1.それとなく久しぶりな友情喧嘩
「おおい! こんな昼間に寝たらいかんよっ!」
「わあああ!」
縁側に座って目を閉じていた僕の背中を、同居者が思い切り押しました。
油断していた僕は当然、前のめり気味で庭方向によろめき、近くの草むらに頭から突っ込みます。
「夜に眠れなくなるから、起こしてあげたったい。あたしなりの優しさってやつやね」
「そうなんだ……ありがとう。寝てなかったけど」
形だけのお礼を伝えつつ、草むらから脱出します。なんとか無傷でした。
縁側に座り直します。あたたかい夏風が通り過ぎました。セミの声が遠くから届きます。
暴行犯の名は、なつめ。この広い古民家の持ち主であり、なおかつ僕の同居者です。
いつも赤と白の巫女服を着ています。髪は長い茶色で、見た目は僕より三歳くらい上でしょうか。
「ところで悠は、どこか行きたいところはなかと?」
「行きたいところ?」
「案内したげる。夏浜町にも慣れてきたはずやし」
なつめの性格は、簡単に言うと世話焼きです。
十日ほど前から夏浜町に来ている僕を、自宅に住ませてくれたり。風土についておおまかに教えてくれたり。
「悠は、まだ子供やけん。あたしが側に付いててあげんとね」
「あっ、また馬鹿にしてる! やめてよ、僕もう十四歳なんだから」
「あはは、怒ってもかわいー。なつめお姉さんって呼んでもよかよ?」
「絶対言わないし!」
でも、本当の年齢より子供扱いするのは勘弁してほしいです。
そりゃあ、人間じゃないなつめから見たら、まだまだ若いのでしょうけど。
「仕方ないか。なつめは三百歳だもんね。妖怪って、長生きしすぎて飽きたりしないの?」
「ぜんぜん。人間の方こそ忙しそうったい。たった九十年ぽっちじゃ、人生の三パーセントくらいしか分からんとよ。もったいなかー」
「三百年生きるよりはいいと思うけどなあ……」
僕なら絶対途中で飽きます。だから僕は人間でいいやと感じました。
今の会話から分かる通り、なつめは約三百年を生きている妖怪です。
夏浜町は、妖怪たちが暮らす田舎町。どちらかといえば、人間である僕の方が異端だったりします。
「話がそれたけんね。行きたいとこは決めた?」
「えっと……うーん」
正直なところ、基礎的な情報が不足しているので、提案の出しようがありませんでした。
「迷ってるみたいやね。なら、あたしの友達を紹介させてもらうったい」
「うん。そうしようかな。ちなみに、なつめの友達って誰なの?」
「雪女」
「えっ」
超有名な妖怪でした。
夏浜町は、夏のまま季節が変わらない町。毎日がうららかな天気なのですが、まさか雪女がいるとは。
「行こ、悠! おんぶしてあげよっか?」
「だから子供扱いはやめてよ!」
たびたびからかわれるのは、やや悔しいです。
それはともかく、なつめ以外の妖怪と会うのは初めてなので、ちょっと緊張しています。
きちんと挨拶するのが大事ですよね。初対面では。
―――――
ひんやりした空気に周囲は包まれています。
なつめの案内で田舎道を通って、小さな集落に来た辺りから気温が下がり始めました。
霧がかった物静かな景色の中に、古民家が点在しています。いかにも雪女がいそうな雰囲気です。
「百年ぶりくらいやけん。あたしのこと覚えとるかな?」
「大丈夫だよ、たぶん。きっと」
自信ないです。いろいろと平凡な僕に聞かれても困ります。
「ちかっぱ(すごく)仲良しやったとよ。懐かしかー」
とても嬉しそうに語りながら歩くなつめ。
でも、そんなに仲良しなら、なぜ百年も会わなかったのでしょうか。さすがに間が空きすぎです。
やがて、一軒の古民家に到着しました。なつめの家より小さいです。ここが目的地でしょうか。
「ゆりえー! いるのは分かっとるばい、はよ出てこーい!!」
(なんか借金取りみたいだなあ……)
もっとマシな呼び方はないものでしょうか。
しばしの沈黙が過ぎました。玄関の戸がガタガタと開かれます。
立っていたのは、純白の着物の少女でした。透明感のある肌と長い銀髪が、ひどく幻想的です。
この人が雪女です。じゃないとおかしいです。なつめとは同い年くらいに見えます。
「ゆりえ、久しぶりー」
「…………あ」
ゆりえと呼ばれた少女は、なつめの顔を静かに見つめていました。とても冷静な表情です。
百年ぶりの再会。ゆりえさんの第一声を自分なりに予想していたのですが、
「で、出たあああ!!」
怪物でも見たかのような悲鳴をあげると、ゆりえさんは玄関の扉を閉めにかかりました。
「待ってゆりえ! ほらあたし! なつめやけん、よく見てー!」
しかしなつめは、強引に扉を開けようとします。友達じゃないのでしょうか。明らかに嫌われてます。
「それは飽きるほど知っておりますわ! なにしにいらしたのですか!」
「ひどかあ! ひょっとして、まだ怒ってると?」
「当然ですわ! あの時、わたくしはやめてほしいと言ったのに……とにかく、家に入れるつもりはありません!」
「絶対に後悔はさせんばい! お願い! ちょっとだけ、すぐ帰るから!」
悪質な訪問販売並みのしつこさで、なつめは扉を押さえ続けています。
ゆりえさんは、なつめに何をされたのでしょう。多大な迷惑を受けたのは間違いなさそうです。
「じゃあ、ほら、あたしの同居人を紹介するけん! 長月悠。人間の世界から来たったい」
「……なんですって?」
ゆりえさんが静かになりました。ついでみたいな感じで紹介されると、なんか複雑な気分です。
からからと扉が開きます。ゆりえさんにまじまじと観察されて、恥ずかしいのは秘密です。
「ふふ、優しそうな殿方ですね。ゆりえと申します。以後お見知りおきを」
「えと、こちらこそよろしくお願……わっ、手が冷たい!?」
「雪女ですからね。どっきり大成功です」
優しい笑顔で握手をしてくれたゆりえさんの手は、つららを連想するほど冷たいものでした。
「ち、ちょっとゆりえ! あたしとの会話は!?」
「あれ? 不思議ですね。どこからか誰かの声が聞こえます」
「ううう……ごめんっゆりえ! あたし、ゆりえのことすっごく好いとるけん。ずっと友達でいてほしいとよ!」
無視されたことがつらかったのか、ついになつめは真面目に謝りました。
こんなに素直な言葉を口にできるのは、なつめならではだと思います。
「……なつめ」
ゆりえさんは、なつめに背を向けたまま、嬉しそうに微笑んでいました。
なんだかんだで、二人は仲良しみたいです。昔も今も、これからも。
でも、ゆりえさんはすぐさまいたずらっぽい表情を作ると、なつめの方に振り返りました。
「本当に反省しているのですか?」
「してるばい! あたしが悪かったったい! なんでもするから!」
「分かりました。そういうことなら」
ゆりえさんは呼吸を整えてから、なんとも面白いことを言い始めます。
「土下座ですわね」
「へ?」
「深々とお願いしますわ。なんでもするとおっしゃいましたよね?」
確かにおっしゃってました。勢いで変なことを喋るもんじゃないです。
なつめはひざまづくと、万能の必殺技、土下座を繰り出しました。
「うぐぐ……こ、これでよかと?」
「いい光景です。そうしましたら、あたしはゆりえさまのしもべです、と言ってください」
「そんなぁ、ゆりえー!」
「さあさあ、早くしないと気が変わりますわ」
いじわるでかわいい注文は、さらに続きます。
なつめは気付いていませんが、ゆりえさんは怒るどころか、懐かしい笑顔を浮かべています。
「あ、あたしはゆりえさまの……しもべです。この度は、あんなことしてすみませんでした」
「よく、できました。自由になさってください」
とても清々しい様子で言うと、ゆりえさんはなつめを解放しました。
なにか期待するような眼差しをたたえつつ、なつめは立ち上がります。
でも、そんな希望とは裏腹にゆりえさんは、
「楽しめましたわ。今日の晩ごはんは美味しくいただけそうです」
「えっ、あれ? 許してくれるんじゃなかと?」
「そんなこと、わたくしは一度も言っておりませんよ?」
事実を告げました。確かに許してあげるとは話してなかったです。
「これからの行いに期待しておりますね」
爽やかに言うと、ゆりえさんは再び家の中へ戻っていきました。
閉められる玄関扉。ひんやりとした風が静かに吹いています。
ゆりえさん、意外と冗談の通じる人です。雪女は冷徹というのは嘘でした。
「よし、一歩前進たい」
「なつめは前向きだね」
そしてポジティブな思考のなつめ。ちっとも気にしないところは、なつめの長所だと思いました。