5.危機を救うよ沢辺の粗品贈呈
三人での同居生活のおかげか、家の中は以前より楽しくなりました。
でも今は静かです。朝日が夏浜町を照らし始めたばかりですから。
失敬して寝室を覗くと、まだ二人は眠っていました。向かい合いながら寝ています。なんだかんだで仲いいです。
(散歩でも行こう)
まあまあ夏浜町にも慣れました。
たまには一人で行動してみます。置き手紙をしておけば完璧です。
それから、アレを早めに完食しないといけません。なつめもゆりえさんも食べないので、散歩のついでにいただきます。
―――――
近所の沢に来ました。ところで川と沢の違いって何なんでしょうか。
水の流れる音と豊かな緑。朝の光以外に誰もいない沢も良いものです。
さて、と座り、風呂敷を広げました。中身は数十本のきゅうり。アレというのはコレです。
(いただきま……ん?)
一本を口に運ぼうとする途中、近くの茂みから、ガサガサと枝葉をかき分ける音が聞こえました。
飛び立つ鳥かなにかでしょうか。なにげなく目線を送ると、
(……えっ?)
カッパがいました。
(え……なにあれ? そりゃ夏浜町は妖怪の住む町だけど、え?)
カッパです。爬虫類を思わせる、つやつやした緑色の皮膚。なにを考えてるのか分からない無表情。
まさしく妖怪って感じです。こういうのもいるんだと痛感しました。
カッパは水かきの音をぺたぺた鳴らしながら、僕の方に近付いてきます。
「おっ、おっ、おひとついかがですかっ!」
慌てた僕は、反射的にキュウリを差し出していました。
やはりカッパにはこれです。好物をもらって嫌がる人はいませんから。
「…………」
すっ。
カッパは静かにキュウリを取ると、そのまま僕の隣に座りました。
ちらちらと横顔をうかがいます。カッパは黙々とキュウリを食べてました。川の音だけが流れます。
(いい人、なのかな)
なにげに指の爪は鋭いですが、きっと話せば分かり合えます。
こういう時、よく大人がやっている戦術があると聞きました。真似してみます。
「い、いい天気ですね」
「……」
「そのキュウリ似合いますね。もっといりますか? 僕だけだと食べきれなくて腐ります、ので……」
「…………」
(めっちゃ睨まれてる)
目付きのせいかもしれません。怒ってるのでしょうか。言葉が通じてない可能性もあります。
「ありがとな、いただくよ」
「喋った!?」
と思いきや、超自然に話し始めました。口は動いてませんが、若いお兄さんの声が聞こえました。
「喋れたんですね」
「ああ。キュウリのいいにおいがしたからさ、つい惹かれて来ちまったよ」
(キュウリってにおいしたっけ?)
なんとも親しげなカッパさん。正直見た目は凶暴そうですが、一気に安心感がわきました。
「好物なんですか?」
「そりゃもう。にしても、キュウリたくさんあるな。ちょっと近くで観察させてほしい、あっ」
バシャッ。
立ち上がったカッパさん。石につまずいたせいで沢方向に転び、全身水浸しになっていました。
「つめてえええ! ああやっちまった、濡れたからには脱がねえと」
「脱ぐ?」
意味不明なことを言うカッパさん。そんな、着ぐるみじゃあるまいし。
カッパさんは、背中の甲羅の裏あたりに手を伸ばします。ジーっと、ファスナーを下ろす音が聞こえました。
まさかとは思いましたが、本当に着ぐるみだったみたいです。やがて中から現れたのは、
「はーっ、やっぱり沢の空気は最高だなー。ん、どうしたんだ?」
「い、いえ、ものすごいカッコいい人だなと」
超ハンサムな男性でした。黒いシャツにジーパン姿。カジュアル(どういう意味でしたっけ)でモデルのような雰囲気を発しています。
凛々しい目鼻立ちと茶髪は、外国人を思わせます。カッパの中身って実はこういうのなんですね。
「そっか? ありがとな。君の名前は……」
「悠です。長月悠」
「いい名前だな。俺は滝沢だ。悠君は人間だろ? よろしくな」
「え」
びっくりしました。初対面で僕が人間だと見抜くなんて。なつめでも無理だったのに。
「どうして分かったんですか?」
「鼻が利くからな。俺の特技なんだ。ところで」
ちらり。滝沢さんは、風呂敷の方のキュウリに視線を向けます。
「それ、うまいよな。いや別に欲しいとかじゃないけどさ。すごいうまい」
「え? あ、えっと」
期待するような眼差し。なるほど分かりました。こう言えばいいのですね。
「よければ、全部あげちゃいます。一人じゃ食べきれないし、持ち帰るのも大変なので」
「本当かっ!? うおおお、やったぜ! 悠君ってばいいやつだなあ! 友達になろうな!」
狂喜する滝沢さん。やはり精神はカッパでした。
いそいそとキュウリを両手で抱える滝沢さん。僕と滝沢さんは友達。なんか、いい響きです。
「あ、しまった。着ぐるみ持てねえや。悠君!」
「はい」
「それあげるわ。じゃあな、また会おうぜっ」
「え、あの!」
再び茂みの中に分け入っていく滝沢さん。止める間もありませんでした。
残されたのは、生々しいカッパの着ぐるみ。キュウリが不気味なものに変わりました。
どうしようこれ。あ、そうだあれなら。
くだらないかもしれませんが、ふさわしい使い道を一つ思い付きました。
―――――
帰宅してみると、なつめとゆりえさんは未だに眠っていました。
そろそろ起床に適した青空です。呼び起こすために、ぺたぺたと歩いて二人に接近します。
「なつめ、ゆりえさん。そろそろ起きる時間だよ」
声をかけます。二人は、だいたい同時に目を覚ましました。
「うーん……なんね、しゃあしか(うるさい)ったい。もうちょっと寝かせ、ひゃああああ!?」
「ううん……なにやら悲鳴が聞こえましたが、どなたの声、きゃあああ!?」
女の子らしい悲鳴をあげるなつめとゆりえさん。
それもそのはず。滝沢さんからもらった、不気味なカッパの着ぐるみを着た僕が、すぐ側に立っているからです。
寝起きドッキリ大成功でしょうか。
「で、出たな妖怪! あたしが焼き殺してやるばい! 必殺、狐火!」
「うわああ! あちちち! やめてよなつめ、僕だってば!」
「悠さまの声真似をするとは許せませんわ! お逝きなさい!」
「いたいいたい! ゆりえさんまでっ!」
大失敗です。気が動転した二人は、容赦ない必殺技を繰り出しました。
襲いかかる炎とつらら。僕は命からがら、逃走に成功しました。
やっぱり、この着ぐるみは危険です。捨てるのも不吉そうなので、タンスにしまっておきましょう。