30.西から東に流れていく人物模様
一人になると他者のありがたみを感じられる。ちょっと正しいと思いました。
小さな公園の屋根付きベンチに座ります。これなら太陽に見付かる危険もありません。
(みんみんみん……)
とどろくセミの合唱。彼らは小さいくせに声が大きすぎます。何事もやる気次第ということでしょうか。
「あついあつい」
「ん?」
隣から聞こえた声。黒い和服姿の黒葉さんが座ろうとしていました。
「黒葉さん。祭りの時はお世話になりました」
「こちらこそ。悠のおかげで人見知りが克服できそう。最終的には、なつめさんみたいになりたい」
「あー、……黒葉さんは、どうか自分らしさを失わないでくださいね」
「?」
なつめを目標にしてもいいことないです。
「悠に出会うまでは、夏浜町に来たことを後悔しかけていた」
黒葉さんと視線が合いました。うつろな瞳が、僕を静かに見つめます。
「悠みたいな人もいたんだね。人間の世界も、捨てたものじゃないのかも」
「みんながいてくれたおかげです。僕だけの力じゃ、なにも変えられませんでした」
「わたしも、いつか誰かを救える人になりたい」
「黒葉さんがいてくれて、少なくとも僕は安心しました。人間の世界から来たのは、僕一人じゃなかったんだって」
人は自分の知らないところで、誰かになにかの影響を与えています。
特別なことをしようと無理しなくても、生きてるだけでいいみたいです。
「悠に感謝」
「いえ。こちらこそ」
「ちゅっ」
「?」
一瞬、なにが起きたのか分かりませんでした。
黒葉さんが僕の頬にキスをしたと気付けたのは、太陽が雲に隠れてしまった後のことでした。
「く、黒葉さん! 今いきなりなんてことを!?」
「おそまつさま、でした」
照れた表情を見せた後、黒葉さんは小走りで去っていきます。
遅れてどきどきしてきました。なにされたんでしたっけ。黒葉さんの性別ってなんでしたっけ。こんなことなら聞いておけば。
「男女どっちなんだー! 僕は変態じゃなーい!」
立ち上がって叫びます。誰もいないからこその感情発散法です。人前じゃ恥ずかしいですから。
「うおっ、元気だな悠くん。俺も参加するかな」
「げっ! 滝沢さん」
うかつでした。滝沢さんが隣にいました。滝沢さんは深く息を吸います。勢いで僕も続きます。
「なつめさんは俺をどう思ってるんだー!」
「いきなりのキスって反則じゃないですかー!」
「これから振り向いてもらうために頑張るぜー!!」
「でも初キスはミーさんに奪われたー!!」
「……はははは」
「……ふふふ」
すっきりしました。大声を出すというのは単純ですが効果ありです。
「なつめさんに告白したんだけどさ、なんかうやむやな感じで終わったよ」
「滝沢さんは悪くないです。なつめは恋を知らないっぽいですから」
実は後方から見てましたが、知らないふりを決め込んで会話します。
「そうなんだろうな。けど気長に行くよ。まだまだチャンスはあるからな」
「ですね。なつめもいずれは分かると思います」
「ああ。悠くんは好きな人とかいないのか? 例えばゆりえさんとか」
「ふっ!?」
なぜにそこでゆりえさんの名前が。たしかにゆりえさんは思いやりがあって優しくて性格おだやかですけど。
なにげない発言は、僕を困惑させるには充分すぎました。
「もしあれだったら、気持ちを伝えた方がいいぜ。言うとすっきりするからさ。じゃあな!」
「あ、ちょっとあの!」
走り去る滝沢さん。僕を激しく動揺させてから退散するなんて。新手の通り魔みたいです。
ゆりえさんは素敵です。でも家族相手にそんな。しかし魅力的なのも真実。だけど急に言われても。なんなんですか滝沢さんはいきなり。
「もしかして悠さま?」
「ぎゃああ! ゆ、ゆりえさん! えっとえっと本日は天気もよく、もうすっかり夏本番ですね!」
「え? ええ。夏浜町は毎日が夏ですわ」
(そうだったああ! しっかりしろよ僕!)
奇跡的なタイミングでゆりえさんが現れました。いかんまずは落ち着かねば。ぶんぶんと首を振ります。
「そういえば先程、どこからか男性の絶叫が届きましたわ。悠さまも聞いておりましたか?」
「えっ? い、いやあ内容までは。なんかうるさかったですよね」
もしかしなくても僕と滝沢さんです。ちと大声を出しすぎました。
「どなたかは存じませんが、夏の暑さにやられてしまったのでしょうか……かわいそうに」
「はは……全くもう」
ゆりえさんはたまに容赦ないです。おだやかなだけじゃないところが、ゆりえさんの良さですけど。
僕は心の中で泣きました。すると、それに呼応するかのようにお天気雨が降り始めました。
雨は地面を濡らしていきます。草葉たちの合唱が優しく流れます。
「……夏浜町って、雨も降るんですね」
「珍しい光景ですね。実は意味がありまして、お天気雨の翌日には百鬼夜」
「ひゃあああ! 雨やだ服が濡れたー!」
桐谷さんの騒々しい叫び声に、ゆりえさんの解説は打ち消されました。
ダッシュで避難してきたみたいですが遅し。服や髪からは多量の水がしたたっています。
「忘れてた……百鬼夜行って明日なんだっけ。ボクの家も関係あるなあ」
「な、なんですかそれ」
桐谷さんのひとりごとに問いかけます。まさか百鬼夜行というのは、鬼や怪物が夜の町を歩き回るとかいうあの。
「……怖そうですね」
「あはは、心配することないよ! 楽しみにしてて。びっくりできるから」
笑って済ませる桐谷さん。どうやら安全らしいです。明日の夜が楽しみになりました。
一方のゆりえさんはおかんむりです。説明の機会を桐谷さんに取られたからみたいでした。
「わたくしの立場を奪ってはいけませんわ! せっかく悠さまと話せる場面だったというのに」
「早い者勝ちだもーん! やっぱり若い方が反応もいいよねっ」
「悪口ですか!? 悪口ですよね。今のは聞き捨てなりませんわ。うりゃー!」
「なんのーっ!」
挨拶よりも先に取っ組み合いをする二人。すごい微笑ましいですけど。
「くらえゆりえちゃん、抱きつき攻撃ー!」
「きゃああ冷たいっ! は、離れてください桐谷さん! わたくしが悪かったですからー!」
「へへーん、ついでに悠くんも道連れだよっ!」
「うわー!」
びちゃびちゃな服のまま密着してくる桐谷さん。僕もゆりえさんも、屋根の下なのにずぶ濡れです。
やっぱり、みんなと一緒の方が楽しいです。一人では分からない、安心感とかあたたかさの存在を感じられました。
この雨が止んだ時、町の景色は変わります。
僕らの置かれている現実が、少しでも長く続きますように。清んだ空に向かって、言葉に出さずに祈りました。