参
其の後も、六は喧嘩に明け暮れる日々が続いた。
本人から喧嘩を仕掛けている訳ではないが、行く先々で絡まれるのだ。絡まれては打ちのめして、絡まれては打ちのめしていた。相手を倒せば又、別の人間が喧嘩を吹っ掛ける。自分でも悪循環だと解ってはいるが、どうすれば良いのかが解らなかった。
喧嘩は嫌いではなかった。寧ろ今までは、自分から好んで喧嘩を吹っ掛けていたぐらいだ。けれど志穂に出逢ってからは、喧嘩をする度に虚しくなっていた。相手を打ちのめし傷付ける事しか出来ない自分が、愚かしく思えて為らなかった。志穂と出逢った事が、切っ掛けで在るのは間違いなかった。
在れから三度、志穂に会った。近くのファミレスで食事をしながら、たわいのない話をするだけで在ったが、とても楽しかった。志穂と居るだけで、幸せな気持ちになれた。志穂を幸せにしたかった。其れなのに、自分を変えれずにいた。たった今も、喧嘩を終えたばかりだった。そんな自分に、憤りを感じていた。
怒りを呑み込む様にして、静かに溜め息をついた。
「今の喧嘩、見とったけど……兄ちゃん、まるで獣やなぁ」
突然、声を掛けられて振り向く。
妙に筋肉質な初老の男が居た。全身、傷だらけで異様な雰囲気を纏わせていた。鋭い眼光を向けられただけで、ひりつく様な感覚に包まれる。
「おい、爺ぃっ……今、何て言った?」
「恐くて人に噛み付く事しか出来へん、野良犬って言うたんや。違うんか?」
「上等じゃ、こらぁ……!」
頭に血が昇って、男に殴り掛かっていた。
男は上半身を逸らして、六の拳を躱していた。続けて繰り出す拳も、軽快なステップやスウェーで避けていた。男の動きは、ボクシングの其れで在った。軽やかなステップで、一方的に殴り衝けようとする六を翻弄していた。驚くべき事に、男は攻撃を繰り出す事なく、六を後退させていった。
拳が空振る度に、六の頭は冷静さを取り戻していく。防御だけで圧力を掛けられていた。気付くと壁へと追い込まれている。無力な自分が、酷く情けなく成って雄叫びを上げた。
渾身の力を拳に籠めた。だが、掠りすらしない。
——遠い。
男は直ぐ目の前に居るのに、其の存在が随分と遠く感じた。
「とろくっさい、パンチやなぁ。そんなん何発、打っても当たらへんで。兄ちゃん、此の町一番の不良とちゃうんか?」
小馬鹿にした様に、男が笑う。只、空を切るだけの拳。喧嘩しか能がない自分。孤独な自分。腹が立った。己には何もない。人に誇れる物も、才能も何もなかった。
そんな自分が、志穂を幸せにする。
「——笑わせるな」
冷徹な男の言葉と、胸臆の声が重なる。と、同時に鼻っ面に鋭い衝撃を受けた。今迄、味わった事の無い痛みだった。
一体、何が起きたのかが解らなかった。
「今のは、ジャブっちゅうんや。人類の最速の拳やで。何や、えらい大人しなって。もう、萎えてもうたんか?」
じんじんと痛む鼻。ドクドクと流れる鼻血。
六は憤怒の炎を宿した瞳で、男を睨み付けていた。
「ほぅ。ちょっとは、真面な面になったやないか。ほな……2ラウンド目、行くで!」
一瞬で間合いを詰める男。右のジャブから、左のフックを受けて倒れた。
其処で六の意識は、完全に切れていた。




