表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/35

34.無色の涙をぬぐう彼岸の故郷景色

 ここが人間の世界だと実感させてくれたのは、十月のような肌寒い風の後ろ姿でした。

 目の前を流れる、日差しを浴びて光る川のせせらぎは、未熟で弱い心を癒してくれました。

 それでも、僕を見送ってくれたなつめとゆりえさんの寂しそうな表情は、いつまでも思い出の中に住み続けそうです。


(本当に、来たんだ)


 百合鬼灯から作られた光の穴に飛び込んだ意味はありました。紛れもなく、生まれ育った故郷です。


(さて、行こうかな)


 ぼちぼち歩き始めます。見覚えのある風景。秋色の木々。僕が暮らしていた家までの道も分かります。

 脇に設置されたベンチ。うたた寝をするおじいさんの持つラジオから声が聞こえました。


『さて、西暦一九九九年。今日は九月二十三日、お彼岸の中日となりましたが皆様は――』

(……そういえば)


 立ち止まって思い出します。今日は僕の誕生日みたいでした。

 西暦から計算すると十六歳。子供と大人の境界線をまたいでる気分です。

 すみません話がそれましたね。目的地に向かいます。まずは川辺から離れて街の方に行かないと、


「ひゃああつめたー! 川に落ちるなんてついてないけん、助けて悠ー!」

(!?)


 背中方向から聞こえたのは賑やかすぎる声。秋に川遊びとは頭のおかしな人です。偶然にも僕と同じ名前を叫んでいます。


「どうして無視すると!? はよ振り向いてー!」

「……」


 同名なんてたくさんいますからね。にしても僕の知ってる妖怪と声が似ています。喋り方まで共通だなんて奇遇にもほどが、


「ぐわーおぼれるー!」

「…………」


 ばしゃばしゃうるさいです。そんなに騒がなくても聞こえてます。というかカナヅチだったんですね知りませんでした。

 もう少し落ち着くことを覚えるべきです。助ける気はありません。振り返って告げてやりました。


「そこ立てるよ」

「へ? ……あっ」


 ざばっと立ち上がるなつめ。なにせ腰くらいまでの深さですから。


「ゆ、悠を試してたとよ。判断力はなくしてないみたいやね。合格点あげる……はくしょーん!」

「あーあー、もう」


 びしょ濡れでくしゃみをするなつめ。陸に出なかったとは運が悪いです。

 どうやらなつめは、想像以上に無鉄砲だったようでした。僕に続いて光の穴に飛び込むだなんて。

 昨晩の感動はなんだったのでしょうか。涙で失った水分を返してくれと言いたいです。


「なんで来たの?」

「いやあ、つい。だって寂しかったけん、また悠に会いたいなーって」

「……もし帰れなくなったらどうするのさ」

「ゆりえたちは一人じゃなかと。あたしは、悠がいればそれでよかもん」

「……ふふふ」

「あっひどかぁ! どうして笑うとー!?」


 本当に、なつめは。

 これが笑わずにいられますか。なつめのせいだというのに。どうしてそんなにあたたかいんですか。僕が生意気なのは知っているはずなのに。

 川につかったまま怒るなつめに向かって、真っ直ぐ手を差しのべました。


「行こうか」

「うん」


 たぶん僕も、心細かったんだと思います。握った手を離したくない気持ちが何よりの証拠です。

 どこか胸が苦しいような、ざわめく心の正体はつかめませんけど、一つだけ分かることがあります。

 なつめと一緒にいたい。その意志だけは変わらない自信がありました。この先、どんな色の空が遠くに広がろうとも。


―――――


 路地の狭い道を曲がった奥には、古ぼけたアパートがありました。

 僕が暮らしていたのは一階の左の部屋。新聞受けを見たところ人は住んでいるみたいです。

 あとは呼び鈴を押すだけ。しかし、伸ばした指が一歩を踏み出せません。


(怒ってる、かな)


 考えてみれば、僕は別れも伝えずにいなくなりました。愛想を尽かされていてもおかしくないです。

 どこからかわき上がる不安や憂い。なつめが心配そうに僕を見つめます。


「だいじょーぶ。あたしが側にいるから。悠は一人じゃないけん」

「……うん」


 僕は一人じゃない。ありふれた言葉だからこそ心に染み入ります。

 会わないと始まらないし終わらない。なにかを始めるために、なにかを終わらせるために僕は人間の世界に来た。

 呼び鈴を鳴らします。ばたばたと走る足音が聞こえて来ました。

 ヤクザさんが住んでいたらどうしよう。妙な心配は、扉の先に立っていた人物が消してくれました。


「健一、さん」


 二十代後半を思わせる若々しさと落ち着いた雰囲気。以前と変わらないようで安心しました。

 堀健一さん。身寄りのなかった僕の面倒を見てくれていた男性です。

 一言で説明するなら変わり者。外見は魅力的なのですが一人を愛する性格ですし、なにより、


「おまえ、誰だ!?」

「って忘れられてる!? 悠だってば! あんまし変わってないでしょ」

「ははは、冗談だ。久しぶりだなおい。悠がいなくなってからというもの、一日八時間しか眠れなかったんだぞ」

「けっこう寝てるよね」


 ふざけるのが大好きな人なんです。昔は苦手でしたが慣れてました。

 不安がって損しました。元気な姿を見たかったのは僕だけのようです。なんという片思い。


「僕は健一さんに会いたかったのに……やっぱり、喜んでなんかくれないよね」

「……なあ悠。俺は悠のこと、本当の家族だと思ってるさ。ずいぶん会えなかったが、その気持ちは今も変わっちゃいない」


 健一さんの真剣な目。いやいやだまされません。性格から推理するなら頃合いを見計らって、


「まあそれは置いといてだ。このかわいい巫女さんは誰だ? ちょっと俺と散歩でも行こうか」

「か、かわいくなんてなかよ! えっとね、あたしなつめー」

「いい名前だな。あ、ついでに悠も来るか?」

「おまけ扱い!?」


 なつめをナンパするに決まってます。なんなんすかこの二人。まともなのは僕だけですか。

 避けられるでも追い出されるでもなく、当たり前のように僕の居場所は空いていた。

 どうやら現実は、僕が心配するよりも優しく出来ていたみたいです。


「よし、みんなで出かけるぞ。ほんの三時間で支度するから待っててくれ」

「急いでよ!」


 家の中に引っ込む健一さん。突っ込みしすぎて疲れました。でも元気でなによりです。

 会いに来てよかった。僕を覚えていてくれた。

 空は晴れているというのに、どこからか頬をつたい落ちた滴は、地面を小さく濡らして消えていきました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ