21.なかなかどうして通じない白黒慕情
バケツの水を庭の空中にまき散らすなつめ。きらきら細かな霧が舞います。
「ほらほら悠! さわれるくらい近いったい! きれー!」
「うん、ほんとだね」
そして昼下がりの太陽の協力により、鮮やかな虹が生まれました。
僕より何十倍も生きてるくせに、子供みたいにはしゃげるなんて。まだまだ若い者には負けんわいってことですね。
「ようし、もう一回」
地面に置いた別のバケツを持ち上げるなつめ。
そんな折、なつめの背後に近付く人がいました。滝沢さんです。遊びに来てくれたようでした。
「あ、なつめ待って。まだやらない方が」
「そーい!」
僕の忠告より早く、なつめは自分の周囲に水をバラまきます。
水は滝沢さんにうまいこと命中。拡散する前だったせいか、滝沢さんはズブ濡れになっていました。
「あれ? 滝沢。そんなに水浴びしたかったと?」
「いやあ、今日は暑いですからね。ご褒美ありがとうございます」
相変わらず怒らない滝沢さん。もしかしてわざと当たりに行ったんじゃ。
「それはそうとなつめさん、今夜暇していますか?」
「今夜? うーんとね、今夜は悠をたかいたかいしていじめてやろーと思ってるけん」
やめてください子供扱いしないでください。
滝沢さんから妙な真剣さを感じます。なつめは気付いていませんが、この雰囲気はおそらく、
「今夜は祭りなんです。俺と祭りデートに行ってくれませんか?」
二度目のデートのお誘いでした。朝に打ち上がった花火は祭りの知らせだったみたいです。
「デート? うんよかよ! 前は楽しかったけん。また行きたいなーって思ってたとよ」
「まじっすか! よっしゃ、ありがたき幸せ!」
歓喜する滝沢さん。なつめのどこがいいのでしょうか。自由だし乱暴だしデートの意味を間違えているのに。
「いってらっしゃい。留守番は任せて」
「いや、せっかくだから悠くんも行こうぜ。ゆりえさんも誘ってさ」
「え、僕らも一緒で大丈夫なんですか?」
意外な提案が届きました。それだともうデートじゃないような。
でも言い換えれば、やましさが一切ないことの表れです。さすが滝沢さん。なつめにはもったいない良い男。
「じゃあ今夜、みんなで出かけるったい! 桐谷は来ると?」
「妹には断られました。あにきの恋路を邪魔したくないとかなんとかで」
「こ……こいじ? なんねそれ、たべもの?」
「はっはっは、まあそんな感じです」
なつめの天然さをもフォローするナイスガイ、じゃなくて滝沢さん。
正直僕は邪魔そうですが、夏浜町の祭りには興味があるので楽しみです。
―――――
そして夜。僕たちは祭り会場に来ています。意外と想像通りの雰囲気で安心しました。
ちなみにゆりえさんは来ていません。どうか理由は察してください。
祭りばやしと話し声のにぎやかさの中、僕たちは出店に包囲された石畳の道を歩きます。
「あっ滝沢ー、口の横にアイス付いてるったい。とったげる」
「おっと、ありがとうございますなつめさん。気が利きますね」
「よかよそんなの。わー、あっちにおめん屋あるけん。行ってみるとよ!」
「ははは、いいですね。行きましょうか」
(なんだこれ)
いちゃつく二人。その後ろを、黙ってかき氷を食べながら付いていく僕。
すごいみじめな気分です。家でゆりえさんと過ごすべきでした。かき氷の冷たさが心にしみます。
「すいませーん、おめんくださいな、あれ?」
「あ」
屋台の人に話しかけたなつめ。なにかを発見したみたいです。
屋台の売り子は、まさかの黒葉さんでした。甲冑じゃなく黒い和服姿です。よく似合ってます。
「銀ちゃん! なにやっとると? こんなとこで」
「えと……人見知りの、克服。ミーさんもいるんだけど、今は買い出し中」
「そっかー、頑張っとるんやね。ところでミーさんってどこの誰?」
「包帯のお医者さん。しゃべり方が変な人」
「あーあのあれ!」
盛り上がるなつめと黒葉さん。さっそく仲良しになっていました。
そんな中、なぜか滝沢さんだけは周りを気にしています。そわそわと落ち着きません。
「滝沢さん、どうかしましたか?」
「ああ、いや……そのだな、なんというか」
あやふやな態度。滝沢さんにしては珍しいです。分かりましたあれですね。
「トイレなら、あっちの方にいい感じの草むらがありましたよ」
「いや、違うんだ。これから打ち上げ花火なんだけどさ……俺、なつめさんに告白しようと思う」
「なんだ腹痛じゃなかったんですね、ってえ゛!?」
変な声が出ました。これは一大事です。よもや王道の流れになるとは。
滝沢さんに対するなつめの印象、決して悪くないです。祭りの空気もあり、成功の可能性は高まっています。
僕には見守ることしかできません。どうなる滝沢さん。果たしてなつめに意味は通じるのか。待て後半。
―――――
人の気配のない、草の柔らかな土手に座ります。
ほのかな暗闇。虫の声。これから花火が始まるということで、なつめはわくわくしています。
滝沢さんは無口です。もちろん僕も。真剣な時、おのずと男の口数は減るものです。
「もうすぐ祭りも終わりやね。今夜は楽しかったとよ。ありがとー、滝沢」
「俺の方こそ、いい思い出になりました。けど、まだ終わっちゃいません」
「そやね、花火があるけん。あ、始まったー!」
星の空に、明るい花火が咲き始めました。
連射式の花火、色付きの花火、大きな花火が次々と描かれていきます。
すべてが整いました。滝沢さんの心臓の鼓動が聞こえるようです。僕まで緊張してきました。
「なつめさん。聞いてほしいことがあります」
「ん、なーに?」
滝沢さんの急な言葉に、なつめも花火から視線を外して向き合います。
ついに行きますか滝沢さん。終わっちゃいないという言葉の意味、今こそ教える瞬間です。
「なつめさんと一緒にいると楽しいです。なんというか退屈しません。すごく明るくなれて」
「うん」
「それで……よかったら、俺と付き合っ」
「はくしょーん!!」
なつめのでかいくしゃみが響きます。やっちまいましたこの人。いつかやらかすと思ってました。
「あ、ごめーん。ちょっと鼻水出たけんかまないと。ずびびびび!」
盛大に鼻をかむなつめ。念のため言っておくと、きちんとティッシュは使ってます。
デートの最中、しかも告白の場面で堂々と鼻をかむなんて。自分を飾らないにもほどがあります。
「お待たせ滝沢ー。さあ、続き聞くとよ」
やがて鼻掃除を終えたなつめ。ようやく滝沢さんも困った顔を解除できました。
「じ、じゃあ話しますね。初めて会った時から、俺の気持ちは変わりません。いつか言おうって決めてました」
「うん」
再度告白の流れ。雰囲気よし。背景よし。鼻水よし。二人を邪魔する要素はありません。
花火だって祝福してくれています。丁度よく打ち上げられた、ひときわ大きな花火。それは運悪く、
「なつめさん、俺と付き合っ」
滝沢さんの声を残像ごとかき消し、闇夜に明るい緑色をちりばめました。
「わー! すごーい! でっかい花火やねー!」
大気を振動させるほどの豪快さに、なつめも花火に意識が向きます。またしても失敗でした。
「……なんてこった」
がっくしな滝沢さん。思わぬ裏切りです。そして、三度目のチャンスは訪れてくれませんでした。
「やあ、こんな所にいたんだネ。探シタよ」
後ろから聞こえた妙な発音の声。振り返った先にいたのは包帯のお医者さんことミーさん。
「黒葉サンからの伝言でネ。みんなで焼きそば食べるから来てホシイんだってサ。オイデヨ」
「わー、ありがと! さっそく向かうけん。ほら二人とも、はやくはやくー!」
せっかちなミーさんとなつめは、黒葉さんの待つ屋台に向かって走り始めていきます。
すでに遠い後ろ姿。滝沢さんの戦いは、静かに終わりをむかえました。
「……結局、言えなかった」
どんよりとつぶやく滝沢さん。そっと滝沢さんの肩に手を乗せます。
「……なつめは鈍感なやつですから。ふられたわけじゃないです」
「……ありがとな。また、頑張ってみるよ。よしっ、焼きそば行くか」
「そうですね」
すぐさま立ち直る滝沢さん。男前は切り替えも早いのでしょうか。僕には分かりません。
星空に羽ばたいた打ち上げ花火は、はかない白煙だけを残して、思い出の中に消えていきました。