それでも彼は - 15 -
「なんだ!?何が起こった!?」
魔力の暴風に晒されながら、騎士団長は何が起こったか分からないまま、顔を腕で覆いながらその場に膝を付いている。
俺はすかさず腰に提げたもう一つのナイフを手に取り、騎士団長へと神速の如く接近した。
目を逸らしたたった一瞬だ。
騎士団長は小さなうめき声を上げてその場に倒れる。
片足で剣を持った右手を踏みつけ、その首元にナイフを突きつけた。
哀れみの目で騎士団長を見下ろす。
「召喚士は常に精霊とのパスを持つ。そのパスは空間、もしくは地面を介して精霊に接続される。だが、その魔力のパスに他の魔力を付加すれば、どうなるか。……魔術師のお前には分かるだろう?」
「魔力干渉を……引き起こしたというのか!?馬鹿な!魔力は目に見えないんだぞ!?そんなこと出来るわけが……ッ!」
「―――俺の左に存在した水壁、触手の数は四十五本。右の水壁に存在した触手の数は五十九本。水弾が生成される場所にも偏りがあったな?ある一点の空間だけ水弾が生成される数が多かった」
騎士団長は驚きのあまり、口をガクガクと震わせていた。
「魔力供給が行われている箇所を特定したと……いうのか!?そんなこと……貴様……一体何者……!」
「ただの盗賊だ。お前が言っただろう」
ナイフを突きつけられて動けない騎士団長を見据えながら、俺は懐にしまっていたコインを取り出した。
「盗賊っていうのはな、金にならないものでも素直に掻っ攫っていくものだ。だがな、これは返してやる。こんな金にならないものはない。金庫にこんな無価値なものを置いておく貴族なんて聞いたことがなかったよ、騎士団長」
「な……ッ!?」
偽造金貨が地面に落ちて高い音を響かせた。騎士団長は目の前に落ちたそれを見て、驚愕のあまり目を見開いている。
「それともう一つ、この屋敷を見て声を上げる観客たちに見せなきゃいけないものがある」
三つ目のナイフ。
騎士団長の衣服にナイフを突き立て、動けないように拘束した後、もう片方の手でそれを掴む。
遠くで俺たちを見ていた宰相に顔を向けると、まるで猛獣に出会ったしまったときのように慌てふためいているのが確認できた。今すぐにでも逃走しようとしている。
「おい、宰相。いくらなんでもそんな長いコートを羽織っていたら、逃げるときに邪魔になるだろう?」
「!?し、【漆黒の風】め!貴様……ッ!」
騎士団長を尻目に、俺は魔法で強化された両足で宰相へと駆け出した。近づいてくる俺から逃げようとして、宰相は後ろを振り向いたが、そんな逃走の時間など与えるつもりはない。
振るったナイフで、コートを細断。そして、その内ポケットに存在するモノを抜き出した。
―――賭けに勝った。
「素晴らしい考えだ、宰相殿。盗賊が絶対に盗み出さない場所を考えだしたんだ、誇っていい」
俺の突進で、宰相はそのまま前にゴロゴロと転がった。宰相のコートから出てきたのは、他の貴族との不正の結託を証明する契約書だった。覗き見ると、ご丁寧に他の貴族の名前が一枚ずつ丁寧に書かれている。
「や、やめろ!それは……ッ!」
転がった拍子に顔を打ち付けたのか、鼻血を流しながら宰相は俺に静止の言葉を投げかけてくる。
―――いいことを思いついた。
「重要な令状を懐に忍ばせておくとは、宰相殿は慎重なお方だ。私が皆さんにお伝えするとしよう」
「な、何を言っているッ…!ま、まさか……!」
ボソリ、と俺はただ一言。
「《風陣、展開》」
手に持った契約書は暴風に巻き込まれ、屋敷外で見学に勤しんでいる観衆へと降り注いだ。
あまりの絶望に、宰相はその場で放心。そのまま石像のように固まってしまった。
俺はチラリと、横に立つミリアへ目を動かす。呆然としているミリアに役目を果たしてもらうべく、俺はゆっくりと近づいた。
「王女殿下。こんな重要な令状を民に黙っているとは、お人が悪い」
その言葉を聞いたミリアは、ハッとしてこちらを見つめ返す。
ここからは、コイツの仕事だ。俺は手に残った一枚の書類を王女へと手渡した。
ミリアは真剣な表情で地面に跪いている宰相へと近づいた。
「クライス閣下。残念です。まさか貴方がこのようなことをしていたとは……」
「ご、誤解でございます!これはこの盗人の罠だ!私は―――!」
「言い逃れは不可能です。私はこの目で見たのですから―――この書類が貴方のコートから出てきたところを」
「―――私は!……私は…ッ!!」
目を血走らせて口をパクパク動かしているが、これ以上の弁明の言葉が見つからなかったのか、そのまま項垂れてしまった。
まるで怒られた子供のように小さくなってしまった宰相を確認し、俺は次に騎士団長へと目を向けた。
地に這いつくばりながら、俺を苦々しい顔で見つめている。
と、騎士団長を助けるべく、屋敷内にいた騎士たちが集まってきた。
この状況に思考が追いつかないのか、呆然としている騎士も見受けられる。
そして、周りで見守っていた群衆たちの怒号。俺が吹き飛ばした不正の証拠がまたたく間に広がったのだろう。宰相の対する呪詛の言葉が響き渡っている。
そろそろ、退き時だな。
再び肉体強化の魔法を施し、正門へと駆け出そうとした俺に、怒声が浴びせられた。
「待て!【漆黒の風】ッ!!」
その言葉を発した者の正体はわかっていた。俺はそちらを見ずに、一瞬立ち止まる。
「一体貴様の正義はなんだ!犯罪では民は救えないッ!こんなこと、あってはならないのだッ!」
正義―――?
騎士という概念にあらゆる思考を塗りつぶされ、騎士団長は正義と悪を明確にしようと躍起になっているのか。
そんな考えに凝り固まって、現状を見ることさえ、疎かになっているのか。
この現状を目の当たりにしても。
―――くだらない。
握りしめた手が、ぶるぶると震えた。頭の中で怒りの火花が散る。
俺は、騎士団長に聞こえるように、ありったけの大声で返答する。
「正義など、この世にはないッ!!!!」
現実はいつでも非情だ。
正義だなんだと口に出す前に、今自分の立っている場所を確認すべきだ。
騎士団のあり方は、《正義》を他者に示すだけの組織ではないのだから。
騎士たちが俺を捕まえようとする前に、正門からその先の道へと走り抜ける。
群衆の津波を垣間見て、俺はすぐに段差を利用し別の屋根の上に着地、王都の闇へと駆け出した。
―――正義とは。
逃亡の中、俺は騎士団長から聞いた言葉を頭の中で反芻する。
誰かを助けることが、正義か。
少なくとも、騎士団の連中は王と民の守護を正義と掲げ、畏怖に似た尊敬を得ている。王の手足となり、あらゆる害悪を打ち払う者たちだ。
だが、それは王にとって不都合な事実にさえも介入し、捻じ曲げることが可能だ。
どれだけ正義という言葉を口走ったところで、彼らは利用されていることに気づいていない。
抑えきれない怒りが、胸中で荒れ狂う。だが、俺はその怒りが、どこから来たのかが分からずにいた。
―――貧民街の否定。
―――正義のあり方。
全てが原因?
……そうだ、全て気に食わない。
だが、この胸の奥で、剣で斬り裂いた傷のようにこびり付く怒りはなんだ。
闇夜に浮かぶ月。俺はそれを見ながら、屋根の上を走り続ける。
そして、気付く。
「………はは……」
笑いがこみ上げる。これほど滑稽なことはない。
その怒りの原因が、騎士団長の口から出た言葉が義賊というあり方を続けている《俺への否定》だったという事実に気づいたからだ。
「本当に、くだらない……」
俺もまた、立場を理解できていない者の一人。
仕事を終えた後の空虚な感覚を味わいながら、俺は月の光さえも届かない王都の闇の奥へと消えていった。