魔力の蓄積された巨大な水晶。
―――使えるか……!
魔力を両足に伝播させ、脚力を向上。ナイフを片手に、圧倒的な速度でゴーレムに接近する。
オォオォォォォオォオオオオオッッッ!!!
「くっ……!!!」
様々な向きに振られる両腕の間をくぐり抜け、俺はゴーレムの後ろにあった水晶の前にたどり着いた。
瞬時に両腕に筋力強化を施し、水晶を持ち上げる。
オオォォオォオォオォオォオッ!!!!
高い音で叫び続けるゴーレムに、全力で投げつけた。
バキンッ!と水晶がひび割れるような音が聞こえたが、問題ない。ゴーレムは今、接触した莫大な魔力を放出する水晶を取り込もうと鎧を押し広げ、核を表に出そうとしている。
……一撃で、屠ってやるッ!
ナイフを取り出して、その刀身に俺の魔力を極限まで付加。
水晶を取り込もうと、ゴーレムはそのままもがいている。
魔力を蓄積したナイフを振りかぶり、放り投げる。と同時に、俺はゴーレムに背を向けて大広間の出口目指して駆け抜けた。
水晶に存在する膨大な魔力。そして、俺がナイフに込めた、励起状態にある魔力。それが接触したらどうなるか。
答えは、簡単だった。
神速の如き速さで、ナイフが水晶に触れる直前に大広間から脱出する。
その刹那。
この世のものとは思えない爆発音が、屋敷全体に響き渡った。圧倒的な破壊をもたらした魔力の大暴発は、入り口付近にいた俺に衝撃波を叩きつけながら、屋敷全体に拡散、あまりの衝撃に、屋敷全体が崩落を開始する。
「かっ…は……ッ!!!」
屋敷の外にまるで人形のように放り出され、地面に体を叩きつけられながら激痛に顔をしかめた。目の前がチカチカと光り、頭の中で火花が飛び散る。
一瞬、意識をなくしたように思えたが、俺をすぐにその場から立ち上がった。
「くっ……」
左腕に激痛が走る。地面に叩きつけられたときに骨折でもしたのかもしれない。
屋敷に目を移すと、先程の大爆発により屋敷が半壊、ゴーレムがいたであろう大広間付近は、猛獣に食われたかのように円形に木っ端微塵になっていた。
ゴーレムが水晶を自分の動力に変換してくれたおかげか、もしくは魔力暴発により膨大な魔力が消費されたおかげか、『魔力汚染』は沈静化しているようだ。
しかし、こんな大爆発が起きたからには、衛兵たちも気づいてしまっただろう。
その証拠に、人の戸惑う声が遠くから聞こえている。
俺は激痛の走る左腕を抑えながら、路地裏へと駆け出した。王都中心区から自分の家まで、およそ二十分弱といったところだろうか。とにかく、衛兵たちに見つかる前にこの場から離れなければ。
路地裏の壁に手をつきながら、俺は歩き出す。
それにしても、あの男、あんな実験場を作ってまで、何をしようとしている?
人為的な《魔剣》の製造。俺の持っている《魔剣》を欲しがっていた。
王城にあった《魔剣》を盗んだことも話してくれたのは、俺がゴーレムとの戦闘によって死ぬと確信していたからだろうが……アイツの思い通りにさせてたまるか。
ひどく疲れた。早く家に帰って、左腕の応急処置をしなければならない。
と、何か、視界がひどくぐらついた気がした。
そしてそのまま前のめりに倒れる。
「……っ…やばいなこれは……」
倒壊する屋敷の音が遠くなっていく。頬に触れる地面の感触さえも、感じなくなっていた。
だめだ、眠るな。ここから逃げなければ。衛兵に見つかる前に……早く……
誰かが、すすり泣くような声が聞こえた。
夢のなかを彷徨うように、ふわふわした感覚が体全体を包んでいく。
「………―――さい……」
誰だ。
手に触れる何かの温かさが心地良い。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……っ……!」
何度も謝罪の言葉を口にしながら、誰かが泣いている。
そこにいるのは……誰だ?
薄く開けた目の先で、誰かが俺の手を握りながら、謝り続けている。
声をかけようにも、目を覚ますにはあまりにも眠すぎた。
自分の意識が、暗闇の底に沈んでいく感覚。
俺はまた、そこで意識を手放した。




