矛盾の剣 - 8 -
どうやら客たちの喧騒に阻まれ、ミリアの声は周りには聞こえていなかったらしい。安堵しながら、俺はミリアの口から手を離す。不服そうな顔で、俺の顔をじっと見つめてきたため、すぐに席に座り、冷めたシチューに手を伸ばした。
納得のいかなそうな顔をしていたミリアだったが、すぐに席につく。
「渡してくれてありがとね、ミリアさん」
「あ、いえ、大丈夫です!このお店のシチューがおいしいのでレシピを教えて頂きたかったんですけど、秘密らしくて……」
「あー……まぁ、この食堂の人気メニューだから仕方ないかなぁ」
しょんぼりとしたミリアに、エルナはまた苦笑した。
「……アル兄、ミリアさんに《魔剣》のこと言ってなかったの?」
なんだその非難の目は。
「話す必要なんてなかったからな」
「アル兄……」
「アルトはやっぱりひどいです……」
いや、待て。
知り合いに《魔剣》を持っていることを自慢するように教えてみろ。
いずれ命を狙われることになるかもしれない。
そもそも、《魔剣》という代物は希少鉱石と変わらないぐらいの値を秘めているのだ。
下手に情報を漏らせば、金目的の奴らが集まってくるだろう。
だが、未だに俺とミリアが結婚すると思っているエルナは、「そんな大切なことを生涯共にする人に言っておかないなんて信じられない」という眼差しで俺を射抜く。
そしてミリアは、さっきの俺の口封じが効いているのか、涙目のままこちらを見つめてくる。
……選択肢的に、ここで所有している《魔剣》を見せざるを得ないのか。
俺はたまらず長いため息をつく。
「……分かった。分かったよ」
躊躇いながらも、しぶしぶ腰に提げた短剣を外して、机の上に置いた。
闇を投影する黒檀のような柄に、緩やかにカーブを描いた刀身。はたから見れば、どこにでも売られているような短剣だ。
「これがアルトの《魔剣》なんですか?」
「ああ」
恐る恐ると言った感じで、ミリアは机に置かれたその《魔剣》を手に取る。戦闘用というよりは、むしろ壁に飾られる骨董品だ。
「【砂上の傷跡】と呼ばれる《魔剣》だ」
ほぅ、とミリアは息を漏らした。
「刀身が澄んでて綺麗な剣ですね……」
息を呑むような刀身の美しさ、というものか。確かに、《魔剣》でなければそこら辺で売っている短剣よりは若干の値打ちはつくかもしれないが……。
「この《魔剣》には、どんな力があるんですか?」
やはり、聞いてくるとは思っていた。俺は腕を組んで、椅子に深く座る。
「分からない」
「え…?で、でも《魔剣》であることは確かなんですよね?」
「ああ。俺の親父が元々使ってたからな。親父が自信満々に言ってたから間違いない」
「……あ、あの、その……やっぱりアルトのお父様は……」
これだけ話題を出せば、やはり感づくのは当たり前か。
俺の横にいるエルナは、そのミリアの反応にまた俺へ非難の目を向けてくる。
一回咳払いをして口を開く。
「もうこの世にはいない。俺がガキのときに盗賊に殺された。この《魔剣》は親父の形見だ」
この机の周りが、一瞬静かになった気がした。ミリアはゆっくりと【砂上の傷跡】を机に置く。
「……そうですか。それなら、この《魔剣》を大切にしないといけませんね」
「そうだな」
ああ、やはり空気が重くなってしまったか。俺はガシガシと頭を掻いた。
「俺には、この《魔剣》の矛盾が理解できない。その矛盾の深淵を探ることもできないから使えない。だがな……」
目の前のシチューに目を落としながら、俺は静かに言った。
「この短剣は親父の遺志だ。俺はその遺志を継がなきゃいけない」
だから俺は、血反吐を吐きながらあがき続けて、貧民街という低層の存在から商人へ返り咲いたのだ。
親父の生きた証を残すために。
それを聞いたミリアは、俺に優しく微笑んだ。
「亡き人に、何かを残そうとするその心……とっても素晴らしいと思います」
優しい微笑みを湛えるその表情に、何か一瞬の陰りが見えた気がした。
と、ここまで沈黙を保っていたエルナが、勢い良く席を立った。
「あーもう!アル兄は無口だから仕方ないけど、やっぱりこの重い空気は耐えられないわ!」
「……お前がちゃんと説明しろって言ったのが原因じゃないのか」
「うるさいっ!アル兄のことミリアさんにいろいろ話そうと思ったけど、今日はやめるわ。頼んだ料理もあっちで食べることにするから」
カウンターを指さしてそのまま席を離れようとしている。
いきなり何を言っているんだ。と思ったが、なんだかんだで気を使っているのか?
「ミリアさんも、この機会にアル兄にいろいろ聞いてみるといいわよ。私から話すより、その方がいいと思うの」
つまり、「自分の身の上はちゃんと自分で説明しろバカ」というエルナ流の空気の読み方か。
……これ以上話すことなんてないんだが。
それを聞いたミリアは嬉しそうに俺に詰め寄ってくる。
「私も、いろいろアルトに聞きたいことがあるんですっ!」
「……何でも話してやるから、もう顔を近づけるのはやめてくれ」
「はいっ!分かりました!」
「分かりましたって元気に言われるのはいいんだがな、お前、俺の話全然聞いてないだろ」
それでも俺と距離を離そうとしないミリアに、やれやれと額に手を置いた。
あともう少しでミリアとの取引が終わるのだ。身の上を話したところで何の意味もないのだが……。
それでもミリアは俺のことを聞きたいらしい。
他人から関心を持たれないよりは、話題に上がった方がいいとよく言うが……。
ここで一瞬、俺は思考を巡らす。
他人に興味を持たれたのは、いつだっただろうか、と。
貧民街の生活は、本当の意味でサバイバルだった。食い物がなければ、露天商人から食べ物を盗むことも厭わなかった。そのときに捕まればもう二度とこの王都の空を見ることは出来ない。そんな極限の状況で、他人と深く関わることなど出来はしなかった。……いや、他人に俺への関心を持たせれば、逆に自分の首を締めることを知っていたからだ。
今現在でも仲良くしている者たちは、「友人」というよりは、「恩人」という立場の者たちが多い。
その恩人たちに報いるために、俺は盗賊という立場に立っている。
ああ、なるほど、と一人納得した。
俺がミリアを苦手としている一番の理由は、こういうことなのかと。
いつも無関心に俺たちを見ていた貴族や平民。
それとは全く異なった存在が、目の前で嬉しそうに微笑む少女だから。
そして心の変化に気がつくのは、いつも唐突だ。
俺がこの少女と会話することを、楽しんでいること。その事実を。
冷めたシチューに目を落とし、スプーンで掬って口に運ぶ。
胃に落ちるシチューが温かく感じたのは、気のせいだったのだろうか。