玖
5ラウンド目にして、六の構えは変わっていた。右構えから、左構えに成っていた。そう、六は両利き(スイッチヒッター)だったのだ。加えて、右腕をだらりと下げていた。
——ヒットマンスタイル。此の構えから繰り出されるジャブは、腕を鞭の様に速くしならせる。元々、ジャブとは世界最速の拳。其の最速を、更に磨き進化させたジャブが、此の技だ。
間合いを詰めようと近付く藤堂を、斜め下から最速にして変幻自在のジャブが襲う。
技の名は、フリッカージャブ。世界を執れる拳の一つで在る。
被弾する藤堂。逆に距離を詰める六。六から藤堂に接近するのは、初めてで在った。通常のジャブからのワン、ツー。全て被弾する。六の拳は、決して軽くは無い。ポイントはかなり奪われてしまっているので、判定には勝機が無い。KO以外には、勝ちの目は無い。
尤も、端からKO勝ち以外は狙っていない。
打ち衝ける拳の連打。業火の拳が、嵐を呑み込んでいく。ラッシュに次ぐラッシュ。藤堂は手を出せないのでは無い。手を出さないのだ。そんな事は、解っていた。
何かを狙っているのは、理解っているが、今は打ち続けるしかない。
熱が入る場内の喚声。やがて其れ等が、六の耳に入らなく成っていた。藤堂が、拳を放ってきた。被弾する六。拳を返す六。被弾する藤堂。激しい撃ち合い。激しくぶつかる業火と嵐。
間もなく、どちらかが消滅る。
僅かな六の隙を衝いて、藤堂の拳が六を刺す。
藤堂の必殺のブローが、六の顔面に触れる。
——其の寸前、藤堂は崩れ墜ちた。
六の左のクロスカウンターが、藤堂の顔面を被爆していた。
燃え滾る闘志の炎。
震え轟く志穂への想い。
其の二つの炎が、業火と成って嵐を消し去った。
其の瞬間、レフェリーが試合を停めた。
クリスマス・イヴの夜、井上六はOPBF東洋太平洋チャンピオンに成った。
沸き起こる喚声の中、気高き獣は勝利の雄叫びを上げた。




