27.あとでいいやを口にして結局忘却
日光浴のつもりで庭に出てみれば、すでに先客のなつめがいました。
こっちに背を向けたまま青空を仰ぎ見ています。真っ昼間なのに天体観測でしょうか。
「夜まで待った方がいいと思うよ」
声をかけます。ところが、なつめからの返答はありません。
ただひたすら直立不動。まさか寝てるんじゃと考え始めた矢先、なつめに変化が起きました。
「な……つめ?」
さらさら茶色の後ろ髪が、麦穂のような淡い金色に変わっていきます。
頭からは、狐を思わせる二つの耳。お尻の部分からも、ふさふさ黄金色の毛におおわれた尻尾が生えてきました。
(なつめが……変だ。いつもよりも)
神秘的で近付きがたい立ち姿。なつめに似た別の妖怪なのではと不安になるほどでした。
後ずさりした僕の足元で、踏まれた小枝が音を立てて折れます。
ぐぐっと振り向くなつめ。その瞳は朱に染まっていましたが、すぐに元の茶色に戻ります。
「悠。なにかあったと? びっくりした顔して」
「え……なつめだよね? どうしたのその姿」
「あたしは狐の妖怪やもん。たまにこうなるとよ」
「なんで変身したの?」
「んー、さあ?」
さあじゃないです。会話を終わらせないでください。
本人確認は取れましたが、違和感は消えません。いつにも増して何かやらかしそうな雰囲気で、
「つかまえたー!」
「わっ!」
がしっと、なつめが僕の両肩をつかみます。びっくりしました。
「あたしはねー、悠のこと好いとるよ。悠もあたしのこと好きー?」
「な、え!?」
続いて紡がれたのは真っ直ぐすぎる告白。いきなりの展開に理解が追い付きませんでした。
なつめは家族です。なつめがいたから今の僕がいます。でも、そんな建前を抜きにして個人的な感情を言うならば、
「……う、うん。大切だよ。なつめのことは」
本音から少しだけ逃げたのは秘密です。
「そっかー。じゃあ、あたしからのお願い聞いてくれるよねー?」
「い、いいよ別に」
どうせ簡単な頼み事のはずです。もじもじと体を動かしながら、なつめは口を開きました。
「悠、死んで?」
「……はい?」
今、なつめは何を。
「悠のこと、燃やしてみたいけん。だいじょーぶ、痛くないように早く始末してあげるったい」
「冗談、だよね?」
僕からの問いかけを否定するように、なつめは自らの手のひらに狐火を出現させます。
この人、本気です。マジの目です。いくら僕が妖怪でも火属性攻撃は。
「いいって言ったけん、今さら止めるのなんて許さんとよー!」
「ぎゃあああ! やっぱりなつめが変だああ!」
「あなたを焼きたいー、でもそれって、あたしからの愛情表現よっー!」
変な歌を唄いながら追いかけて来るなつめ。幸いにも僕の方が足は早いみたいでした。
なつめに何が起きたのでしょうか。もし奇病とかなら放っておけません。
敷地を出てしばらく走ると、向こうから歩いてくるゆりえさんの姿を見付けました。
「ゆりえさんー!」
「ゆ、悠さま? そんなに慌ててどうされたのですか?」
いつものように僕を気づかってくれるゆりえさん。後方になつめの姿はありません。
「な、なつめが大変なんです! 金色になったら告白されて、愛ゆえに僕を殺そうとしてて!」
「な、なるほど……なつめがおかしいのは分かりました。でも、ご安心ください悠さま」
ゆりえさんは自分の胸に手を当てます。
「わたくしがここで、なつめを止めて見せますわ。なつめの扱い方には慣れておりますから」
「ゆりえさん……」
なんと頼れる冷静さ。しかしなつめは今や暴走機械。制御する側にも危害が及ぶ可能性が。
「いやでも、やっぱり今は逃げないと! ゆりえさんも行きましょう!」
やや強く手を引いて走ろうとします。直後に僕の足は硬直しました。
ゆりえさんの手が、異常なほど冷たいのです。氷にふれているのかと錯覚するくらいに。
「いいえ」
ぐっと、僕の手を握る力が強くなります。
「ゆりえ……さん?」
「ご存知でしたか?」
銀色の冷たい眼差しが僕を射抜きます。微笑を浮かべながらゆりえさんは言いました。
「雪女には、気に入った殿方を氷漬けにして連れ去る、禁じられた風習があったのです」
「あ……あの、まさか」
「さあ悠さま。わたくしと参りましょう。永遠に終わらない零の世界へ」
「ゆりえさんもおかしかったあああ!」
手を振りほどいて走り出します。なつめより何倍も恐ろしい、物静かな殺害宣言でした。
こうなれば行き先は一つです。二人の病気を治せそうな人といえば。
―――――
診療所の扉を開け放ちます。ぷかぷかとタバコをふかすミーさんの姿がありました。
「やあ、元気だネ。若いってうらやましいよ」
「おかげさまです。じゃなくて! 命狙われてるんです! なつめもゆりえさんも凶暴になって!」
「ああ、ツイに来たのか。そろそろじゃないかなと思ってたケド」
「えっ……原因を知ってるんですか?」
落ち着いた様子のミーさん。扉の鍵を閉めてから側に近寄ります。
「あの二人には、ちょっとした憑き物がツいてる。健常者に対して攻撃的になるんだヨ」
机の引き出しを探りながら説明するミーさん。
「前の健康診断で見付けたけど、うっかり言い忘れててネ。もっとも、いつ発症するかは分からないし、発症してからじゃないと治せないんだけどサ」
なにかを手にしたミーさん。おもむろにタバコの火種を消します。
「憑き物って、なつめやゆりえさんは大丈夫なん――」
僕の言葉をかき消したのは、乱暴に突破された扉の音でした。
出入口に立っていたのは、金色妖狐と化したなつめに、銀髪を風になびかせるゆりえさん。
「逃げたらいかんよー? おとなしく約束は守ってもらうけん」
「やはりここでしたね。追い詰めましたわ。覚悟はよろしいですか?」
じりじり近付いて来る危険人物。もはや説得は通じそうにありません。
「出たあああ! ううう、もうおしまいだっ!」
「出番のようだネ」
「……え?」
ゆらり。ミーさんが椅子から立ち上がります。
そのままゆっくりとなつめの正面まで移動。二人は静かに対峙しました。
「あたしとケンカするなんて、ミーさんの負けは確定してるばい」
「それはどうかナ」
「分からず屋めっー!」
なつめが繰り出したのは火炎の拳。落ち葉が舞うように避けるミーさん。
勢いを殺さぬまま、ミーさんはなつめの背後に回り込みました。
「キミは元気だネ」
なつめの額に、奇妙な模様の描かれたおふだが貼り付けられます。
途端、なつめは脱力して床に伏せました。どうやら単なるおふだではないようです。
「なつめがやられましたか。ですが、わたくしはそうはいきません」
「どうするのかナ?」
「足を封じさせていただきます」
床に手をつくゆりえさん。ミーさんの足元に生成された氷は、両足の自由を奪いました。
ゆりえさんは、動けないミーさんに歩み寄ります。
ミーさんは腕を伸ばしますが、ゆりえさんには到底届きません。不敵に微笑むゆりえさん。
「無駄な抵抗ですわ」
「みたいだネ。でも」
「なんですか?」
「後ろが無防備だヨ」
「!?」
振り返ったゆりえさんの額めがけて、包帯の切れ端が巻き付いたおふだが飛来します。
反応より早くおふだは額に直撃。ゆりえさんは床に崩れ落ちます。
包帯の遠隔操作。あっという間に『治療』を済ませたミーさん。僕は立ち尽くすのがやっとでした。
「終わったヨ。じきに目を覚ますからネ」
「……えっ? あ、ありがとうございました」
氷が消えたので椅子に座り直すミーさん。ようやく現状を認識できた僕は頭を下げました。
ただの包帯男だと思いきや、まさかこんなに強いなんて。すごくかっこよかったです。
「……あなたいったい何者なんですか」
「ふ、ただの医者サ」
謙虚な姿勢。あくまで個人の職務を全うしただけみたいでした。
黙って自分の責任を果たす。なかなか簡単に出来ることではありません。
身の回りにいる、普段は見逃してしまう誰かの凄さを、あらためて考えるきっかけになりました。