矛盾の剣 - 6 -
返答に困っていた俺への助け舟がちょうど来たようだ。
盛り付けが終わったのか、湯気を立てるシチューを満たした皿を、少女が器用に腕に乗せて運んでくる。
ミリアは少女へ感謝の言葉を述べた後、その皿の中を凝視している。
パンも後から机の上に運ばれ、ミリアはいますぐにでも食べだしそうだ。
……いつもならここで酒も頼むが、ミリアが酒に強いかどうか分からない。後で果実飲料でも飲ませてやるか。
俺を見てそわそわしているミリアに、GOサインを出す。
―――そんなに腹が減ってるなら、俺に構わず食えばいい。
まるで、餌付けされるときの子犬のようだ。
俺はため息を吐きつつ、スプーンでシチューを掬って、口へ運んだ。大きくカットされた野菜と、煮こまれて柔らかくなった肉の旨味が溶け出していて、空腹だった胃が喜んでいるようだった。
「とってもおいしいですっ!」
満面の笑みでシチューを食べるミリアに同意する。
一人のときにでも、またここに来て料理を頼もうと心の中で決意した。
二口目を口へと運ぼうとしたそのとき、俺の耳に男の大きな声が流れこんできた。
「俺は見たぞ!あの義賊、【漆黒の風】が騎士団長を圧倒するところをな!」
その声に、俺は口へと運ぼうとしたスプーンを静止させる。
「あいつは凄かった!召喚士という事実を隠していた騎士団長を、ナイフ一本で追い詰めたんだ!しかも王都の闇を俺たちの前で断罪してみせた!あいつは正真正銘、この王都の英雄、正義の代弁者だ!」
周りから、怒声とも思えるような歓喜の声が響き渡る。チラリとカウンターを見ると、あの少女は興奮している男たちを止めることもなく、それを見てにこにこと微笑んでいた。
俺が神妙な表情をしているのがわかったのか、ミリアは苦笑のような笑顔を向けている。
「そんな顔をしちゃダメですよ。【漆黒の風】様は、皆さんの英雄なんですから」
「……俺の佇む場所は影の中だ。王都の英雄、正義の代弁者だと?馬鹿馬鹿しい……」
俺の存在はどこまでいっても悪だ。それ以外、俺が存在する意味などありはしない。
ミリアはスプーンを置いて、優しく微笑んだ。
「……正義なんてこの世界にはない、ですか?」
それは、俺が騎士団長へ憎しみをこめて放った言葉だった。
「確かに、アルトの言う通りだと思います」
それを聞いて、俺は椅子へともたれかかった。
「俺の意見に賛成するとは思わなかったな。王族なら、王に利益のある者を正義とする。あの騎士団長のような奴をな」
「……正義という言葉はあまりにも複雑です。各々の正義は、立場によって簡単に変化してしまいますから」
「王都の庶民たちの正義は、王都の正常化じゃなく、自分たちが楽できる状況を作り出してくれる奴らのことだからな。正義なんて言葉は使うべきじゃない」
人間のエゴだ。正義とは、自分たちに良い状況を作り出してくれる者たちに向けられるものでしかない。
それゆえに、《正義》という言葉は、簡単に貶められる。
「俺のような盗賊のやり方でさえも許容される。俺は王族や貴族だけじゃない、城下町に存在するああいう奴らも嫌いなんだ」
だから、俺はお前も軽蔑の対象だ。遠回しに言った言葉に、ミリアは気づいたか。
上に立つ存在や、誰かに助けを乞う存在は、いつだって自分だけが満足すればそれでいいと思っている。
俺は、そんな奴らが許せない。
「……でも」
ミリアから小さくこぼれた言葉。
「でも、理解することをやめてはいけないと思っています」
「……なんだと?」
優しい笑みを湛えていたミリアの表情が、何か、憂いの含んだ表情へと変わった気がした。
「なぜそうまでして、正義を見出そうとするのか。私は、それを理解する必要があると思うんです」
「………」
「おそらく、お父様や騎士団の方々は、アルトを否定すると思います。でも、それだけではダメだと思うんです」
内に秘めた感情を吐き出すように、ミリアは俺の目を真摯に見ながら言葉を連ねていった。
俺はそのミリアの姿に、ただ唖然とするしかなかった。
「【漆黒の風】が生まれてしまった理由を、理解する必要があるんです。理由もなしに、義賊という存在が生まれるはずがありません。……少なくとも、それが王族として生まれた者の責務だと、私は考えています」
―――目の前に座る、この少女は誰だ。
ミリアの心の深淵を垣間見たかのようだった。こいつを甘く見ていたのかもしれない。
「理解する、ね。なるほど、大した覚悟だ。だがな、結局義賊なんて存在は否定されなきゃいけない存在だ。【漆黒の風】は英雄でも正義の味方でもない、ただの盗賊だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「その通りです。ですから―――」
ミリアは、スプーンでシチューの中にある人参の塊を掬う。そして、それを俺の前に突き出してきた。
「……なんの真似だ?」
「ですから、アルトのことをもっと知りたいと思ってるんですよ!」
にこにこしながら俺の口元にスプーンを突きつけている。……っておい、これはまさか……
「おい……」
「親しい者は、こうやって食事を食べさせあうと聞きました!」
「馬鹿言うな!そんなものバカな夫婦か恋人同士がやることだっ!」
「そうなんですか?でも、いいじゃないですか!ほら、早くしないと冷めちゃいますっ」
「や、やらないぞ!俺はやらないからな!」
さっきまで真剣な話をしていたというのに、この変わり様はなんだ。
「さあ」
「……くっ……」
「あーん、ですっ」
なんだその笑顔の中に潜むとんでもない殺気のようなものは。
この王女に関わってしまうと、面倒事に巻き込まれるのは絶対的なものになるようだ。
目の前に突き出されたスプーンに乗っている人参を見ながら、俺は冷や汗をかきまくる。
どうやったら切り抜けられるかを考えるが、良い解決策が見つからない。
と。
「あれ?アル兄?」
後ろから聞こえてきた声に、俺の肩が跳ね上がった。凍った氷像のように、ゆっくりと振り向いた。
きょとんとした目で俺を見るブラウンの瞳、栗色の髪を髪留めで後ろに束ね、猫のように人懐っこい顔立ち。
かつて貧民街で一緒に過ごした少女、エルナが、俺の後ろに佇んでいた。
「エ、エルナ……お前……」
「わぁ、びっくりした。こんなところにアル兄がいるなんて思わな―――」
途中で言葉を切ったエルナは、俺にスプーンを突き出したまま不思議そうな顔をしているミリアへと視線を移す。
そして、俺を見やる。
またミリアに視線を移して、また俺へと顔を戻した。
「エルナ、違う。これは誤解だ……こいつは……」
呆然としていたエルナは、なんと次の瞬間、目の端から涙を流し始めた。俺はギョッとしてそのまま動くことが出来ない。
「ぶ、仏頂面でいつも無愛想なアル兄にとうとう春が来たのね……良かった……本当に良かったよぉ……」
「な、泣くなバカ!違う!違うぞこれは違う!コイツは友人みたいなもので―――」
混沌とした状況に思考の全てを持って行かれた俺に、為す術などなかった。周りを見ればその様子を見ている客達がこそこそと耳打ちをしている。
修羅場だと勘違いした客の、心配そうな顔やにやにやした顔が俺の心に刺さる。
「あ、あの……私、何か悪いことをしたでしょうか……?も、もしかしてアルトの……」
「違う!こいつは俺の幼なじみだ!」
「そ、そうなんですか?ではご挨拶を……」
「……挨拶は後でいいから、この状況をどうにかしてくれ」
えんえんと鼻を鳴らして泣き続けるエルナに、客達の奇異の目。そして極めつけはミリアの困惑した表情だ。
……王女の城下町視察など、やはり許諾するべきではなかった。




