玖
一気に間合いを詰めて、香流羅は上段斬りを放っていた。
其れを小太刀で受けるのは、予想済みだ。だから予め、己の小太刀に札を貼らせて貰った。菴の動きが一瞬、止まっていた。ほんの僅かだが、相手の力を札の力が奪っていたのだ。
小太刀を捨て、菴の懐に潜り込む。起爆札を握り込んだ左拳を、叩き込んでいた。二人を爆煙が包み込む。構わずに体を捻って、懐刀を菴の胸に突き立てる。
刃先は心臓を捉えていたが、踏み込みが浅いのか菴は倒れない。
迫り来る弐の太刀を、捌く余裕は無かった。
斬撃を受ける寸前で、香流羅の全身が光を包んだ。其の刹那、菴の動きが止まった。
「貴様、何をしている?」
香流羅を睨み附けて、菴が言い放つ。魔徒の気配は、感じられなかった。どうやら、正気に戻った様だ。神楽が掛けた呪いとやらの効果のお陰だった。
「何を惚けている。さっさと、行くぞ!」
刀を納めて、菴は歩き出した。
どうやら菴は、魔徒でも在り《禍人の血族》でも在る様だ。其の力は、神楽の力に依って抑え込まれている。其れ故に気配を感じられないのだ。
魔徒喰らいの魔徒。《禍人の血族》で在りながら、魔徒でも在る菴は、かなり異質な存在だった。
其れに神楽だ。自分の事を、半神半人だと謂っていた。二人の目的は解らないが、此の二人組が敵に廻れば相当な脅威と成る。だが幸いな事に、今は自分に味方してくれている。
「どうやら此の箱の中に、お前の欲しい物が在る様だな」
小さな箱を、乱暴に投げて寄越す菴。
箱を開けると中には、数珠が入っていた。禍々(まがまが)しい力が籠められた其の数珠には、無数の邪気を感じた。数珠を手に取った途端、魔徒の思念が急激に雪崩れ込んで来た。
無数の声。
邪悪な声。
怨みの声。
嘆きの声。
憂いの声。
美しい声。
醜悪な声。
羨望の声。
魔徒達の声だ。
其の声を抑え込むには、相当な精神力が必要だった。
——成る程。こいつは、骨が折れる。
香流羅は数珠を、右腕に嵌めた。
目を閉じて、精神を研ぎ澄ます。心の奥底から聴こえる声に耳を傾ける。怨みの籠った声が、周囲の声を掻き消して往く。其の声の主が、内なる世界へと香流羅を引き入れる。其れを感覚的に、香流羅は理解した。己の精神力が魔徒に負ければ、身体を乗っ取られてしまうだろう。恐らく強大な力を有している。肉体が滅びているとは謂え、相手の精神世界に惹き込まれるのだ。
並大抵の覚悟では、切り抜けれない。
目を開いた時には、闇の中に居た。辺りには、無数の邪気が在った。
数多の魔徒の怨念に誘われて、魔徒の心の中に入り込んだ。其の奥底に沈み込む様にして、香流羅は其の者に吸い寄せられていった。強大で凶悪な気配。禍々しい其の風貌。打ち衝ける重圧。並々為らぬ邪気が漂う濃い深淵。深遠の底の底。其処此処で悲鳴が、音楽の様に哭き喚く。気が狂いそうで在った。香流羅は見えぬ眼で、屍の山に鎮座する魔徒を睨み附けた。
「お前の望みは、何だ。我は魔徒の王族の末裔・ガイア。何故、我を呼び覚ます」
どうやら、とんでもない大物に出会してしまった様だ。恐怖よりも先に、悦びが在った。狂気にも似た狂喜。既に己が精神は、魔徒に侵され始めている。気を緩めれば、気付かぬ内に、憑かれてしまう。喰われれば、永遠に魔徒と成るか、憎き戦騎騎士に斬り滅ぼされるか——其れだけは、御免だった。騎士に斬られるぐらいなら、闇に墜ちた方が未だマシだ。
既に思考が、魔徒に依って爛れている。急がなければ、運が良くて精神異常者だ。気が触れる前に、魔徒を屈服しなければ為らない。
其れにしても、自分は運が良い。
此れ程迄に強大な力を、手に入れれるのだからな。
「我が名は、御法院香流羅。貴公の力を貰い受けに来た!」
「成らば、我を受け入れるが良い!」
「断る。俺は魔徒には、屈しない!」
神楽の呪いは、未だ香流羅の中に存在していた。
魔徒を抑え込む光だ。半神とは言え、神の力。例え魔徒の王族の末裔で在っても、効果は在る筈だ。
手を翳すと眩いばかりの光が、深淵なる闇を照らしていた。
其の姿を顕にしたガイアは、想像を絶する禍々しさだった。蝋人形の様に、生気の無い老人。骨と皮だけに成った其の姿は、悪魔の様に憎悪に染まっている。
ガイアは強大な力を有してはいたが、所詮は屍に過ぎない。神の加護で更に弱体化されている。今の自分でも、充分に抑え込む事は可能な筈だ。
ガイアの胸を、小太刀で刺し貫いた。
「愚かで賢しらな人間よ。何れ……我が乗っ取ってみせよう……」
「負け惜しみにしか、聞こえないな」
完全にガイアを抑え込んで、香流羅は呟いた。
何時の間にか、元居た場所に戻っている。
全身を流れる力に、香流羅は驚いていた。此れ迄に無い程の大きな力を、自分の中から感じる。其れだけではない。周囲の氣の流れが、手に取る様に解るのだ。今の自分にならば、【天涯の書】と【人外の書】の極意が理解、出来た。水面の水を掬い上げる様に、龍脈の氣に触れる。其れを、そっ……と、掬い上げる様にして術を放った。
炎の塊が、社の壁を粉砕しながら爆炎を上げる。火柱が周囲の氣を取り込んで、弾けて往く。爆風から身を護りながら、慥かな手応えを感じていた。
自分は今、新たな境地に到達したのだ。
香流羅は高笑いを上げていた。




