拾
漆黒の闇に捉えられて、羅刹は身動きが取れなく成っていた。
前に進もうにも、自分が何処を向いているのかさえも解らない。一体、此処は何処なのだろう。闇と静寂に包まれている。何の気配も感じられなかった。
——此処は、貴方の心の中の闇。
何処からか、砂羅の声が聴こえて来た。
——貴方は己の闇に捉われている。
闇の奥から並々ならぬ憎悪と共に、殺気が伝わって来た。羅刹は殺気の主を知っている。
——さぁ、剣を取りなさい。
殺気の主は、自分自身だ。目の前には、闇に染まり切った自分が居た。憎悪に駈られ、殺意を振るう事しか知らない鬼子。
悪意を携え、刀を振るう事しか出来ない愚かな男だ。闇を裂いて、悪意の刃が迫って来た。
短剣を引き抜いて、受け止める。重く鈍い剣圧に、羅刹は圧されていた。
——己の闇を斬りなさい。そうすれば、貴方は更に強く成れる。
相手が踏み込む気配を感じて、羅刹は動いていた。左手に持つ鞘を盾に、迫り来る裏拳を受ける。短剣を突き出して、相手の胸部を狙う。相手は身を捻って、刀の鞘で軌道を逸らしながら前進して来ていた。其の勢いを利用して、下から斬り上げて来る太刀を辛うじて躱す。僅かに振れる重心。追い打ちを掛ける様に、相手は蹴り上げて来た。
後ろに倒れる様にして、寸での処で躱すが追撃は止まない。体重の乗った斬り降ろしが、羅刹を完璧なタイミングで捉える。
雪崩れ込む憎悪。全てが憎かった。両親や異端の眼を向ける村人達も、己を裏切った友も、何もかもが憎かった。憎しみの中で、死んだ時の事を思い出していた。冷たい雪の降る夜。村は炎に包まれていた。慶長九年の師走。薄れ逝く意識の中で、羅刹と出狗を見下ろしながら嗤う外道丸の姿が、最後に見た光景で在る。
全てを恨みながら、江戸の世を生きた。
全てを妬みながら、死んだ。
騎士として蘇ってからも、其れは変わらなかった。憎悪に心を委ねて、魔徒を一向——只、一向に斬り続けた。晴れる事の無い憎しみ。決して報われる事のない怨恨。出狗や外道丸が、憎い。最早、憎しみの対象は、此の世に居ない。だからこそ、憎しみが晴れる事は無い。魔徒を斬れば斬る程に、憎しみの炎は大きく成っていた。
そんな自分が、何時の間にか変わり始めていた。他人の事が、どうでも良かった筈なのに、護りたいと思う様に成っている。
刹那に出逢って、憎しみの感情が次第に和らいでいた。抱いた事の無い想いを知った。感じた事の無い痛みに苛まれた。人の痛み。心の温かさ。闘う事以外で人と交わる事が、こんなにも居心地が良い事が不思議で在る。
初めて誰かを護りたいと思った。
初めて人間を護りたいと想った。
憎しみでは無く、護る為の剣を知った。
次第に胸の刻印が、光を帯び始める。
体を大きく捻って、羅刹は回転しながら短剣で斬撃を捌いた。
人間を護りたい。
刹那を護りたい。
其の想いが強く成る度に、胸の刻印の光が強く成る。
騎士として、人として、愛する者達を護る。
眩い光が、闇を照らし出す。胸の刻印が弾け翔び、羅刹の左腕に纏わり附いた。
其れは、籠手で在る。防ぎ捌く、護る為の武具だ。戦騎以外の新たなる力だ。
——其れが、貴方の選んだ新たな力。さぁ、貴方の闇を斬りなさい。
迫る斬撃を、籠手で受け流す。ゆっくりと間合いを詰め、剣を衝き出した。心の奥深くから、熱い物が込み上げている。其の想いに呼応するかの様に、眩い光りが闇を照らし出している。
胸を刺し貫かれて、自身の幻影は消滅した。
何時の間にか、元居た部屋に戻っていた。
「其れが、貴方の新たな力」
胸の刻印は消滅して、籠手の中央に刻まれていた。
「其の刻印は【護りの刻印】と呼ばれている。貴方の心次第で、其の姿を変えるわ」
砂羅は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「さぁ、そろそろ刹那が待ち草臥れてる頃ね。今度は本当に、御節をご馳走するわ」
優しくて、温かな笑顔だった。
「護る力を授けてくれて、感謝する」
何時か戦騎騎士と《禍人の血族》が、肩を並べて闘う日が来るかも知れない。
「良いのよ。刹那の事を、頼んだわよ」
少なくとも、砂羅の様な人間が居る事が解った。
羅刹は砂羅に、微笑みを返していた。




