16.町と街を重ね合わせる二者対談
「体に異常はないみたいだネ。すぐに怪我が治ったのは、おそらく今のキミが妖怪だからだヨ」
「やっぱり、そうじゃないかなと思ってまし、あっすみませんいただきます」
「美味しいよ。なんとあの有名な、たぬきおやじ特製だヨ」
「誰ですかそれ」
包帯巻きのお医者さんは、約束していた通り、固そうな醤油せんべいとお茶を出してくれました。
連続の暑さも少しだけ和らいだ吉日。診療所にて一対一の診察中です。
「ソレにしても興味深い……医学の発展のタメに、キミを人体実験に使わせてくれないかな?」
「もちろんだめです」
「だよネ」
痛そうですから。僕に得がありませんから。
「そうだ。実はね、キミに会いたいと言ってた人がいるんだ」
「えっ……たぬきおやじとかですか?」
「座敷わらしサ。とは言っても元は人間だヨ。キミと同じでネ」
「僕と同じ……」
お医者さんは、僕にとって大切な情報をもたらしてくれました。
どこから僕の存在を知ったのでしょう。情報網の広い座敷わらしさんです。
「とても恥ずかしがり屋でネ。二人きりじゃないと会ってくれナイんだ」
「た、大変そうですね」
「だから申し訳ないケド、あっちの家に行ってあげてくれないかな。連絡しとくからサ」
「分かりました」
そう言うとお医者さんは、さらさらと紙に地図を描いてくれました。
あまり遠くの家ではなさそうなので、散歩がてら立ち寄れそうです。
「これはおみやげのたぬきせんべい。あっちの家を訪ねる時は、ミーさんの件で来ました、って言うのを忘れないでネ」
「ミーさん?」
「ワタシの名前」
「え」
そんなにかわいい名前だったんですか。全身包帯の奇怪な見た目と差がありすぎます。
―――――
景色のいい山林を進んでいくと、一軒の民家にたどり着きました。
古民家ばかりの夏浜町では珍しく、現代風の外観です。いかにも元人間が住んでいそうです。
緊張しながら呼び鈴を押しました。この音を聞くのも久しぶりです。
しかし出てくる気配はありません。そうでした。こんな時はたしか、
「ごめんください。ミーさんの件で来ました」
こうですよね。
かちゃっと、少しだけ扉が開かれました。かすかな隙間から、何者かが僕の方を覗いています。
「あの、連絡が行ってたと思うんですけど、ミーさんの件で」
「…………」
無言の重圧。
「人違い、でしたか? 長月悠を待ってたとかっていうのは……」
「…………」
無感情な眼差し。だめです耐えきれません。
「ないですよね。ごめんなさい間違えましたすぐに失礼します」
なんだか、ものすごく冷たい視線を向けられている気がしました。
おととい来やがれ、と思われてる感じがするので、速やかに撤退します。ミーさんにささやかな苦情を言わないと。
「まって」
背中の方から扉の開く音が聞こえます。
姿を見せたのは、僕と同い年くらいに見える、黒い和服姿の子供でした。
長い黒髪のおかっぱ頭は、いかにも座敷わらしな雰囲気です。外見からは性別が判断できません。
「怒ってたんじゃ……」
「それはちがう。ひさしぶりに喋ろうとしたから……声が出なかった。人見知りはつらい」
「じ、重症ですね」
かすれ声で話す座敷わらしさん。中性的な声です。少年なのか少女なのか。
どうやらこの方で間違いなさそうです。僕と同じで元は人間だった妖怪は。
「ところで、それ」
「?」
座敷わらしさんは、僕が持っているおみやげの袋を指差します。
「たぬきおやじのたぬきせんべい。超おいしい」
「あ、本当に有名だったんですね」
「ください。ぜひとも、じひぶかきおめぐみを」
「はい。どうぞ」
「ありがとう。かみはわたしを見捨てない」
遠慮がちに受け取る座敷わらしさん。その場で食べ始めました。かりかり。
なんだか不思議な人です。うつろな目付きで。人見知りの割には普通に会話できてますし。
「黒葉」
「えっ」
「わたしの名前。あなたのお名前なんですか」
「えっと、長月悠です。十四歳になりました」
「……こどもだね」
「むかっ!」
お互いに自己紹介をかわした結果、子供に見られてしまいました。あんまり黒葉さんと変わらないと思うのですけど。
その時、僕は小さな疑問に気付きます。
「黒葉さんって、元は人間なんですよね。その頃の名前はないんですか?」
「……それはゆっくり話すとして。ひとまず家に入りやがれこのやろう」
「分かりましたこのやろう。こうですか?」
「上出来」
ぐっと親指を立てる黒葉さん。性別だけでなく言動も読めない人です。
―――――
家の中は整理されていました。見事なまでに無駄なものがありません。
和室の中、出された座布団に座ります。こうして向かい合うと落語の修行みたいですよね。分からないですけど。
「わたしは望んで妖怪になった。そうしたらなぜか昔の名前を忘れた」
「さ……災難でしたね。というか意外と行動力あるんですね」
「それほどでも。悠はどうして妖怪に?」
「寝起きドッキリ仕掛人だったからです」
「?」
疑問符な黒葉さん。事実なので仕方ありません。
自分から妖怪になるなんて、なにか深い事情がありそうです。わざわざ聞きませんけど。それよりも気になるのは、
「黒葉さんは、人間に戻りたいと思いますか?」
「ぜんぜんまったく。妖怪最高。けがもすぐ治る。人間さいてーみんな死ね」
「死ね!?」
ほんと何があったんでしょうか。人生いろいろとは言いますが。
「もしかして悠は、人間の世界に帰りたい?」
「え? それは、えっと」
いきなりの質問に面食らいました。そっち方向には考えたことがなかったからです。
「それなら朗報。ある方法を使えば、夏浜町と人間の世界を行き来できる」
「え……えええ!?」
「びっくりした?」
びっくりなんてもんじゃなかとです。夏浜町への道は一方通行と思ってましたから。
しかし僕は、人間の世界と決別するつもりで夏浜町に来ています。あっち側に今さら未練なんて。
「戻らなくて平気?」
「はい大丈夫です」
「答えるのがはやい……もう少し悩むべき」
げんなりする黒葉さん。その点に関しては心配いらないです。
「僕の居場所はここにありますから。みんな素敵な妖怪ばかりです」
「知ってる。みんなで仲良くターバン諭吉を折ってるところを見てた」
「どうしてそれを!?」
「わざわざお金を林の中に戻してくれるなんて。悠だけは、わたしの視線に気付いてたみたいだね」
「……あー」
回想します。林の中で僕が感じた視線は、ストーカーな黒葉さんのものだったみたいでした。
「ちなみにあれはわたしのお金。いらないから捨てたんだけど」
「……いったい何者なんですか黒葉さんは」
「ひみつ」
そう言われると気になります。いつか教えてくれると期待しています。
「行き来する方法までは、わたしも知らない。探してみるといい」
「そうですね、考えておきます」
「……さて。わたしはたぬきせんべいを食べたい。だからとっとと帰りやがれこのやろう」
「はい。教えてくれて、ありがとうございました」
「気をつけてね。あっ、また会いに来てね」
黒葉さんは不器用に微笑みました。たまに言葉が荒いのは喋り慣れてないからですきっと。
こうして、ちょっと変わった座敷わらし、黒葉さんとの最初の対談は終わりました。
人間の世界。あんまり興味はありませんが、せっかくなのでのんびり方法を探してみます。
玄関扉を開けると、おだやかな夏風が吹きました。あとは家に向かいます。なつめとゆりえさんが、帰りを待っていますので。