31.夜の夏桜が聞いていた旅路終点
まだ陽が落ちたばかりの薄暗い星空の下。
僕は居間で正座中です。なぜなら今夜は百鬼夜行。危ないことが起きなければいいのですが。
玄関扉が強く叩かれます。びくっと体が反応しました。ずいぶんと気合いの入ったお客人です。
(誰だろう?)
玄関まで行き、なにげなく扉を開けてみます。
甲冑姿の黒葉さんが立っていました。顔が見えなくても正体は分かります。どっきりのつもりだとしたら大失敗です。
「黒葉さんですよね。どうしたんですかその姿」
「……」
無反応。さぞ悔しがっていることでしょう。
もう人見知りは克服したのだから甲冑なんて無意味です。黒葉さんと会いたくなりました。
「上がってください。でも頭のところは外しちゃいますね。それじゃあ、ぱかっと……なっ!?」
甲冑の頭の部分を持ち上げて外します。そして僕は絶句しました。
ぽっかり中が空洞です。
黒葉さんじゃないです。言わば甲冑の自律歩行。思えば今夜は百鬼夜行。まさかこれが、
「失礼……しました」
かぶとを返します。受け取った甲冑さんは再装着していました。
桐谷さんの説明の通りです。たまげました。さすが夏浜町。でも何故この家を訪問したのか。
疑問の途中、背後からひたひたと足音が聞こえました。聞き覚えがあります。恐る恐る振り向くとやはりそこには、
「……カッパだ!!」
長いことタンスに入れていたカッパの着ぐるみが直立していました。
カッパは全身傷だらけ。僕が寝起きドッキリに使用したせいです。おそろしく威圧感がありました。
怒っている気がします。僕も同じ体にされてしまうかもしれません。
「ご……ごめんなさい! 痛い目にあわせてすみませんでした! どうか、どうか命だけはっ!」
ひたすらの土下座。ぐっと目を閉じます。
カッパはひたひたと近付いて来た後――すっと横を通りすぎました。
そのまま甲冑さんと一緒に、カッパは家から離れていきます。よく見ると手も繋いでいます。
「あの、僕に復讐とかしないんですか? ……そんなボロボロにしたのに」
僕の声は届いたらしく、カッパと甲冑さんは同時に立ち止まります。
次の瞬間、僕に向かって贈られたのは、深い感謝の気持ちが込められた丁寧なお辞儀でした。
(許して……くれるんだ)
大事なのは前を向くこと。私たちは帰るべきところに行くね。そう言っているように感じました。
僕の中だけで決めている意思も、きちんとみんなに打ち明けよう。二人の背中を見送りながら自然と思えました。
「なにしとるとー?」
「こんばんは悠さま」
後ろから僕を呼ぶ声。なつめとゆりえさん。
「ん、なんでもない。どうしたの二人で」
「これから桜を見に行くとよ。悠も来る? というか拒否は許さんけん」
「賛成いたしますわ。さあ今ですなつめっ!」
「よいしょー!」
「わー!」
ゆりえさんに拘束され、なつめにかつぎ上げられます。抵抗する間もありゃしません。
でも本当に花見なんて出来るのでしょうか。いくら夏浜町とはいえ夏桜なんてあるはずが。
―――――
えっと咲いてました。
家から離れた場所の広めの公園。淡紫色の桜が満開です。いやあ花って綺麗でいいですよね。
僕ら三人並んでベンチに座ります。背もたれに体を預ければ、夜桜と星空が同時に拝めます。
ふと月を見上げれば、手の届かないほど高い空中を、二つの青い人魂が飛んでいきました。
「あれは……」
「妖魂たい。普段は見えない妖怪やね。あいつらにも向かう場所があるとよ」
「みんな、行くべきところに帰ってるんだね」
なつめが解説します。小さな存在の彼らにも目的があるようでした。
今なら言えそうです。僕が人間の世界に帰ろうと考えていることを。なつめとゆりえさんに。
「あのさ、二人とも」
いずれ話すのなら、早い方がいいです。先延ばしにしてた僕が言えたことじゃないですけど。
「なあに? 悠」
「……悠さま」
僕を見つめる四つの瞳。笑顔のなつめ。不安そうなゆりえさん。
僕よりも先に口を開いたのは、花びらの散る地面に視線を落とすゆりえさんでした。
「やはり……人間の世界に、行ってしまわれるのですね」
「え……どうしてそれを」
なぜか筒抜けになっていた僕の意図。誰かの前で口に出したことなんてないはずなのに。
「憑き物が治った日の夜、わたくしは寝たふりをしておりました。……全て聞いていたのです」
いや、たった一度だけありました。ほぼ無意識のうちに、僕は眠る二人の側で気持ちを音に乗せていたのです。
ざあ、と吹いた夜風が、桜の枝と花弁の繋がりを別ちます。
「じ、じゃあ悠は、もう夏浜町には戻らんと?」
「ううん、できたらこっちで暮らしたいけど……どうなるか分からないや」
心配するなつめを安心させられる言葉は、今の僕には紡げそうにありませんでした。
「悠さま。百合鬼灯を覚えておりますか?」
「え? えっと、はい」
ふいにゆりえさんが言ったのは、公園の片隅に咲いていた白い花の名。
「あれを使えば、二つの世界を行き来できますわ。……ごめんなさい。もっと早く、打ち明けるべきでしたのに」
単なる贈り物じゃなかったなんて、当時の僕には想像も付きませんでした。
あんなに昔から、ゆりえさんは僕の行く末を考えてくれていたのです。
「一度お帰りになってください。そして、考えてください。夏浜町と人間の世界。どちらで暮らすのが正解なのかを」
「……ゆりえさん」
「……すみません。わたくしのわがまま、許していただけたら幸いです」
「いえ、おかげで勇気が出ました。近いうちに、あっちへ行こうと思います」
ついに、過去と対面するべき時が迫りました。
人間の世界は、僕を必要としてはいません。僕を覚えているのも、あの人くらいのものです。
だからこそ、行く価値があります。意味のない世の中だとしても、会いたい人がいるだけで世界は輝き続けます。
「あたしは、悠に任せるったい。……せっかくの桜やし、みんなであぶらあげでも食べるとよ」
「ふふ、そうですわね。なつめも気が利くようになりましたね」
「まーねっ」
なつめは服の袖の奥から特大の弁当箱を取り出しました。一体どうやって隠していたのか。
ふたを開ければ、ぎちぎちに詰められた大量のあぶらあげ。何層構造ですか。明らかに多すぎます。
「ず、ずいぶんあるね」
「もしかして足りなかったと? そんな育ち盛りの悠のために、はい、もう二メートル分」
「メートル単位!?」
新たな巨大弁当箱を取り出すなつめ。せめて枚数で言うべきです。
相変わらず、なつめは場を賑やかにするのが上手いです。おかげで前向きになれました。
のんびりあぶらあげを食べながら、くだらない話で笑い合う夜。桜の花たちは、いつまでもみんなの背景のままでした。