玖
「タリムよ。喚装じゃ……」
鉈梛九の声に呼応して、タリムを奪われてしまっていた。
「馬鹿なッ……タリム、どう謂う事だッ!」
然し、返事は無かった。理解し難い事態で在る。
「強制喚装。戦騎には、こう言った裏技が存在する。尤も、儂にしか出来ぬがなぁッ!」
戦騎の翼を広げながら、鉈梛九は突進して来た。
「思い上がった小僧に、戦騎の使い方を教えてやろう」
飛来しながら、戦騎の羽根を飛ばして来た。
其の一枚一枚が、鋭利な刃で出来ている。籠手と短剣を用いて、防御体勢を執る。
が、完全には防ぎ切れない。
全身を斬り裂かれていた。間髪入れずに、鉈梛九は身体ごと打つけて来ていた。鈍く重い衝撃を受けて、蒼馬の霊獣から墜ちていた。
「強い……糞ッ!」
羽根の追撃を、転げながら何とか躱す。
鉈梛九は尋常でない程に、強かった。皇渦陸仙の名は、伊達では無いと謂う事だ。戦騎が無い今、勝つ事は愚か真面に闘える相手では無かった。
此の儘では不味い。何とか耐え凌いで、勝機を見出さねば為らない。
「……羅刹、聴こえますか?」
全く覚えの無い女の声が、自分の名を呼んでいた。其の美しい声は、心の中に直接、響いていた。
「お前は、誰だ?」
地を駆けながら、追撃を躱す。鉈梛九の攻撃は容赦無く、続いていた。
「私は此の地を、守護するセレスと申します。私は貴方の事を、識っていますよ。貴方を現世に転生させたのは、此の私ですから」
「今はそんな事、どうだって良い。早く用件を言え!」
辛うじて凌げてはいるが、羅刹の身は確実に削られている。血と泥に塗れながら、致命傷だけは死守していた。
「貴方に戦騎を喚装させる事が、出来るかも知れません」
「何だと……其れは、本当か?」
渡りに船だった。今の状況を打ち破るには、戦騎の力が必要で在った。
「試みた事は在りませんが、恐らくは可能です。此処に在る【生命の泉】は、凡ゆる生命を司っています。故に死した戦騎と言えども、一時的に蘇らせる事は可能です」
体力の消耗が、異常に激しい。鉈梛九の猛攻を、完全に凌ぎ切るのは恐らく不可能だろう。ほんの一瞬でも、気を緩めれば一息の間に終わってしまう。
「解っていると思いますが、契約をしていない戦騎を纏う事は危険な行為です」
「鎧に喰われる事は、承知の上だ!」
此れ以上、護りに徹するのは危険だった。
「解りました。恐らくは、喚装して居られるのは……数秒が限界でしょう。貴方の合図に合わせて、喚装します」
一定の間合いを保つのも困難だ。タリムの羽根は、俊敏くて重い。
「其れだけ在れば、充分だ!」
此処からは、攻めに転じるしかない。
「何を、ごちゃごちゃとしておるッ!」
一瞬で間合いを詰めて、羽根の刃を斬り付けて来る。【糸游】を用いて、紙一重で躱す。
追撃を繰り出そうとする鉈梛九。
籠手で受けて、体を捻って短剣で斬り付ける。
余りの硬度に、弾かれた。
矢張り戦騎の力を借りなければ、通らない。
尤も一撃で致命傷を与えなければ、後が無い。其の為には、相手から隙を作らなければ成らない。
恐ろしく厄介な相手だった。
「世話の焼ける奴だ」
蒼馬の霊獣が、鉈梛九の後方から蹴り付ける。
地に打ち付けられる鉈梛九を見て、羅刹は動いていた。
「セレス、喚装だ!」
蒼馬の霊獣に飛び乗りながら、羅刹は叫んだ。
全身を、激痛が走っていた。其の瞬間、視界が赤黒く染まった。時が止まったかの様に、全ての物がゆっくりと動いている。鉈梛九の身体は、未だ地に伏している。此の機を逃せば、勝機は二度と訪れないだろう。
流れ込んで来る憎悪の念が、心を紅蓮の炎で染め上げて往く。戦騎に肉体を蝕まれているのが、感覚的に理解った。身体が鈍く重い。まるで、鉛を纏っているかの様だ。だが、動く事は出来る。
——否。動かなければ、殺されてしまう。そう成れば、何も護れない。自分には、護るべき者が居る。
護りたい者が居る。羅刹の脳裏に、刹那の顔が浮かんだ。自分でも、不思議で在った。
——惚れたの?
以前にタリムに問われた事が在る。今でも、其の答えは解らない。だが、命を賭してでも、刹那を護りたい。だからこそ未だ、今は死ねない。
羅刹は叫びながら、大剣を鉈梛九に衝き刺した。
炎の出力を最大限に迄、引き出した。
「思いっ切り、走れッ!」
叫ぶ羅刹。
其れに呼応する様に、蒼馬の霊獣は駆けた。
「桃猿戦騎レイラ。武器の威力を最大限に迄、発揮する能力が在ります」
羅刹の持つ大剣が、斬馬刀へと変化していた。
蒼馬の霊獣の瞬発力に合わせる様にして、斬馬刀を斬り上げる。
鉈梛九の身体が、完全に砕け散るのと同時に、戦騎の喚装が解けた。
全身を包む脱力感が、まるで水に濡れた蒲団の様に重苦しく伸し掛かった。
出血が酷い。此の儘では不味かった。甘い微睡みが、心地良く身体を包み込む。眠れば、死んでしまう。
「タリム、無事か?」
「何とかね。……御免なさい。身体の修復に、ほんの少しだけ時間が掛かるわ。其れよりも、貴方の方こそ大丈夫なの?」
「心配するな……大した事は無い」
消耗が激しかったが、羅刹は表に出さなかった。強引に身体を起こす羅刹に、蒼馬が蹴りを入れた。
其の衝撃で、羅刹は泉の中に堕ちていた。
「何をするんだッ!!」
水面から顔を出す羅刹を、セレスが見ていた。優しい眼差しを向けている。其の微笑は、とても美しい。
思わず見惚れていた。セレスは何処か、刹那に似ている。羅刹の勝手な印象で在ったが、心を落ち着けていた。
「其の泉には、治癒の効果が在ります」
不思議な事に、全ての傷が癒えていた。あんなに身体が重かったのに、羽根が生えた様に軽く成っている。
「禍を退けて頂いて、感謝します」
セレスが、深くお辞儀をしていた。
糞喰らえなセレスに、見習わせたいくらいだ。
「奴は、死んだのか?」
「いいえ、恐らくは……本体は別の処に居ます」
在れで分身に過ぎないと思うと、ぞっ……とする。相対した時には、戦騎が使えない。奴を倒すには、別の力を用いなければ為らない。
護りの刻印も未だ、完全には使い熟せていない。今回の事で又、更に自分の未熟さを痛感していた。
もっともっと、強く成らなければ為らない。
「其れよりも、貴方に伝えておく事が在ります。貴方の曾ての盟友・戌咬出狗が、此処を通って現世に蘇っています」
「何だと……?」
「貴方達は、何れ逢い見える宿命に在るのかも知れません」
「そうか、奴が……」
羅刹の胸中を、憎悪が渦を巻いていた。
曾ての記憶が蘇る。憎悪と共に、懐かしい想いが込み上げていた。出狗と話がしたかった。何故、自分を裏切ったのか、訳を知りたかった。理由も無いのに、裏切る様な男では無い。どうして在の時に、怒りに身を委ねてしまったのだろう。本当は争いを回避、出来たのかも知れない。何時しか憎悪の炎は、自身に向けられていた。
兎に角、出狗に逢ってみたかった。
「お前と居れば、退屈せずに済みそうだな」
蒼馬が、此方に歩み寄っていた。
「お前にも、感謝しなければな」
優しい眼差しを、蒼馬に向けていた。
「暫くの間、お前と共に居てやる」
蒼馬の眼にも、優しさが帯びている。
「其れは、本当か。お前が居てくれると心強い……。俺は羅刹。お前の名は、何と言うんだ?」
「我が名は虚月。お前と契約しよう」
蒼馬の霊獣が光の刻印と成って、羅刹の肩に宿った。
「羅刹……急いだ方が、良いわ。刹那ちゃんが、危険に晒されている」
休む暇は無い様だ。
羅刹は即時に動いていた。




