それでも彼は - 14 -
と、ふと後ろから視線を感じ、振り向いた。
屋敷の中にいる騎士達が騎士団長を見ながら驚愕に目を見開いている。どうやら騎士団長は、このような大技を部下達に見せたことがないようだ。
―――俺を殺す気満々だな。
前方から迸る殺気を感じ、俺はその場から後ろに跳躍する。
水の壁と、水精から放たれた水の怒涛が、元いた場所を貫いた。
「よそ見はいかんな、【漆黒の風】。クライス閣下から、殺してでもお前を捕らえよと仰せつかっている。手加減をするつもりなど毛頭ないぞ」
不敵な笑みを浮かべる騎士団長を見て、俺は舌打ちする。
水の壁から新たに水の塊が生成され、触手のように蠢いている。騎士団長の周りを浮遊する女性型の水精達も、面白おかしいように、高い声で笑い合っていた。
「『風の導きよ』」
流動する緑光が、両手に持ったナイフへと収束。
水の触手が、再び俺へと襲い掛かってくる。
咄嗟に足へと肉体強化の魔法を付与し、真横へと翻りながら水の触手をナイフで切断した。
「『聖風は我が身を護る』」
続けて、さらなる魔法を詠唱する。足元から舞い上がる風が、全身を覆い尽くす。それは複雑な気流を描きながら、俺の体を巡っていた。
その魔法は、自らに近づく害悪を風の障壁によって受け流す防護魔法。
そして俺は、全力で地を蹴って騎士団長へと駆け出した。水の壁から生み出される触手達が、俺を殺そうとのたうち回る。一本から二本、三本と、騎士団長へ近づくにつれ、触手の数が増えていく。
そして、あと二十メートルというところで、俺はその場から飛び退くように引き返した。
回避できない程多くの水の触手が、騎士団長に近づく者を排除しようと俺へと襲いかかったのだ。
湿った地面に足を取られそうになりながら、俺はすぐに騎士団長と距離を取る。中空に存在する水の触手の数はゆうに百本を超えていた。
「無駄だ。私に近づこうものなら、水精たちが黙ってはいない」
騎士団長の周りを舞っていた水精たちは、水で出来た両腕をこちらへと掲げた。虚空から生み出された無数の水弾が、流星群のように俺へと降り注ぐ。
一撃、二撃、三撃と、こちらを追尾する水弾を、俺は強化されたナイフで打ち落とす。
―――数が多すぎる。
「『風陣、展開ッ!』」
あまりの水弾の数に、俺はたまらず魔法を詠唱した。地面から噴き上がる暴風は、俺を防護するように舞い上がり、飛び交う水弾を次から次へとはたき落とした。
だが、襲い掛かってくるのは水弾のみではない。
両側に立ち上る水の壁から触手が生成され、獲物を捉えた狼のように俺に追撃を加えてきた。
「『刃風よ、唸り狂えッ!』」
翠玉のように輝く流動する光が、ナイフへと纏わり付く。俺は一瞬の気合と共に、虚空へとナイフを振り切った。
瞬間、魔力によって生成された鎌鼬が、風切り音を響かせながら水の触手を切り裂いた。
切断された触手の一部が魔力の影響を失い、ただの水となって驟雨のように降り注ぐ。
危険だ。
俺はすぐに魔法の詠唱を行い、周辺に存在する水たまりと降り注ぐ水を暴風によって吹き飛ばす。
「ほう……。私の魔力干渉に気づき、周囲の水を吹き飛ばしたか」
「生憎、水を操る魔法使いの対処は心得てるんでね……!」
水を操る魔法使いとの戦いにおいて気をつけるのが、その無限にも思える攻撃手段。
空間把握能力に秀でた水系統の魔術師は、周囲に存在する水を瞬時に攻撃魔法に変換できる。
それはまるで、弓矢の尽きない弓兵。
遠距離攻撃では無類の強さを誇ると言っても過言ではない。
「戦い慣れているな。流石は【漆黒の風】といったところか」
騎士団長の言葉を聞きながら、俺は水の壁へと目を移す。今も無数の触手が蠢き、いつでも俺を攻撃できる状況だった。
「そういうお前はずっと棒立ちのままか。剣の方は素人以下か?」
「安い挑発だな。くだらん」
まっすぐにこちらを見つめる騎士団長。その目に迷いはなかった。
―――それならば。
「召喚士とはよく言ったもんだな。今まで部下を騙してその地位についていたんだろう?」
ピクリと、騎士団長の顔が微かに歪んだ気がした。
「……召喚士であったことを部下達に黙っていたのは、混乱を防ぐためだ。騙していたわけではない」
こちらを見据えていた騎士団長の瞳が、僅かに揺らぐ。
「物は言いようだな」
「なんとでも言え!私は貴様のような賊を許すことはできんッ!貴様を捕らえれば王都に平和が戻る……それならば、いくらでも恥を見せてやるッ!」
尋常ではないほどの覇気だった。盗賊への偏見もあるだろうが、過去に何かされたのだろうか。
主の気迫に応えるように、水精たちはその手から巨大な水弾を生成しようとしている。
肥大する水の球体。
―――負けられない。
貧民街へ向けられた、罪人という言葉。俺が知っている奴らは、罪人とは程遠い者たちばかりだ。そして彼らは、望んで貧民街で暮らしているわけではない。
不運。
他者の裏切り。
理不尽。
それを経験し、今あの場所で彼らは生きている。
俺は、罪人という言葉を使って彼らを否定した騎士団長を、許す訳にはいかない。
「………騎士団長。召喚士の弱点を知っているか?」
そう呟いた俺の言葉に、騎士団長は鼻で笑った。
「弱点だと?私を動揺させるためにとうとう狂言を語りだしたか」
騎士団長との距離はおよそ五十メートル。俺は、極限にまで圧縮された魔力をナイフへと注ぎこむ。
「召喚士は、精霊に魔法詠唱を委任する。委任するということは、自身の魔力のパスを精霊へ繋げなければならない。そのパスをどうやって繋いでいるか、お前に分かるか?」
「ここに来て何をバカな事を言っている。これで、終わりだッ!」
膨大な水が上空に浮遊、その水の塊が俺へと投げつけられた。圧倒的な圧力を持ち、かつ魔法によって生成された水弾は、俺の命を瞬時に奪うに違いない。
だが、俺はナイフに魔力を注ぎ込むのをやめなかった。
「盗賊の言うことは聞けない、か?残念だよ、騎士団長」
そして、ナイフに莫大な魔力が蓄積する。
「俺の勝ちだ」
水弾が着弾するあと数秒というところだ。俺は、そのナイフを右に存在する水の壁の真下、ある一点、石畳の隙間へと投げつけた。
発光。
烈風。
魔力を蓄積したナイフは、その膨大な魔力に耐え切れずにひび割れ、砕け散った。
しかし、次に巻き起こったのは純粋な魔力の暴風だ。あらゆる物質を軋ませるような波動が周辺に拡散する。
そして、変化。
俺を補足していた水弾が内側から破裂する。
左右に存在していた水の壁までもが、轟音を立てて瞬時にただの水へと変わった。
滝のように降り注ぐ水は、俺の周囲を廻る風の障壁に妨げられ、周辺に撒き散らされた。
ガラスを叩き折るような甲高い水精の悲鳴。
水精はその形を失い、霧散した。