矛盾の剣 - 7 -
数分後、落ち着いたエルナを席に座らせ、俺は目の前のシチューを見ながら脱力する。
「いつ頃二人は知り合ったの!?アル兄って自分のこと全然話さないんだもん!」
「……お前、なんでこんなところにいるんだ」
「ここの食堂に焼きたてのパンを提供してるのよ!うちのパンの宣伝にもなって一石二鳥でしょ!」
……ああ、なるほど。
全く、どうしてこう、俺は運が無い。おとなしく王都を見て回っていたほうが、知り合いに会うこともなかったかもしれない。
目の前に座るミリアは、興味津々な目でエルナを凝視している。
ちょうどその時、食堂にいた注文受けの少女がこちらに歩み寄ってきた。
手には水の入ったグラスが握られており、それを順々に置いていく。
エルナも俺らの知り合いだと思ったらしく、同時に料理の注文を確認するようだ。
「あ、私もシチューを一つ。あ、あとね……」
俺への追求はどこへやらだ。あの目は商人と変わらない。パンの仕入れについて、少女と話し込んでいる。
仕入れについての話し合いが終わったらしく、金髪の少女は足早にカウンターへ戻っていった。周りにいる男たちからまたちょっかいを出されたらしく、それを華麗に受け流している。
それを見ていたエルナが苦笑する。
「あの子も大変ね。いろんな男から言い寄られて苦労してるみたいだし」
本当にいい迷惑だ。あの少女のように、俺もまた庶民の奴らに同じことをされているようなものなのだ。
はぁ、と一回ため息を吐きつつ、俺はグラスの水を飲む。
「あの子の大本命は【漆黒の風】だし、どうやっても靡かないのによくやるわ」
盛大に水を吹き出す。そして咳き込んだ。
「ちょ、ちょっとアル兄、大丈夫?変なところに入った?」
「……」
くそっ……どいつもこいつも……。
「やっぱり【漆黒の風】様は有名なんですね!皆さんから期待されるのも分かります」
「うん、庶民の味方らしいからね。ミリアさんも【漆黒の風】のファンだったりするの?」
「はいっ!素晴らしい方だと思います!」
そしてこいつらはいつの間にか自己紹介を終えて、愉快に話こんでいる。ディモンのときと同じように、なぜコイツはこんなにも他人に好かれるのか。
……漆黒の風の話しながら俺を嬉しそうに見つめるな、やめろ。
「お前、パン屋の仕事があるだろ。早く帰らなくて大丈夫なのか?」
「仕事は旦那に任せてきたから大丈夫だって!今はちょっと休憩よ!」
さっさと帰ってくれないか、という言葉をなんとか耐えて飲み込んだ。帰りが遅くなって探しに来たエルナの夫が俺といるところを見つけてみろ。絶対に修羅場に突入する。
大体、俺がただエルナと話しているだけでも嫉妬の炎をこちらに向けてくるやつだ。愛情があるのはいいことだが、それに巻き込まれるのは勘弁してほしい。
「ね!で、アル兄、いつからミリアさんとお付き合いしてるの?1ヶ月前とか、半年前とか?どこまで進んだのよ!……も、もしかしてもう…っ!」
「いい加減にしろ!コイツとはそんな関係じゃない!ただの友人だ!」
「そうなんです。ただの友人なんですっ」
そうだ、ミリア。お前からも言ってやれ。友人という言葉を使うのも馬鹿馬鹿しいがな。
満面の笑み、その笑みが一瞬悪意の混じった笑みに変化したのを、俺は見逃さなかった。
「……まだ」
「まだ!?まだっていうことはいずれそういう関係に!?」
「やめろっ!!もっとややこしいことになるだろ!?」
「いいじゃないですか!本当なら私たちはもう友人と言えるような仲ではないんですから!」
「なに!?なにどういうこと!?どういう仲なの!?」
「……くっ!」
友人ではない。ただの共犯者だ。
言い分は間違っていない。だが違う。
こいつと問答を繰り広げても、負けてしまうのは結局俺の方だ。
そして俺は、いつの間にかミリアにからかわれていることに気がつく。いつもは脳天気なくせに、俺のこととなると口達者になるなこの女は……。
「と、とにかく!コイツとはそんな関係じゃない!」
「もうっ……アル兄のそういう頑固なところ、治した方がいいよ?」
呆れ顔のエルナだが、もう知ったことではない。俺はカラカラに干上がった喉を潤すために、もう一度グラスの水を飲み込む。
「エルナさんは、アルトの幼なじみなんですよねっ!」
「うん、アル兄のこといろいろ教えてあげようか?」
「ほ、本当ですか!教えていただきたいです!」
もう、どうでもよくなってきた。グラスを置いて冷めたシチューに目を移す。
流石に食欲も失せてきた。
「あ、その前に、ミリアさん、ちょっとお願いごとしていいかな?」
「はい?」
と、エルナが何かポケットから何かを包んだ袋を取り出してミリアに手渡した。
「この袋、あの女の子に渡してくれない?ちょっとアル兄と話したいことがあるの」
おや、と俺は首をかしげた。あの女の子というのはおそらくこの食堂の看板娘であるあの少女のことだろう。ミリアに聞かれたくないことでもあるのだろうか。
俺と同じように不思議そうにしていたが、
「はいっ!分かりました!渡したら、是非アルトのことを教えて下さいね!」
「もちろん、何でも教えちゃうわよ!」
勢い良く席を立って、ミリアはカウンター奥にいる金髪の少女へと駆け出していった。
「……よし。じゃあアル兄、ちょっと確認したいことがあるんだけど」
「なんだ、あいつに聞かれちゃまずいことでもあるのか?」
「んーまあそうね」
エルナは水を一口飲んだ後、俺に真剣な眼差しを送ってくる。
「ミリアさんに事情話したの?」
「はぁ?なんのことだ」
「アル兄が貧民街の出身だってことよ」
俺はこの瞬間、エルナが盛大な勘違いをしていることに気がつく。あれだけ俺が否定しているというのに、ミリアと結婚するものだと思い込んでいるようだ。
「あのな……。アイツに俺の境遇なんて話す必要なんてないんだよ。さっきから言ってるだろ」
「ミリアさんのご両親にはちゃんと挨拶した?」
「だから……俺はアイツとはそんな関係じゃ―――」
「アル兄」
それでも、エルナは俺と視線を外そうとはしなかった。その真剣さに、俺はその意味を知る。
エルナが結婚をするときの、あの修羅場。
エルナと結婚すると言い放ったあの男の両親が、数えきれない罵倒と差別の呪詛を撒き散らした事実を。
「いい?惨めな思いをするのは慣れてるわ。だけど、一番傷つくのはミリアさんなんだからね」
人は、常に無意識な「線」を引く。それがどのような形であれ、その「線」を脅かすような者は、軽蔑の対象となりうる。
それが貧民街出身の恋人となれば、尚更だ。
エルナは、大切な人が傷つけられる現実を知っている。貧民街は庶民や貴族の奴らにとっては「異質」の坩堝だ。
そんな現実を、貧民街に住んでいる者たちは知っている。非難されることも、軽蔑されていることも知っているからこそ、泣くことはない。
だが、大切な人が軽蔑され、否定される現実を垣間見た者に、どれほどの心の傷が生まれるか想像することなどできない。
俺は言い返す言葉が見つからず、ただ無言でいるしかなかった。
じっと見つめてきたエルナは、さっきまでの気迫が嘘のように柔らかく微笑んだ。
「ミリアさんを大切にしなきゃダメだよ、アル兄。私たちを分かってくれる人なんて、ほとんどいないんだから」
「……ああ」
分かっている。分かっているとも。
だからこそ、ミリアとの取引は、早く終わらせなくてはいけない。
これ以上、アイツを関わらせないために。
俺のせいで、誰も傷つけさせないために。
「あ、あとね、最近なんか変なことが城下町で起こってるみたいなの」
「変なこと?」
妙な言い回しだった。さっきはミリアに第二の盗賊の話を聞いたばかりだ。追加の事件など聞きたくもないのだが……。
「なんかね、城下町の全域で、武器とか防具とかの盗難が起こってるらしいのよ。【漆黒の風】がやってるーなんて噂もあるみたいなんだけど、その盗まれてるものって全然お金にならないものらしくって」
「装備品か……」
「うん。鍛冶屋でも武器と鎧が盗まれてるって聞いたし、ただの短剣とか飾りの剣とかもなくなってるらしいの。なんか不気味なのよね」
武器や防具。しかも、武器には使えない飾り用の剣なども盗まれているとなると、なにをしたいのかよくわからない。
【漆黒の風】の真似事か?もしくは、ミリアから聞いた第二の盗賊がやっていることだろうか。
理解不能の事件に、俺の脳はショート寸前だった。
それに続いて、エルナはおずおずしながら口を開く。
「アル兄、確か《魔剣》を持ってたじゃない。盗まれないように気をつけなきゃダメよ?」
「ああ、問題ない。いつも身につけて―――」
「《魔剣》!?アルトって《魔剣》を持ってたんですか!?」
後ろから響いた大声に、俺の肩がまた跳ね上がる。聞き覚えのある声に、俺はしまった、と内心舌打ちした。
俺はすばやく後ろに立つ人物の口を手で覆って、静かに耳元で囁いた。
「食堂にいる客たちに聞こえるだろ……」
「ふ、ふみはふぇん………」
もごもごと口を動かしながら涙目になっているミリアに、エルナはただ苦笑した。