誰が愛してほしいと言いました?
誤字・脱字報告ありがとうございます。
「アデライン、お前にはヴィンターベルク伯爵の元へと嫁いでもらう」
「……は?」
いつもと変わらない、夕暮れ時。久しぶりにお父様からの呼び出しがあったかと思えば、通された執務室で告げられた突然の縁談話。驚いて思わず素の声が出てしまった。
「……それは決定事項ですの?」
「ああ、そうだ」
「理由は?」
「……」
「お金?」
「……」
「今度は何をしたんですの?」
——何だんまりなのかしら?
執務室の椅子に座り、胸の前で手を組んだ状態で動かなくなったお父様を、じっと見つめる。
ヴィンターベルク伯爵ほど高齢な方の後妻に収まれと言うのなら、納得のいく理由がないと頷くことなんてできませんわ。
「お父様?」
「……ロゼッタが」
「ロゼッタが?」
「こちら有責で婚約破棄され、慰謝料を請求されている」
「……何をしたんです?」
ロゼッタ——アシュクロフト伯爵家の長女として、嫡子として、厳しく育てられてきた私とは違い、両親に愛され甘やかされながら育った妹。
よく言えば天真爛漫、悪く言えば自由奔放。末端とは言え、一応高位貴族に分類される伯爵家の娘としては勉強もマナーも足りておらず、何かと問題を起こしがちな子。……なのだけれど。婚約破棄に慰謝料っていうのは、ちょっと大きな問題ね。
「——不貞行為をしたそうだ」
「不貞行為」
「ああ、腹には不貞相手の子供がいる」
「子供が」
……ちょっとどころではなかったわ。
婚約者との婚前交渉すら基本的には許されていないのに、婚約者以外の子供ができてしまったとなれば……もう、社交界には顔を出せなくなる。
「相手は誰なのですか」
「ヴィクトール・アルヴェイン……アルヴェイン侯爵家の次男だ」
「……あの、女性との噂が絶えない方ですか」
貞操への倫理観が強いこの国きっての遊び人と噂される男。身分の高さを驕らない、物腰の柔らかさと端正な容姿でとても人気があるらしい。
「それで、アルヴェイン侯爵家に連絡はしたのですか?」
「ああ。だが、『心当たりがない』と」
「そうですか……。では、ロゼッタは未婚のまま子供を産むということなのですね?」
「そうだ。だがまずは慰謝料を払わねばならん。ありがたいことに、ヴィンターベルク伯爵は持参金も無しでいいと言ってくれているからな。お前は身一つで輿入れすればいいだけだ」
——何て勝手なことを。そんな騒動があったことすら知らされず、妹の不始末を私に取らせようとするなんて冗談じゃないわ。
「そのお話ですが、お断りいたします」
「な!?」
「何故私がロゼッタの慰謝料のために輿入れしなければならないのですか?」
「お前はロゼッタの姉だろう。妹の不始末は姉の責任だ」
「いいえ、ロゼッタを甘やかし増長させたのはお父様とお母様です」
「妹が可哀想だとは思わないのか!」
「思いませんね。十歳の子供でもあるまいし」
「……っ、お前はいつもそうだ! 本当に可愛げのない娘だな」
幼い頃からいつも言われていた「可愛げがない」という言葉。
「姉なんだから」という言葉。
それらの言葉に律儀に傷ついていた時期もあったけれど、今では何の感情もわかない。……そう考えると、あの頃の私は今よりもよっぽど可愛げがあったのではないかしら。
「そもそも、次期当主であるはずの私を嫁がせて、後継者はどうなさるおつもりなんですか?」
「ロゼッタに婿を取ればいいだろう」
「婚約者以外との婚前交渉、おまけに誰が父親かわからない子供を産んだ娘に、まともな縁談がくるとでも?」
「うっ……、それはお前には関係のない話だ! さっさと輿入れの支度でもしてこい!」
「だからお断りいたします、と申し上げたでしょう」
「お前には断る権利などない! どうしても嫌だと言うのなら、お前はもう娘ではない。今すぐ出ていけ!」
あらやだ、叫びすぎてお顔が真っ赤ですわ。そんなに興奮なさらなくてもよろしいのに。……でも、これで言質は取れましたわね。
執務室の扉の横で壁と化している家令に目を配らせると、「心得た」とばかりに頷いてくれた。
「承知いたしました」
「……え?」
「お父様からの絶縁宣告、しかと受け止めましたわ。では、私はこれにて失礼いたします」
「お、おい……っ」
「あ、王宮での手続きはお任せいたしますわね、アシュクロフト伯爵様」
これ以上余計なことを言われる前に、一礼をしてそそくさと執務室を出て自室へと向かう。
意識して冷静にしていないと、叫び出してしまいそうなほど胸は高鳴っていた。
——そう、私はずっと待っていたのだ。この家から解放される日を。
私に関心がないお父様、小言ばかりで愛情をくれなかったお母様、二人の愛情を一身に受けながら、私を見下し続けた妹。
そんな、血が繋がっているだけの「家族」から、解放される日を。
「さて、こんなものね。とりあえず今日は商会に向かって……明日からのことは明日考えればいいわ」
伯爵家の事業とは別に、個人で設立したルーン商会は、コツコツと実績を積み重ね、大きくしてきた私の居場所だ。
「まさかこんな形で家を出ることになるとは思わなかったけれどね」
本当は、家督を継いだら家族を領地の端っこにでも追いやって、商会を伯爵家の事業にする予定だったのだ。
だけどそれには早くてもあと数年は時間が必要だったし何よりも……伯爵家はもう泥船のようだ。奇跡でも起こらない限り、これから徐々に沈んでいくことは確定だろう。
「そもそも私が嫁いだら、今まで私がやってた仕事を誰に任せるつもりだったのかしら」
——まぁ、私にはもう関係のない話ね。
必要最低限の荷物をトランクに詰め込み玄関へと向かうと、家令と数人のメイドが待っていてくれた。
「お見送りありがとう。今までも……本当にお世話になったわ」
お母様やロゼッタ付きのメイドたちは、二人に倣うように私の存在を無視し続けていた。時に嫌がらせをされることもあったけれど、味方になってくれる人がいたからここまで折れずにこられたの。
「アデラインお嬢様……。私共こそ、たくさんお礼を言わねばなりません」
「奥様やロゼッタ様の叱責から、何度も助けていただきました」
「お嬢様の幸せを、心よりお祈りしております」
泣きそうな表情で伝えられる別れの言葉に、思わず涙が出そうになったその時。バタバタと騒がしい音が聞こえたかと思えば、「お姉様!!!」と、聞き慣れた大きな声が響いた。
振り返ると、ロゼッタが怒りの形相でこちらを睨んでいた。
「……ロゼッタ。あまり走ると身体に障るわよ?」
「家を出ていくって本気なの!?」
——本当に、人の話を聞かない子ね。
「ええ、本気よ」
「何で!? お姉様が嫁がないとお金もらえないじゃない!」
「私には関係のない話だわ」
「可愛い妹のためなのよ!?」
はぁはぁ、と息を乱すロゼッタの肩を、後ろからやってきたお母様が宥めるように優しくさすりながらこちらを見る。
「そうよ、アデライン。妹のため、家族のためよ。お姉ちゃんなんだから、わかるでしょう?」
「家族のため」。まだ家族の愛を求めていた時は、その言葉に応えていた。そうすれば、愛してもらえると思っていたから。
だけどどれだけ求めても、その手の温もりを知る日はこなかった。
「わかりませんね。それに、私は先ほど伯爵様に勘当された身。あとは紙切れを一枚提出すれば正真正銘の他人になりますわ」
「な……っ、今まで育ててもらった恩は忘れたって言うの?」
「衣食住と教育を与えてくれたことについては感謝しておりますわ。でもその分の対価でしたら、伯爵様のお仕事のお手伝いでお返しできたのではないかと存じます」
最近なんてほぼ私がやっていたしね。三人で楽しそうにお出かけされている時も、私は一人で仕事をしていたわ。
「……っ、本当に可愛くないわね!」
「そうよお姉様! そんなだからお父様にもお母様にも愛してもらえないのよ!」
まるで天敵を前にしているように寄り添いながら私を睨む、元母と元妹。……昔の私はこんな人たちに何を期待していたのかしら。
「誰が、愛してほしいと言いました?」
「え?」
「私が言いましたか? あなたたちに、『愛してほしい』と」
「でも……! あんなに寂しそうにしていたじゃない!」
「いつです?」
「いつだって、よ! 私のバースデーパーティーの時だって、私たちが出かける時だって、いつも羨ましそうに見ていたじゃない!」
「あら、随分懐かしいお話ね。あの頃の私を……伯爵夫人も覚えていらっしゃいますか?」
まだ幼かった私を。
『家族』という存在を、求めていた頃の私を。
「え、ええ、覚えていますわ。あなたはいつだって、健気に家族を思って……」
「その、『家族を思う幼い子供』を、よくあれだけ蔑ろにできたものね」
少し口調を強めると、元母……伯爵夫人の肩がビクッと揺れた。
「生憎、『健気』にも限界がありますわ。今の私には家族を思う気持ちも求める気持ちも残っておりませんの。……というより、求めるべき『家族』がいないだけですけれど」
今までどれだけ蔑ろにしても反発してこなかった娘の、思いもよらない言動に驚いているのか、血の気の引いた顔でこちらを凝視する夫人と、口をつぐんだままこちらを睨み続けるロゼッタ。
——もう、お話は終わりってことでいいかしら。
「では、私はこれで。二度とお会いすることはないと思いますが、皆様のご健勝を遠くからお祈りいたしますわ」
マナー講師に文字通り叩き込まれた淑女の笑みを二人に向け背を向けた。そして、見送りのためにずっと待っていてくれた人たちには親愛を込めた笑みを送り、外へと足を踏み出す。
「アデライン!!!」
……と、この上なく綺麗な去り際のはずでしたのにまた邪魔が入ったわ。
「伯爵様、いかがなさいましたか?」
仕方がないので、これまた淑女の笑みを貼りつけながら振り返ると、伯爵が息を切らしながら立っていた。
「本当に出ていくのか?」
「ええ。今までお世話になりました」
「……金の工面はどうする」
「さぁ? 私には関係のないお話ですが、ロゼッタのドレスや宝石を手放せばそれなりの金額になるのでは?」
「お前は……っ、この伯爵家がどうなってもいいのか!」
……まぁ、いいわね。どうなろうがなるまいがどうでもいいわ。
散々蔑ろにし、いいように利用してきた娘に家の命運がかかっているなんて、何て皮肉な展開なんでしょうね。
「——伯爵様。私はこの家に生まれ、この家で育ちました。ですが、正直いい思い出と言えるものはありません。楽しかったことなど何も思い出せませんし、温かい思い出を与えてくれたのは家族ではなくメイドたちです。そんな家に、家族に、情などあると思いますか?」
一度言葉を切り、元家族——伯爵、夫人、ロゼッタの一人一人と目を合わせる。
「ご自分の不始末はご自分でお片づけください。何度も言いますが、私には関係のないお話なので」
そして、呆然としている三人を残して扉へと踵を返し今度こそ家の外へ出ると、そこでもう一度振り返り、「だけど——」と言葉を紡ぐ。
「娘を売らなければ維持できない家なんて、潰れてしまえばいいのよ」
誰かの犠牲の上に成り立つものなど、なくなってしまえばいい。
「——と、私は思いますわ。では、ごきげんよう」
そう、最後にもう一度だけ淑女の笑みとカーテシーを残し、家を後にした。
*
「——ねぇシン、この記事を書かせたのあなたでしょう?」
家を出た後、何故か迎えに来ていた商会の馬車に乗り込み、そのまま商会にある自室で過ごすようになった。
忙しいながらも穏やかな時間に心が落ち着いてきた頃、目に飛び込んできたのは大々的に新聞に書かれた伯爵家のスキャンダルだった。
慰謝料を期日までに支払えなかったことで元婚約者の生家である子爵家から訴訟を起こされ、ロゼッタの不貞と妊娠が社交界全体に広まったこと。
慰謝料の金策のために長女であり嫡子だった私を売ろうとしたことと、私を蔑ろにしていた過去のあれこれ。
また、私を嫁がせる予定だったヴィンターベルク伯爵からの違約金請求。
残念ながらロゼッタのお相手に関しては何も書かれていなかったけれど……これが侯爵家の力なのかしらね。
「えー? 俺は知り合いの記者に、自分の知っている情報をちょーっとリークしただけですよ?」
「ふふ、随分と愉快で優秀な知り合いがいるものね」
「商人たるもの、人脈は大切ですからね」
私が伯爵家の仕事で自由に動けない間、商会を任せていた優秀な秘書には私も知らない伝手がいろいろあるらしい。
「ロゼッタのことを相手方に伝えたのも?」
仮にも家族であり、家の中のことを誰よりも把握していたはずの私が知る前にどこからか情報を掴み、早々に婚約破棄の意思を伝えてきたロゼッタの元婚約者。
「ああ、あれはあちらさんにも喜ばれましたね。いつも『子爵家なんて』って見下されて腹が立っていたみたいなんで」
我儘で傲慢で……爵位で人を見る、どうしようもない子。だからこそ、“侯爵家”の肩書きにすんなり擦り寄っていったんでしょうけれど。
「そう、それなら良かった。あとは私の離籍の件と、生まれてくる子供についても、引き続きお願いね」
「任せてください。生まれてくる子には何の罪もないですからね」
もしあの人たちが今のままなら、生まれてくる子供はきっと——
「孤児院への寄付も増やさないとね」
「ルーン商会、本格始動って感じですね!」
「今までも充分やっていたじゃない。あなたには本当に助けられているわ」
「拾ってもらったあの日から、俺はお嬢のものなんで」
得意げに笑う、まだ幼さが残る顔。
あの日の——ボロボロの布切れを纏った小さくて細い子供との出会いが、今の私につながっている。
「これからもよろしくね、シン」
「もちろんです! どこまでもついていきますんでっ」
自由はないのに責任だけを取らされてきたこれまでとは違う、自分のための人生。
「ねぇ、シン」
「どうしました?」
「“自由”って素敵ね」
「……そうですね」
願わくばこれからは、自分と、自分の大切な人たちのためだけに。
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