参
奥深い薫りが、鼻腔を擽る。
其の薫りを楽しむ様に、羅刹は目を閉じていた。
優美で心地良い薫りで在った。珈琲とは、此れ程迄に心を満たしてくれる物なのかと、厳かに感心していた。自分が生まれた時代には無い代物。奥深い薫りに羅刹はすっかり、魅了されている。
口に含むと、味わい深い苦みが口内を満たした。
刹那に珈琲豆を貰って以来、目覚めた時と眠る前に、珈琲を飲むのが一日の愉しみと成っていた。不思議と心が落ち着き、健やかな気持ちに成れるのだ。
「お楽しみの処、悪いけど……羅刹、魔徒が現れたわ」
「又、珈琲が冷めちまうな……」
立ち上がり、短剣を手に取る。
黒いコートを身に纏い羅刹は、疾走った。
魔徒の気配を探る。
「処で、タリム。俺に、何か隠してるだろう?」
「あら、何の話かしら?」
「惚けるな。でかい邪気の存在に、俺が気付かないとでも思ったのか?」
先日から、とてつもなく邪悪で強大な力を感じていた。
只成らぬ気配に、肌が恐怖で逆立っていた。何者にも恐れを抱かない自分が、気配だけで恐怖を感じるのだ。
只事では無い。
「今の俺に勝てるのか?」
試す様に、タリムに問う。力の差は、問うまでも無い程に、痛感している。
「あら、随分と弱気ね。貴方の事だから、てっきり斃しに行くと思ったのにね?」
「俺も、馬鹿じゃない。無策で勝てる相手かどうかぐらいは、解っているさ」
本心では、恐れているのかも知れない。
生まれて初めて、感じる恐怖。其れを克服、出来ぬ内は勝てない。
「此の気配の主は一体、何者だ?」
「貴方も名前ぐらいは、聞いた事が在るでしょう。邪悪なる魔獣・タタラの名は、全ての騎士が知っているもの……」
「伝承で聞いた名だな。確か……タリムはタタラと闘り合った事が、在るんだろう?」
「長い歴史の中……三度、見えたわ。其の内の二度は、契約した騎士の命を喪っている」
其れ程迄に、タタラの力は強大なのか。
正直な気持ちを晒すならば、見えたくない相手で在る。
「だから、羅刹。タタラと遭遇したら、迷わず逃げるのよ……?」
「解っている。俺だって、タタラは恐い」
「なら……どうして、嗤っているの?」
羅刹は知らず知らずの内に、好戦的な笑みを浮かべていた。
恐怖は在ったが、タタラと闘いたいと言う気持ちも在った。もしもタタラと遭遇したならば、逃げずに闘う道を選ぶだろう。其れ故に、恐いのだ。
己よりも遥かに強い存在なのは、初めから解っている。だが、闘いたいのだ。
恐怖と好奇心が、羅刹の内側には在った。
「とにかく今は、目先の魔徒に集中しなさい」
「解っている!」
昂ぶる気持ちを抑えながら、羅刹は駆けた。




