12.日常における小さな状態変化
僕たち三人が足を運んだのは、家から少し歩いた場所にある小さな診療所でした。
数日前、ポストに入れられていた健康診断の案内がきっかけです。なつめいわく、忘れそうな頃に来るのだとか。
お医者さんは、ゆりえさんに続いてなつめの診察を終えます。
「ハイ、オワリ。キミも健康そのものだネ。チョット口内炎があるかな? 夜ふかしはいけないヨ」
「すごーい! 見てないのに分かるんやね。まるで医者みたいやけん」
「さすが、夏浜町で一番のお医者様ですわ」
感激しているなつめ。ゆりえさんの補足にも納得できました。
ところでこのお医者さん、全身が包帯でぐるぐる巻きです。声は若い成人男性ですが、ちょっと喋り方がカタコトしてます。
診察のやり方も変で、腕から伸びた包帯の先端で、服の上から体の表面をなでるだけというものです。
「じゃ、最後はキミか」
「よろしくお願いします」
だけど体の異常は百発百中です。患部を確認せずして、なつめの口内炎とゆりえさんの肩こりを言い当てていました。
椅子に座ります。包帯の先端が僕の体をなでます。ゆるゆるふわふわ。
「キミは人間かい?」
「え、分かるんですか」
「もちろん。それがワタシの仕事だからサ」
驚きました。まだ始まったばかりなのに。さすがプロは違います。
まあ若いので僕は健康のはずです。規則正しく生きてますから。そう楽観視していました。
「うーん、大きな病気はしてないみたいだケド」
しばしの沈黙の後、お医者さんは衝撃的なことを口にします。
「キミ、ずいぶん前から心臓が止まってるネ。もう気付いてた?」
「……えっ?」
意味が分かりませんでした。気付いてるわけないです。知ってたらターバン諭吉に熱中してません。
「貸したげるヨ」
「そんな、まさか」
聴診器を受け取ります。あたふたと装着し、自分の心音を聞いてみました。
無音。
手首や首からも脈拍を感じません。でも体調は普通です。いつから僕は歩ける死体に。
「……まさかでした」
「妖怪化症候群、とでも言うべきかな。寿命は変わらないケド、妖怪になるんだヨ」
「か、体に害が出たりはしないんですか?」
「なにしろ症例が少ないからネ。けど死にはしないよ、たぶん」
「たぶんって……」
よりいっそう不安になりました。
心臓が止まっている。でも僕は健康そのもの。今まで全く気付かなかった。つまりあからさまに心配する必要はない。
いやいやいや。落ち着けませんから。今は大丈夫でも、いつ変なふうになるか。とにかくだめなものはだめです。
「じきに治せるかもしれないからサ。また来てよ。お茶菓子も出すカラ」
「……醤油せんべいでお願いします。固めのやつで」
「準備しとくヨ」
お医者さんはニヤリと笑みを浮かべた、ような気がしました。包帯ぐるぐるなので分かりません。
今後どうなるのでしょうか。しばらく診療所との縁は続きそうです。
―――――
「はあ……どうして僕が歩く死体なんかに」
「そんな落ち込むことなかとね。妖怪よかよー。ついにあたしと一緒の存在になれたとよ」
「なつめと、一緒の?」
「うんうん」
「……はああ」
「こらあ! ため息は傷付くけん、やめてー!」
帰宅した後、なつめは僕を元気付けてくれました。なにげに効果抜群だったのは秘密です。
落ち込むというよりは混乱しています。人間だったのが急に妖怪ですから。
「悠さま。お気を落とさないでください。なつめはともかく、わたくしは悠さまを見捨てませんわ」
「……そうですね。なつめはともかく、ゆりえさんがいてくれるなら大丈夫ですね」
「あれれ? あたしたち仲良しでよかよね? なんか今日は二人とも性格ひどかよー?」
ゆりえさんも一生懸命に僕を励ましてくれます。
二人が側にいれば、人間だろうと妖怪だろうと関係ない。そんなふうに感じました。
「ありがと、ゆりえさん。妖怪になっても、僕は僕ですよね」
「ねーねー、あたしにも感謝の言葉はー?」
「お礼をねだるところが、よくばりななつめらしいですわね」
「あっ言ったなー! がっぷり相撲なら負けんとよ! きええええ!」
「受けて立ちますわっ! やああああ!」
なつめとゆりえさんは取っ組み合いを始めてしまいました。仲良しです。
なつめにお礼を届けなかったのは、いじわるとかじゃなく、きちんとした理由があります。
―――――
すっかり陽の落ちた夜。なつめは一人で縁側に座り、さらさらそよぐ夜風を浴びていました。
僕は後ろから近寄って、なつめの側に座ります。
「悠。あっ、そんなにあたしの隣がよかったと?」
「ううん別に。でも、そういうことにしてあげてもいいよ」
「もーなまいきー!」
「わー!」
僕の髪をかき乱すなつめ。いつものやり取りです。とても安心します。
今なら僕は、妖怪にだってなれます。みんながいてくれるから。なつめがいるから。
「なつめ」
「なーに?」
「いつもありがとう」
あらためて、感謝の気持ちを音に乗せます。
「僕が初めて夏浜町に来た時、なつめは理由も聞かずに、僕に住むところをくれたよね」
「ただの気まぐれたい。特別なことじゃなかよ」
「朝起きた時、この家の天井が見えると……すごく安心するんだ。今日もなつめと一緒にいられるんだ、って」
「……あたしは、いつも悠の側にいるとよ。妖怪は長生きやけん」
なつめはかすかに照れつつ聞いてくれました。
小さな虫の声と、手作り風鈴の音が、静かな空気を仕立てています。
「だから……その、もし僕でよかったら」
「うん」
「これからも、よろしくお願いします。たまには、なまいきなこと言うかもしれないけど」
「水くさいったい。……あたしの方こそ。これからも一緒にいようね、悠」
そのおかげで、久しぶりになつめと本音を分かち合えました。
まだ隠している気持ちはありますけど、今は内緒にしておきます。
「ふふふ。……見てしまいましたわ」
どこからか聞こえる笑い声。ふすまの陰から顔を出したのはゆりえさん。
どうやら、なつめをからかうための材料を探し当てたみたいです。
「げげ! ゆりえー!?」
「これからも一緒にいようね、ですか。うふふふ、なつめもそういうこと言えるのですね」
「真似するんじゃなか! もーさいあくー! ゆりえに見られたー!」
顔を両手で隠すなつめ。やっぱりなつめには、明るい姿が似合います。
「いやあ、かわいかったですわ。二度三度と見たい光景でした。アンコールを希望いたします」
「せからしかー!(うるさい) がっぷり相撲ばい! きええええ!」
「受けて立ちますわっ! やああああ!」
再び取っ組み合いが開始されました。ほほえましい光景です。
やっぱり、僕が妖怪になっても何も変わりません。朝も夜も普段通りに進んでいました。
なつめやゆりえさんとの距離、もっと近くなれると嬉しいです。