25.みんなで学ぼう夏の空想講座
奇跡的な光景です。なつめが居間のちゃぶ台に向かって座り、ぶ厚い本を読んでいます。
しかし所詮はなつめ。いつから読んでいたのか不明ですが、あまり長くは過ぎないうちに、
「疲れたけん……本なんてお腹いっぱいにもならんし、人生に必要ない役立たずのイモ虫やね」
ちゃぶ台に突っ伏します。こうなるのは予想済みでした。ひとえに長い付き合いですから。
「それ、どうしたの?」
「ゆりえから借りたったい。夏浜町の歴史についてなんやけど、最後まで読める気がせんとよ」
「……飽きたんだ」
自分の町なのに興味を持てないなんて。むしろ僕に読ませてください。
「ふふふ。なつめがそう言うのではないかと思いまして」
「はっ、なにやつ!?」
ふすまの向こうから聞こえたゆりえさんの声。怪しがるなつめ。ふすまが勢いよく開かれます。
「わたくしが解説いたしますわ。簡単かつ分かりやすく。かつもくせよ!」
「よっ、待ってましたゆりえー! 物知り! 知的な妖怪っ!」
奥の部屋に立つゆりえさん。移動式の黒板まで置かれてます。学校みたいで懐かしいです。
かなり乗り気な二人。ついでに僕も、なつめの隣で授業に参加します。
「さて悠さま。夏浜町は、夏のまま季節が変わりませんよね。どうしてか分かりますか?」
「え……きちんと理由があるんですか?」
夏浜町はそういうものだと思ってました。道端の花を見ても、どこから来たのかという疑問なんて持たないように。
「はいっ! それはこの町が、ある妖怪の空想から生まれたからやね」
「正解ですわ。なつめに五ポイント進呈です」
「いやったあぁ!」
歓喜するなつめ。なつめでも知ってるほど常識なようです。しかし妖怪の空想とはいったい。
「例えば人間も、こんなものがあったらいいなと空想してから、新しい物を作りますよね?」
「えっと、はい」
「その妖怪も、同じ発想でした。しかしあくまで空想、四季の流れまでは再現できなかったのです」
分かりやすく説明してくれるゆりえさん。空想で町を創造する妖怪がいるなんてすさまじいです。
でも、なつめは狐火を、ゆりえさんは吹雪やつららを出せます。町を創る妖怪がいてもおかしくはない、のかもしれません。
「そうそう。思い出してきたけん。あたしたち妖怪も空想やもんね」
「……ん?」
空耳でしょうか。なつめが今、さらっと衝撃的なことを口走ったような。
「ええ。わたくしたち妖怪も空想出身です。おそらく同じ妖怪の力ですわ」
「そうなんですか!? えっまさか、そのうち消えてしまうとかじゃ……」
「ふふ、かわいらしい驚き方ですね。悠さまに百万ポイントです」
「あっずるい悠! 少しくらい分けてー!」
「あうあう」
僕の体をぐらぐら揺さぶるなつめ。ぜったい分けてあげません。
それよりも、妖怪まで空想だなんて。なつめもゆりえさんも確実に存在しているというのに。
「ご安心ください。わたくしたちは生きています。消えることはありませんわ。もちろん夏浜町も」
「よ、よかったです……びっくりしました」
「本人が現実と向き合う限り、空想は実現し続けますから。人間の世界でもそうですよね?」
「ま、あたしたちの努力があってこそやね!」
なつめが自慢げに断言します。未来を見ている限り妖怪は消えない。そういうことなのでしょう。
人間にも、空想を事実に変える力があります。ならば、幻想と現実の違いなんてどこにもないです。
「あれ? あの」
と、ここで小さな疑問が発生しました。
「はい悠さま」
「ある妖怪が町を創ったんですよね。なら、その妖怪ってどこから生まれたんですか?」
「……えっ?」
固まるゆりえさん。まさに永遠の不思議です。主なる存在はどこから来たのか。なぜ特殊で大きな力を持ちえたのか。
「そ、そこは想像にお任せいたします。実は知らないとかそういうのではありませんわ!」
「あ、ゆりえさん」
「おそまつさまでした。おあとがよろしいようで」
視線を泳がせながら、すーっとふすまを閉めるゆりえさん。授業は終わってしまいました。
黒板の意味はあったのでしょうか。隣でだらだらと休憩するなつめに目線を向けてみます。
「むりむり! あたしが分かるわけなかよー」
「だよね」
別に期待してないです。それに、謎のままの方が面白いことはたくさんありますから。
にしても、創造主の妖怪ってどんななのでしょう。きっと神様みたいに神聖な後光が差しているに違いないです。
―――――
創造主は人の姿じゃなく、山ほどもある大きさの妖怪かもしれません。ぜひ会いたいです。
妄想しながら家の近所を散歩します。ふと正面を見ると、ふさふさの白いひげをたくわえたおじいさんが歩いてきました。
おじいさんは初めて見ました。仙人みたいです。なにげなく横を通り過ぎようとした時、
「ほい」
「ぐへっ!」
僕は転びました。おじいさんが僕に足引っかけを仕掛けたせいです。
「うまくいったわい」
「な、なにするんですか! たしかにうまくいきましたけど!」
「無視されるかと思ってのう。でも、夏浜町の創造主は普通の見た目じゃ。山ほどの大きさはないよ」
「な……なんでそれを」
のんびりと話すおじいさんは、僕の考えを見事に当てていました。
どうして。口になんて出してないのに。おじいさんエスパーでしょうか。
「会ってみたかったんじゃろう? だからこうして来たよ。創造主を見た感想はどうかのう? 長月悠君」
「僕の……名前まで」
迷いなく僕の本名を言うおじいさん。全てを見透かされているような気持ちになりました。
ほほえみの奥に隠された、ただならぬ雰囲気。ひとつの結論が導かれます。信じられないですけど、まさかこのおじいさんが。
「あの、違ってたらすみません……もしかして、おじいさんが夏浜町の創造主なんですか?」
「まあね」
「やっぱり……」
合致でした。早くも願望が叶うなんて。神様って実在するんですね。
でも、そんなに凄い人が、どうしてわざわざ僕なんかに会いに来てくれたのでしょうか。
「長月悠君。きみは今後も、夏浜町で暮らしたいんじゃろう?」
ふいに芽生えた疑問は、おじいさんが速やかに消してくれました。
「人間の世界で、きみは孤独だった。夏浜町に来たことは、きみにとってはいい結果だった」
「そう、ですね」
おじいさんの優しい語りは、僕から隠し事をする意思を失わせます。
「しかし、きみは人間の世界に心残りを感じておる。やり残しがあることに、わずかながら気付いてるようだね」
「……はい」
「きみはいい子だ。素直になれなかった過去に罪悪感を抱えている」
僕が目を背けていた事実まで、おじいさんは容赦なく浮き彫りにします。
「自分の心と向き合う方法、悠君なら知ってるはずじゃよ」
「…………」
おじいさんは、僕のためだけに姿を見せてくれました。だから僕も、正直に答えようと思います。
「……あるんですよね。人間の世界に行く方法」
「あるよ」
「そうですか。……安心しました」
「わしに聞かないんじゃね、その方法」
「はい。自分で探してみます。簡単に見付けた道を選んでも、満足できそうにないですから」
「うむうむ」
満足げに笑うおじいさん。僕の選択は正解だったみたいでした。
答えは迷いながら探します。自分に正直になれるのは、途方にくれている時だけなので。
「応援しとるよ。わしだけじゃない。あっちから走ってくる、どこまでも素直な心の狐っ子も」
「悠ー!」
大きな声に振り返ります。なつめが結構な速さで駆けて来ました。
「なにしよったと? ひとりぼっちで」
「やだな、おじいさんもいるよ。さっきまで話してたから……あれ?」
すぐに振り向きましたが、おじいさんの姿は消えていました。
見晴らしのいい風景。隠れる暇はありません。
「おじいさん……? や、やめてよ悠! 怖い話なんてしたらいかんよ!」
「ごめんね」
「さっきの黒板に落書きして遊ぶったい。帰ろ」
「うん」
返事を聞いてから、なつめは僕の手を少しだけ乱暴に引っ張ります。
やり残したことがある。分かってはいました。粘土のようにあやふやだった心は、おじいさんの言葉で固まりました。
僕は人間の世界に行きます。たとえ、それが原因でなつめたちと会えなくなったとしても。
人が成長するためには、避けて歩けない一方通行の道もありますから。