弐
無心で短剣を振るう。
羅刹が寝床として使ってる廃墟と成ったホテルを、無数の人形が徘徊している。人形の手には其々(それぞれ)、武器が握られている。槍、刀、弓、薙刀、大剣、湾刀、杖、拳銃、短刀、戦斧。実に様々な武器を手にした彼等は、多種多様な武術や刀剣術を使用していた。
剣術、棒術は勿論。サバットやクラビー・クラボーン、フェンシング、太極拳や八極拳と言った中国武術、空手や素手ベアナックルを用いたボクシングまで、縦横無尽に羅刹を襲った。
全てを躱し、払い退けて、斬り捨てていく。だが、其の動きには何処か、憂いが見られた。
「羅刹、どうしたの。今の貴方の剣には、迷いが見えるわよ?」
人形達の群れの中心に、若い女がいた。とても、美しい女で在った。整った顔には、厳正な表情が張り付いている。小柄な体躯には、白い戦騎が纏われていた。
其の女の手にも又、刀が握られている。
「此の間の事を、気にしてるのかしら?」
女は微笑を浮かべながら、羅刹に問い掛ける。
——人殺し。
此の間の女の言葉が、頭にこびり附いていた。胸を痛みが満たしている。互いに愛し合っていた男女。男は魔徒に憑かれていた。斬らなければ、何れは多くの哀しみを招いていた。
其れなのに、羅刹は後悔している。果たして、本当に自分が正しかったのかが、解らない。戦騎騎士として、魔徒を斬らなければ為らなかった。其れなのに、迷いが汚濁の様に心に纏わり附いて離れない。迷いを払拭しようと、足掻き藻掻く様に剣を振るった。
無言で只、振るい続ける。己の迷いを断ち斬ろうと只々、必死で在った。何故か脳裏を過去が過ぎった。幼い頃の事や、札付きと成った時の事が鮮明に蘇る。畏怖や嘲りの眼が、羅刹を捉える。人形達が突然、声を上げて嗤い出した。
其の声に、獣の声が絡み附く。羅刹の叫び声で在る。
一心不乱に、剣を振るった。其の剣では人形は斬れても、心の闇までは斬れない。自分自身の心の闇は、決して斬れはしない。晴れぬ心を、悲しみにも似た怒りが満たしている。
「貴方の心には、大きな闇が在るわ」
女——タリムは、静かに語り掛ける。こうして戦騎の姿ではなくて、人の姿で羅刹に語り掛けるのは数年振りで在った。
人形達も皆、タリムの力で生み出した幻覚で在る。此れまで羅刹が闘った者だけでなく、タリムが幾千年もの間に共にした騎士や敵達の動きを再現している。
人形の姿は、タリムのイメージで決定付けられるが、時として羅刹の心にも呼応する。其れは、羅刹の闇を、具現化した物だ。羅刹を嘲笑う人形が、禍々(まがまが)しい異形を象り始めた。
鋭利な刃が、次々に羅刹を襲う。其の太刀筋は縦横無尽で多彩だった。全てを捉え、見切る事は不可能で在った。数々の斬撃が、羅刹を撫でる。痛みは無い。幻影の刃は、身体を傷付ける事は無い。だが、羅刹は負傷していた。
迷いが心を侵して、惑いが剣を曇らせる。幻影に心を奪われれば、身体にまで影響が及ぶ。幻影に斬られる度に、羅刹は負傷して往く。斬られれば斬られる程に、羅刹の傷は深く成る。けれど、羅刹は退かない。斬られながらも、剣を振るい続けた。
「貴方の中の大きな闇は、何処に在るのかしら?」
人形達を全て蹴散らした時には、羅刹は汗と血に塗れていた。呼吸は無様に荒れている。まるで、暗幕の掛かった心を映し出しているかの様で在る。苛立ちは焦りと成り、羅刹の判断力を奪い、剣を鈍らせる。此れが実戦で在る為らば、致命的な状況を生み出している。
僅かな隙を衝いて、タリムが間合いを詰める。静かで流麗な動作で在った。棘が無く、羅刹とは対照的な動きで在る。気配を完全に断っている。
タリムの刀の一撃を、羅刹は辛うじて短剣で受け止める。交わる刃。無機質な感触から、不思議と温かな物が伝わって来る。タリムの剣は、慈愛に満ちている。羅刹を厳しく諫めながら、何かを伝え様としているのかも知れない。羅刹に取って、タリムは慈母の様な存在で在った。
「良く眼を凝らし、己の心と対話しなさい。貴方の憎しみは、誰に向けられた物なの?」
タリムの言葉に呼応する様に、羅刹を取り巻く空間が変化して往く。タリムを通して、羅刹の心が空間を染め上げて往く。羅刹の心の闇が、次第に輪郭を持ち、実態を顕わにして往くのだ。
燃える家屋。逃げ惑う人々。上がる悲鳴や懇願の声。其れは羅刹が生前、最期に見た光景だった。寸分の違いも無く、其れ等は再現されている。
正に地獄絵図で在った。人が焼けながら斬られ、金品は奪われ、女子供は虐げられて、矢張り殺されていった。死臭と炎。絶望と恐怖。そして、一人の男の哄笑に染まっていた。
江戸時代の小さな在る村を、盗賊達が襲っている。盗賊の頭目の名は外道丸。本来の名は、誰も知らない。狂気に染まった笑みに、多くの者は畏れを抱いた。
羅刹も又、其の一人で在る。羅刹の憎しみの根源の一つで在った。そして、もう一つ——。
目前で剣を交える相手を見て、羅刹は我を忘れていた。心の中を憎悪や憤怒の感情が、暴れ狂う蛇の様に蠢めいている。決して忘れる事の出来ぬ相手で在った。
己の顔に傷を付けた其の相手は、羅刹と同じ歳だった。札付きと成った羅刹と共に生き、共に剣を磨いた。羅刹と同じく修羅の道を歩んだ同士。互いに背を預ける程の中で在った。
彼の者の名は——
「出狗……何故、裏切った!」
過去にも同じ言葉を、投げ掛けていた。
仲間だと想っていた。唯一無二の友だと信じていた。其れなのに何故、袂を分かち、剣を交えるのか。憤怒の炎が滾り心と体を、内奮わした。憎悪の細霧が、心を色濃く深い闇へと彩る。出狗の短刀を払い刀の鞘で、出狗が繰る弐の太刀を受け流した。短刀二刀流が、出狗の剣で在った。縦横無尽に上下左右から、繰り出される連撃は正に獣の剣。羅刹は出狗の剣を、知り尽くしていた。出狗も又、羅刹の剣を知り尽くしている。
共に生き、共に闘った二人だからこそ、常に息がぴたりと揃っている。正に阿吽の仲で在った。実力も互いに、拮抗している。
故にこそ、互いに死合えば相討つ定めも又、必定で在ったのかも知れない。
互いの刀が、互いの急所を捉える瞬間。
「羅刹っ……!」
刹那の叫び声と共に、出狗の姿は消え去った。景色も元居た廃墟と成っていた。タリムの姿も無い。何時の間にか、負傷した傷すらも消えていた。
羅刹だけが只、抜き身の刀を握り締めていた。憎悪を携え、憤怒を懐いた其の刀は羅刹、其の物で在った。
「貴方には、光が必要よ。心を祝福で満たす、暖かい光が……。彼女には、其の光が在る。だから、此処に招かせて貰ったわ」
タリムの存在も又、羅刹を導く者で在った。
けれども、人の温もりまでは与えられない。
「余計な事を……」
刀を鞘に納めながら、羅刹は呟いた。其の瞬間、刀は短剣に戻っていた。
「迷惑……だったかな?」
遠慮がちに、羅刹を見上げる刹那。
気まずい雰囲気を纏わせていたが、羅刹は良い意味でも悪い意味でも空気が読めない。
「迷惑じゃない。腹が減った。何処か、別の場所へ行こう」
黒のコートを手に取り、静かに歩き出す羅刹。
無言で後を追う刹那。




