肆
塁留は焦り恐怖していた。
邪悪なる魔獣・タタラの依代で在る男——昭久に、確かに恐怖を懐いていた。
脳を貫かれ、心臓を串刺しにしている。幾ら魔徒に憑かれて異常な再生力や自然治癒力が備わっていようとも、間違い無く致命傷で在った。其れなのに全く意に介していない。如何に魔徒と謂えども、致命傷を受ければ例外なく肉体は滅びる。三叉槍は確かに昭久の心臓を捉えて、刺し貫いている。自分の放ったレイピアは間違い無く、脳のど真ん中に在る脳幹を撃ち抜いている。
詰まりは二度、死んでいてもおかしくは無い状態で在る。
「ふふふ……息が、上がっているぞ?」
昭久の不敵な笑い声が、鼓膜と心を撫で附けて落ち着かない。魔徒にも痛覚は在る。此れまでに屠ってきた魔徒の多くは、致命傷を受ければ苦悶の表情を見せていた。其れなのに昭久は、痛みを意に介さない。痛覚が欠落しているのかも知れない。何れにせよ、昭久は狂っている様に思えた。其の証拠に急所二箇所を貫かれながらも、攻撃を仕掛けている。ナイフを繰り出しながら、昭久は前進していた。
昭久の胸を貫く三叉槍が、更に奥深くへと突き刺さる。其の所為で、武器を繰る事が出来ないでいる。
兄の萌羅は、苦しそうに肩で息をしている。此方からでは昭久の表情は見えないが、笑みを浮かべているのだろう。だが、焦っては往けない。先ずは呼吸を整えて、落ち着かなければ為らない。
萌羅が前衛で突撃をして、塁留が後衛で支援するのが自分達の戦闘スタイルで在った。
塁留の戦騎には、空間を捻じ曲げる能力が在った。其の力を利用して、攻撃を防ぐ事が可能だ。敵の攻撃をピンポイントで防ぐには、相当な集中力が必要で在る。
既に塁留の防御の精度は落ち始めている。見えない刃が、塁留を攻撃している。
「兄さん、此れ以上は……駄目だ。何とかして、逃げよう!」
昭久の繰り出すナイフは、厭らしく執拗に萌羅を追い詰めて往く。太刀筋は単調で在ったが、其の斬撃は風を纏っていた。
萌羅の身体を風が、斬り裂いて往く。全身から流れ出る血液。此の儘では軈ては、出血死に至ってしまう。
「塁留……。俺が此奴を引き付けている間に、お前だけでも逃げろッ!」
「何を言ってるんだ……兄さん。そんな事、出来る訳が無い。二人で逃げよう!」
塁留には、萌羅を置いて逃げる事は出来なかった。
「下らない茶番だな……ふふふ。聞いていて、吐き気がするッ!」
不快そうに、吐き捨てる昭久。肚の底から怒りが沸き起こる。先程まで感じていた恐怖は、既に失われている。
茶番で在ろうが、何で在ろうが、塁留には萌羅を見捨てる事は出来なかった。
幼い頃の遠い過去が、塁留の脳裏を過ぎっている。二人が幼い時に、魔徒の被害に遭った。二人の父が魔徒に憑かれて、母を殺したのだ。母は優しい女性で在った。何時如何なる時でも、自分達の事を大切にしてくれていた。
二人が父に殺される寸前、一人の戦騎騎士に依って救われる事と成る。
其の騎士の名は、矢紅。
天界でも屈指の実力を持つ騎士だった。
矢紅は孤児と成った二人を、騎士として育てた。厳しくも優しい矢紅。
二人に取って矢紅は、親で在り、目標で在った。自分達も矢紅の様な、偉大な騎士に成りたい。其の一心で、技を磨いた。身体を鍛え、心の鍛練も怠らなかった。初めて自分達の力が認められて、戦騎を能えられた時は心底、嬉しかった。功績を上げて、矢紅と同じ天丞院付けの騎士と成る事を志した。
師と志を同じくした双子は、互いに支え合い、魔徒を討ち続けた。どんな時でも、二人だけで切り抜けて来た。どんな窮地で在ろうとも兄の萌羅となら、打ち克つ事が出来る。此れまでも、そうで在った。
——だが、無情にも萌羅の戦騎は解けている。
「此れで、終わりだ!」
昭久のナイフが、萌羅の心臓を捉えていた。




