23.あらゆる物事は常に表裏同体
ふらりと居間に来てみれば、ゆりえさんがちゃぶ台に向かって正座をしていました。
そしてちゃぶ台の上には、遠目からでも不気味な市松人形(オカルト系)が置かれています。
「こわっ!」
「あら、悠さま」
飾らない感想が口から飛び出しました。
だらりと長い黒髪に、人形ゆえ生気のない顔色と両眼。もはや恐怖の対象でしかありません。
「ふふ、これはわたくしの家にあったものです。てっきり火事で焼けたと思っていましたが」
「いましたが……?」
「今朝起きてみたら、わたくしの腕の中から出てきたのです。抱き枕にした記憶なんてないのに」
「いやこわっ!!」
真昼なのに怪談話を披露するゆりえさん。なんでそんな冷静なんすか。
「それって大切なものなんですか? 早く捨てた方がいいんじゃ……」
「そんな、なにをおっしゃるのですか悠さま。よく見てください」
「え……ううう」
ずいっと人形を僕の正面に向けるゆりえさん。うえっ。だめですやっぱり僕にはこういうの。
「かわいくないですか? 悠さまさえよかったら、居間のすみに飾ろうと思うのですが」
「かわいくないです!」
つい本音が出ました。いくらゆりえさんのお願いでも聞けません。
まさかゆりえさん、もう呪われてるんじゃないでしょうか。そのせいで感覚が麻痺してるとか。
「おはよー悠ゆりえ、ってなにそれこわっきもちわるー!! ゆりえ頭おかしいんじゃなかと!?」
遅れて居間に来たなつめのド直球な文句。よかったです。なつめは汚染されていません。
「いえいえなつめ、よく見てください。特に目元がかわいいです」
「ばか!? ゆりえかむばーっく! 待ってて、すぐにあたしが正気に戻したげるけん!」
早口で言い終えると、なつめは人形の頭をわしづかみします。
「こんなもの、ぶん投げちゃえばそれまで……遠くに、捨てるだけで」
「なつめ?」
動きが止まりました。なつめは人形をちゃぶ台に優しく置きます。
「いや……よく見ればかわいいとよ。今日から居間に飾るったい。さらさらきれいな髪の毛やねー」
「分かっていただけて嬉しいですわ」
「二人ともー!?」
負傷者二名です。無事なのは僕だけとなりました。戦況は劣勢です。
人形の首が不自然に傾いていました。その眼は僕を凝視しています。次はお前だと言わんばかりに。
(ま……負けるかっ)
ここはみんなの家です。僕たちが安心して暮らせる場所です。乗っ取りなんて許せません。
もしも今夜なにか起きたら、僕がなつめとゆりえさんを守ります。
―――――
深夜に目が覚めました。
しいんと静まり返った室内。豆電球の薄明かり。居間の端にたたずむ人形。
なつめとゆりえさんは、僕の左右で眠っています。静かな寝息を立てながら。
(今なら……あいつを)
あいつを遠くに捨ててやれそうです。ふれると危険なので手袋をして。とにかく急がないと。
上半身を起こした僕の耳に届いたのは、すーっと何かがすべる音でした。
(……え)
正面のふすまが開いていきます。風もないのに、じわじわゆっくりと。
ふすまの先の廊下には、口元から血を流したままの、乱れた黒髪の女性が立っていました。
忘れもしません。怪談話の夜に見た幽霊です。恐怖がよみがえります。
「わあああ!!」
「こんばんは……夜中にすみません」
挨拶いらないです。もう会わなくて済むと思ったのに。まったく嬉しくない再会となりました。
あの時よりは柔らかい雰囲気ですけど、まず口と白装束の血をなんとかしてください。
「ぜ、前回が最後じゃなかったんですか!?」
「……私が来ては迷惑だったでしょうか?」
「いえっ! そんなことは決して! また会えて超嬉しいっす!」
絶望に屈する僕。人形とのはさみ打ちです。やられました。まさか複数での襲撃だったとは。
「この日が来るのを……どれだけ待ったことか」
幽霊は足を動かさず、床をすべりながら僕の方に移動してきます。
(やられるっ……!)
勝てそうにありません。とっさに両腕で視界をさえぎります。
しかし、いっこうに痛みは来ません。ふと目を開けると、幽霊は人形を抱きかかえていました。
「遅れてごめんね」
人形に語りかける幽霊さん。母親のようにおおらかな声色でした。
「うん。ようやく会えたね、お母さん」
少し遅れて、人形からも声が聞こえます。僕より幼い少年の声でした。
どちらにも共通しているのは、安心感に満ちた喋り方。それはまるで、離ればなれだった家族が再会した時のような。
「寂しくなかった? どこも怪我してない?」
「大丈夫だよ。この人たちが、僕を捨てずに可愛がってくれたんだ」
「ありがとうございます。おかげで無事……息子に会えました」
「な、なるほど……そういう関係なんですね」
どうやら、幽霊さんと人形さんは実の親子だったみたいです。
いつの間にか幽霊さんの外見は、普通の女性のように変わっていました。
よく見ると人形さんもかわいらしいです。一安心しました。幽霊さんも人形さんもいい人で、
「はい。でも、もしも息子を傷付けていたら、あなたたちを生かしてはおけませんでした。ふふふ」
「もし僕を捨ててたら、きみのこと殺そうかと思ってたんだ。えへへ」
「はは……は」
いい人じゃないです笑えません。捨てなくてよかったです本当に。
「ありがとう。狐さんと雪女さんにもよろしくね」
「では、私たちはこれで。怖がらせてごめんなさい。もう、会うこともないでしょう」
「……はい。どうか、末永くお幸せに」
でも、いざ別れとなると淋しいものでした。あんなにびびらされたのに。
幽霊さんと人形さんの体が消えていきます。二人の未来は明るいものになる。根拠はないけど、そう感じました。
「よければ、あなたも一緒に行きませんか?」
「おことわりします!」
「なあんだ、残念」
それが、二人と交わした最後の会話でした。
室内は静けさに包まれます。風鈴の音色は、月下を散歩する夜風に溶けていきました。
―――――
翌朝。なつめとゆりえさんの雑談で起きます。
「おはよー悠。ねー聞いて、朝起きたら人形がなくなってたとよ」
「ん……そうなんだ」
「でも、これが代わりに置いてありましたわ」
ゆりえさんが示す先には、透明の花瓶に挿された、粉雪のように可憐な花がありました。
花びらは白く、耳飾りみたいに、ゆったりと頭を下げて咲いています。
「スノードロップですね。花言葉は希望。とても前向きな花です」
(……もしかして)
あの親子が、僕たちのことを思ってこれを。
希望を捨てなければ救いはある。願いを叶えた二人ならではの説得力がありました。
「しかし……これが贈り物だとすると、花言葉も変わってしまいます」
「え?」
若干表情をくもらせるゆりえさん。
「贈られたスノードロップの花言葉は……あなたの死を望みます。贈り主が知っていたかは、定かではありませんが」
「そ……そうなんですか。そんな意味が」
「へー、まあ、あたしは気にしないったい! きれいだったらよかとね」
「なつめはいいなあ……」
残念ながら僕は、なつめみたいに能天気にはなれなそうでした。
あの親子、絶対分かっててやってます。冗談じゃないです。まだまだ向こうには行きません。
頑張って生きてやろう。そう思えました。