10.隣の芝生に影響された夏空散歩
昼寝から覚めた僕が直面したのは、ゆりえさんの落ち込んだ顔のドアップでした。
「わ! ゆりえさん!」
「今日もいい天気ですわね……ふふ、わたくしには似合わない空模様です」
「どうしよう、ゆりえさんがおかしい」
なにか、元気をなくす出来事でもあったのでしょうか。正座するゆりえさんにだけ影が差しています。漫画みたいに。
「僕でよかったら、話してくれませんか?」
ひとまず起き上がって、ゆりえさんに尋ねます。
「……なつめですわ」
「え」
「なつめが、デートの結果を報告してくれたのです。無事に成功したようで、わたくしも嬉しい気持ちになりました」
語るゆりえさん。なつめと滝沢さんのデートの件に関係しているみたいでした。
ゆりえさんも応援していたはずです。どこに覇気を失う要素があったのでしょうか。
「しかしながら……大変なことを思い出してしまったのです」
「な、なんですか?」
「……わたくしには、デート経験がありません。なつめに先を越されてしまいました」
「そうなんですか!? なんというか、意外です」
こんなにおしとやかなのに。見た目だけじゃ分からないものです。
「わたくしの心の傷を癒せるのは、悠さまのかわいい寝顔だけでした」
「かわいい寝顔とか……初めて言われました」
「そして悟りました。行動するなら早い方がよいのだと」
「?」
銀色の瞳に英気を宿すゆりえさん。そして紡がれた言葉はというと、
「悠さま、わたくしとのデートに付き合ってください!」
「ぼ、僕ですか!?」
「お願い致します! どうか……あわれなわたくしめに救いの手をっ」
青春のお誘いでした。ついに僕にも若者たちの甘酸っぱさが。
ゆりえさんは素敵です。雪女らしく冷静で。そんな人に誘われて嫌なはずがありません。
ゆりえさんのかつてない真剣さ。役に立てるのならお安いご用です。
―――――
というわけで、あたたかい夏空の下、ゆりえさんと散歩デートです。
場所は小さな森林公園。木々が空に向かって背伸びしているため、敷地内は涼しい日かげです。
「いいですね。こんな場所は初めて来ました」
「気に入っていただけてなによりです」
ベンチに座れば、一日中だってセミの声を聞いていられそうです。僕らの他には誰もいませんし。
「あれっ? 悠くんだ。おーいこっちー!」
と思ったらいました。離れた位置のベンチから、桐谷さんが大きく手を振っています。こっちに走って来ました。
「桐谷さん。こんなところで奇遇ですね」
「ボクのお気に入りの場所なんだ。えっと、はじめまして! 滝沢の妹の、桐谷です」
ゆりえさんに握手を求める桐谷さん。ゆりえさんが握り返します。
「ゆりえと申します。会うのは初めてですね。よろしくお願いいたします」
「よろしくね、ゆりえちゃん! 悠くんとはデート中?」
「んなっ! そ、そそそんなはずありませんわ! ただの散歩ですから!」
「あはは。かわいー。冗談で言ったのに」
照れながらごまかすゆりえさん。桐谷さんは爽やかに笑います。
「そーだ。ねえ悠くん、暇ならこれからボクとデートしようよ!」
「っ、え!?」
「いやあ、うちのあにきが、なつめちゃんとデートしたでしょ? ボクも興味わいちゃってさ」
「で、でも今は」
「だいじょーぶ。ゆりえちゃんも一緒でいいから。行こうよ!」
とんでもなく積極的な桐谷さん。有無を言わさず僕の腕に抱きついてきます。ぎゅっと。
途端、ゆりえさんから強い冷気を感じました。やばいですこれ。けんかバトル発生です。
「ちょっと桐谷さん!? 抱きつき攻撃は即刻おやめになるべきですわ!」
「え、どうして怒ってるの? ゆりえちゃんに迷惑かけてないのに」
「あっ、いえ、それは……なんでも、ありません」
うつむいて目をそらすゆりえさん。理由を知るのは僕だけでした。
「変なゆりえちゃん。ほら悠くん! はやくみんなでデートしようよー」
「……悠さま。行きましょう。わたくしのことは大丈夫ですから」
ぐいぐいと腕を引っ張る桐谷さん。身を引こうとするゆりえさん。
たしかに僕たちは、正式な恋人同士ではありません。だからゆりえさんも、無理に桐谷さんを止めないのでしょう。
でも、もしそうだとしても。ゆりえさんの控えめさが伝わったとしても、
「ごめんね。桐谷さん。本当は、ゆりえさんとデート中なんだ」
僕だってたまには、わがままになります。子供だけど男ですから。
「今日だけは、好きになることを許してくれたから。なるべく長く、ゆりえさんと一緒にいたいんだ」
「……悠さま」
「なあんだ、それじゃだめだね。ごめんねゆりえちゃん! 邪魔しちゃって。楽しんでね!」
元気に走り去る桐谷さん。僕たちは、静かな夏模様の中に残されます。
「悠さま、あの」
「行きましょうか。案内、おねがいします」
「……はいっ」
僕も少しは、大人らしくなれたでしょうか。
―――――
夕暮れの朱の下。ゆりえさんは縁側に座って、機嫌よさそうに鼻歌を唄っています。
なつめと僕は、その背中を居間から見ています。
「うーん、ゆりえの様子がおかしいけん。はらかいとる(怒ってる)気がするとよ」
「どうして?」
「あたしが叱られる時の、いつもの流れたい。今のうちに謝りに行くけん」
事情を知るよしもないなつめは、ゆりえさんの方に歩いていきました。
そっとゆりえさんの背後にしゃがんだなつめは、
「そぉれ脇腹ー!」
「きゃああっ!?」
がっつり脇腹をくすぐりました。この性格どうにかならんのでしょうか。
慌てて立ち上がるゆりえさん。怒髪天かと思いきや、ふわりと粉雪のような微笑みを見せました。
「もー、なつめったら。いつも元気でいいですね。これからも、変わらぬあなたでいてください」
「う、うん。よかよ」
ゆりえさんは再び座り直します。かたわらで固まっていたなつめは、よろよろと戻ってきました。
「ゆりえが、おかしくなったったい。最近暑かったからかな……?」
「なつめの方がよっぽどおかしいと思うよ」
一応は心配しているのでしょうか。
「あ、それからですが」
「なーにー?」
振り返って声をかけるゆりえさん。なつめは無邪気に反応します。
「わたくしの家を全焼させたこと、許してあげますわ。そのおかげで、今日は幸せでしたから」
「いいっ!? き、気付いてたとね!?」
「ふっふっふ」
ゆりえさんは意味深に笑います。ばつの悪そうな反応をするなつめ。
ちなみにその後、なつめは夜通しゆりえさんに謝りまくっていました。とても面白かったです。
なにはともあれ、ゆりえさんとのデートは、とても思い出に残るものとなりました。