20.かなたより鳴る誓いの協奏旋律
家の大掃除をすることになりました。
それなりに広い古民家なので、三人で協力した方が早く終わります。
「電球の掃除はあたしがやるとよ。悠は背が小さいけん、届かんもんね。なにせ背が小さいけん」
「うんありがとう。でもなんか悔しい」
わざわざ繰り返さなくていいです。少しは背も伸びましたが、まだなつめの方が大きいです。
僕は別室に移動します。その途中、ふといたずら心が芽生えました。
(なつめの部屋でも物色してみようかな)
普段なら、始めた瞬間になつめからサソリ固めをくらうので、警備の手薄な今がチャンスです。
そんなわけでお邪魔します。部屋は六畳くらい。置かれてる家具は古いタンスくらいのものです。
空き巣の気分でタンスの引き出しを開けると、中にあったのは百合鬼灯の実でした。
それは枯れることなく、ゆりえさんが僕にくれた日のまま、雪のような白さを保っています。
(しまっておこう)
飾るとなくすかもしれないので、このままにしておきます。とても大切なものですから。
続いて下の引き出しを開けると、少し傷んだノートが出て来ました。表紙には何も書かれていません。
(ポエムノートかな?)
心と書いてキズナでしょうか。なつめの前で読んだらアキレス腱固めされますが、今回は大丈夫ですいけます。
ページを開きました。えんぴつで紡がれた言葉たち。その中の、とある部分が目に止まります。
―――――
【なつめ】
人間の世界って、どんなところなのかな。やっぱり、あぶらあげとか食べ放題なのかな?
↓
【みさき】
うん、そうに違いないけん。またなつめちゃんと会える時は、おみやげのあぶらあげ渡しに行くとよ。
↓
【なつめ】
ホントに? また会おうね! 約束だよ! あたしはスイカごちそうするね。
―――――
(なんだろうこれ?)
交換日記でしょうか。
しかし、みさきという方の名前は聞いたことがありません。なつめの知り合いなのでしょうけど、一体どういう関係、
「見たなああ……?」
「えっ」
振り返ります。なつめの顔が眼前にありました。
「あれほど! ポエムノートは見ちゃだめって言ったとに! 悪い子はお仕置き! 脇腹くすぐり!」
「ひあああ! み、見てないよ僕が持ってるの交換日記だからあああ!」
「へ? なあんだ、早く教えてほしかったとよ」
くすぐり地獄から解放してくれたなつめ。これがポエムノートじゃなくて心底よかったです。
「げほっ、やっぱり交換日記だったんだ」
「うん。それはねー、人間の世界に引っ越した、あたしの親友との交換日記やけん」
「人間の世界に?」
あっちに行く方法があることは黒葉さんから聞いていたので、さほど驚きはありませんでした。
「あたしのしゃべり方も、その友達が使ってたものやったったい。昔のあたしは標準語だったとよ」
「標準語のなつめ……うん、今の方がいいかも」
想像してみたら違和感だらけです。なつめのアイデンティティー(正しい発音です)のひとつですから。
「その友達とは、もう会ってないの?」
「そやね。もう会えないって約束やったから。だから、あたしはこのしゃべり方を使い続けてるけん」
「どうして?」
「あの子とあたし。言葉の響きを通して、今も繋がってる気がするとよ」
懐かしい表情を見せるなつめ。なつめの特徴的な喋り方に由来があるなんて意外でした。
「あの子はあたしの、心の中で生きてる。それだけで充分たい」
二度と会えない人との繋がり。目に映らないからこそ、何度も思いをはせてしまいます。
人は死んだら終わり。なつめが話していた死生観ですが、それを否定したのもまた、なつめ本人でした。
「あのさ、なつめ」
「なーに?」
ふと、意地悪な質問をしてみたくなりました。
「もし……もしだけどさ、僕が人間の世界に帰るって言ったらどうする?」
別に本気じゃありません。からかっているわけでもないですけど。
なつめは目を丸くしていましたが、やがて真面目に答えてくれました。
「たくさん殴って考えを変えさせるばい」
「え」
「きっちりシメてやれば、変な考えも起こさなくなるとよ。教育は、時に鉄拳制裁もせないかんけん」
「過激派だ……」
もっと優しい答えが欲しかったです。少しだけ期待していたのに。
「うそうそ。冗談たい。寂しかことやけど、悠の人生やし。あたしはそっと見送るとよ」
「よ、よかった……びっくりさせないでよ」
心の声が届いたのか、訂正してくれました。
「でも、できればいなくならんでほしいけん。悠はあたしの大切な人やもん」
「なつめ?」
「好いとうよ、悠のこと。こういうの、ぜったい普段は言えんけど……あたしは悠のことが」
「な……なつめ」
見つめ合うなつめと僕。なつめの顔が僕に近付いてきます。
ま、まさかこれは。青春の代名詞で、ほろ苦いとか甘酸っぱいとか噂されているあの。だけど心の準備もまだなのに。
ぴたり。なつめの動きが止まりました。僕の左目付近をじろじろと観察しています。そして、
「やっぱり、まつげが付いてたとよ。目に入ると痛いけん、気をつけて」
「あ、そっちなんだ……どうもありがとう」
「いいえー」
まつげを取ってくれました。僕の勘違いでした。恥ずかしいです。なつめなんかに照れてしまった自分にむかつきます。
ほんとに鈍感です、なつめは。人の気も知らないで楽しそうに。
―――――
大掃除も一段落付きました夕方。みんなで居間に集まり、以前のスイカの残りを食べています。
「疲れましたわ……」
「ゆりえは体力ないけん。たまには運動しないといかんよー」
「なつめは元気ですね。まさか、さぼったりはしていませんよね?」
「ぎくぅ! あ、あたしはいつでも真面目たい」
「……あまり汗をかいておりませんが」
「ぎくぎくぅ! で、でもほら、電灯は綺麗になってるとよ!」
天井を指差すなつめ。とりあえず電灯だけは綺麗になっていました。
ちりん
なぜか風鈴が鳴ります。風もないのに。まるで誰かが鳴らしたように透き通った音でした。
みんなで振り向けば、いつからあったのか、風鈴の下に置かれた白い皿。
まるで今しがた届けられたかのように、きれいな狐色のあぶらあげが乗せられています。
「……うそ」
立ち上がるなつめ。あぶらあげの側まで行きます。すかさず思い出したのは、交換日記に書かれていた内容でした。
「あら、なつめ? いつの間にスイカを食べ終えたのですか?」
ゆりえさんの声。なつめの皿に乗っていたはずのスイカが、こつぜんと消えています。
なつめからはスイカを。みさきさんからはおみやげのあぶらあげを。
いずれまた会えた時、お互いがほしかったものを交換するという、はかない契り。
「そっか……約束、守ってくれたんやね」
小さく微笑むなつめ。交換日記のこと、なつめもきっちり覚えていました。
ここは夏浜町。妖怪たちの暮らす町。不思議な出来事は、誰にでも平等に舞い降ります。
遠い夏の日に交わされた約束は、ありふれた日常と音色の中で、しっかりと結ばれたのでした。