矛盾の剣 - 12 -
大聖堂の大広間へ戻ると、悲しみのこもった顔で項垂れる者たちの陰鬱とした空気が体にのしかかった。
俺が戻ってきたことに気づいて、リーザ婆さんたちがこちらに心配そうな顔を向ける。
いったいどうなったんだ?と言いたくて堪らないらしい。
「ミリアのおかげで症状が回復した。もう心配ない」
「ほ、本当っ!?」
リーザ婆さんの傍らにいた少女の兄が、一目散に少女のいる部屋へと向かっていった。
婆さんは信じられないとでもいうように、ポカンとした表情で俺を見据えている。
「こうしちゃいられねぇ!スープかなんか作って栄養取らせないとな!」
「わ、私も手伝う!干し肉とかあったかな……」
「貧民街の他の連中にバレないようにしないと……食糧調達はおれも手伝う!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てまくりながらそこら中へ散っていった。
婆さんはううむ……と一瞬思案する。
「あの子は何者なんだい」
飛んできた質問は、俺の予想通りだった。
「私の見るかぎりでは、あの子が回復する見込みなんてなかった。なのに、この短時間で容態が安定するなぞ、人の技じゃあないよ」
リーザ婆さんの言うことはもっともだ。
婆さんは昔、戦争の最前線の医療班に含まれていたという。
いくつもの怪我や病を見て、そちらの知識は常人のそれを超えている。
婆さんがダメだというなら、ダメなのだ。
「他人のことなんて分かるわけない。あいつはただのお転婆で頑固な自由人、それだけだ」
それだけしか言えなかった。
ミリアは王女である。ただそれだけの情報しか持たない俺に、その答えを見出すことは不可能だ。
知っていることといえば、自由人で、骨董品が好きで、お人好しがすぎるということだけか。
「……」
俺を見て、ため息を一回。
「まぁ、お前さんがそこまで信頼してるっていうなら何も言わないよ」
「は?信頼?」
「そうさね……一応私もあの女の子の状態を見ておくべきだね」
「いや、婆さん。俺は別にあいつを信頼してるわけじゃ―――」
「それにしても、お前には勿体無い子だよ。あれだけの美貌なら貰い手も多くいるだろうにね」
「おい、婆さん―――」
「お前も嘘が下手だね。恥ずかしいなら私だけに言ってくれればいいのにねぇ」
「いやいやいやいや、ばあさ―――」
「それじゃあ、アル坊、お前さんはここであいつらに料理の指導でも頼むよ」
カツン、と杖を響かせながら、婆さんは少女のいる部屋の通路へと消えていく。
俺は、婆さんから言われたあれこれに、ただ固まることしか出来なかった。
―――結婚しないっていう弁明さえも嘘だと思っている、と?
もう嫌だ、早く帰りたい。
心の中にドロドロと流れる愚痴の本流が渦巻いていくのを感じて、深く項垂れた。
婆さんが消えていった通路に視線を送る、と、なにやら、通路の影でもじもじしている人影を見つけて、俺はその人物を確認した。
真っ先に妹の元へ向かった少年だ。何か言いたいことがあるのか、俺へと視線を彷徨わせている。
「どうした?お前の妹のとこに行かなくていいのか?」
「あ、うん……えっと……その……お兄さんってお医者さんかなにかなんだよね?」
ああ、ここにも勘違いが一人。
無言を突き通していた俺に、少年は恐る恐るという感じで口を開く。
「あ、あの……ボクの妹を治してくれてありがとう、ございます。でもボクたち、お金を持っていなくてそれで……」
俯きながら話す少年。
両親を亡くし、たった二人だけで王都に来たのだから、金が無いことは百も承知だ。
「あいつを治したのは俺じゃなくてミリアだ。俺は関係ない」
「で、でも、ボク……ただお礼を言うことしかできなくて……」
「いいんじゃないか。あいつはお金よりも、お前の礼の方が嬉しがると思うけどな」
それでも元気のない少年に、俺は自分のポケットをまさぐった。
「忘れてたんだが、歓迎パーティの料理はお前の妹への料理で消える。だから、貧民街歓迎祝いにこれをやる」
ピンと弾いたものを、少年は危うそうに受け取った。
「―――!?これって……!?」
俺が投げたのは金貨1枚。貧民街の皆からすれば、とんでもない価値を持つものだ。
「好きに使え。衣服の調達でも、食糧の調達でもなんでもな。間違っても無駄なことに使うんじゃないぞ」
俺の言おうとしたことが分かったのか、少年は意気消沈していた表情を綻ばせる。
「あ、ありがとう!お兄さん!」
少年はそのまま通路の奥へと走りぬけ―――ようとして一瞬立ち止まり、こちらに顔を向けた。
「あ、あの、ボク大きくなったら、お兄さんみたいに誰かを助けることができる人になります!」
そう言って、通路の奥へと消えていった。
しばし硬直していた俺は、ゆっくりと長椅子に腰を下ろす。
「誰かを助けることができる……人ね」
あの少年が狙って言ったことではないことは分かっているが、どうにも皮肉としか感じられない。
現実がこんな悲惨なものだと知れば、あの少年の夢は簡単に打ち砕かれる。
少年のいう誰かを助けることができる人、という言葉は単純ながらも難しい存在だ。
誰を助けたいのか。何をするべきなのか。
俺が決めた助けるべきものは貧民街に住まう全ての人。
それが誰かから望まれぬことだったとでも、俺は必ず成すと決めたのだ。ここにきたあの時から、ずっと。
俺は、その「誰かを助けることができる人」であるのか?
俺の存在は、どこまでも矛盾している。
―――聖堂前で座り続けていると、ミリアが戻ってきた。
俺を見つけるなり、ずんずんと大股で歩きながらこちらへ近づいてくる。
「アルトっ!ひ、ひどいです!本当に!」
「な、なんだよ藪から棒に」
何かしただろうか。ミリアを怒らせた具体的な行動が思い当たらず悩む。
「あの男の子からお金を渡されそうになったんですよ!助けてくれたお礼、って言って!それに、あのお金はアルトから渡されたモノだって聞きましたし!私を試そうとするなんてっ!」
ああ、やっぱり、ミリアにあの金を渡そうとしたのか。
俺はその光景を想像して笑いそうになる。
「で、断ったんだろ?」
「もちろんですっ!そのお金はあなたの妹が元気になってから受け取ります、ってなんとか乗り切ったんですよ?どうやってもお金を受け取って貰わないと引き下がらないようだったので……仕方なく……」
「民を思いやる立派な王女様だな」
「もうっ……もし私が受け取ったらどうするつもりだったんですか?」
あの金は、兄妹が生き残るために必要な金だ。貧民街に住む者たちが職を見つけることは難しい。
どうにかして、その職を見つけるまで、あの金を少しずつ切り崩しながら乗り切るしかない。
ミリアの質問に、俺は頭を掻く。
「受け取らない」
「……え?」
「あの金を絶対に受け取らないと確信してた。お前はそういうやつだ」
王女という立場で、お金に困らないから、とか、はした金だから、とかそういう意味ではなく。
ミリアという人格が為す行動の一つとして。
あっけにとられたような表情で、ミリアはそのまま固まってしまった。
「……そろそろ貧民街から離れるか。もう夜になる。衛兵も増えてるぞ」
「は、はい……」
何かまた、言葉に覇気がない。
……一応皆に断りを入れてから帰るとするか。
あの兄妹への支援は、あいつらに任せることにしよう。今はミリアを早く王城に帰らせなければいけない。




