伍
一乃は内心、動揺していた。
東山昭久の真意が、全く読めないでいた。
今、自分は圧倒的優位に居る。相手は動く事は愚か、呼吸すら真面に出来ないでいるのだ。
其れなのに何故、平然としていられるのかが解らなかった。理解が出来ない。其れが苛立ちと成って、焦りと成っていた。漸く復讐が果たせると思ったのに、思い描いていた物からは懸け離れていた。苦痛を与え、生地獄を味わわせなければ、意味を為さない。
既に東山昭久の臓器を、死なない程度に髪で締め付けていた。本来ならば、気が狂う程の激痛にのた打ち回っていても可笑しくはなかった。
糞尿を撒き散らして、失神していても不可思議ではない状態で在った。
其れなのに何故、命乞いをしないのだ。歯痒くて仕方が無かった。
「どうやら、並の精神力の持ち主では無い様じゃな。腕の一本を切り落としても、声一つ上げぬ輩と見た」
内なる声が、一乃に囁き掛ける。
「此の様な手合いは、何時の世にも居る。さっさと殺してしまえば良かろ?」
「駄目よ、そんなの。私はこいつに、地獄を見せなければ、気が済まない。いいえ……例え百万回、ぶち殺しても殺し足りないわ!」
叫ぶ一乃を、東山昭久は冷静な眼差しで見ていた。
只、静かに観察していた。其の事が、一乃は気に入らなかった。
折角、復讐を果たす為に人の道を外れたと言うのに。此の儘では、人外の道に足を踏み入れた意味がない。東山昭久に、生地獄を必ず与えてみせる。
涙を流し、嗚咽を洩らし、糞尿を垂れ流し、恐怖と苦痛に震え上がりながら助けを懇願させたかった。
そして、気が狂いのた打ち回る其の様を見たかった。
——と、其の時だった。
インターホンが部屋に鳴り響いた。先程、昭久が喚き散らした所為で、隣室の住民が通報したのだろう。警察を呼んだ処で、意味を為さない。昭久の狙いが、此れだと謂うの為らば、徹底的に絶望を叩き込んでやらなければ為らない。
「警察です。東山さん、どうしました?」
暫しの間の後、鍵を開ける音がした。
ドアが開き人が侵入する気配が複数した。程無くして、二人の警察官と管理人と思わしき男が、部屋に入って来た。
誰にも邪魔はさせない。邪魔をするの為らば殺すだけだ。
力を得たばかりで、呪毒を一度に一人にしか使えない。仕方なく東山昭久に絡めた髪を解除した。どうせ、逃げられはしない。
警察官の一人に、髪を絡めて絞め殺した。其の刹那、内側から異様で異質な力が溢れて来た。迸る様な快楽が全身を衝き抜けて、心が沸いていた。
「どうやら、殺した様じゃな?」
愉悦を含んだ内なる声。
「ひぃっ……化物ぉ!」
警察官の一人が、恐怖に顔を歪めて叫んだ。
「其処の鏡を見てみるが良い」
内なる声に言われる儘、鏡に目をやって驚いた。
自分の美しい髪が、蛇に成っていた。
「さぁ、もっと妾の力を振るうが良い。もっともっと……数多の殺戮に内奮うが良いわ!」
愉快そうな内なる声。
警察官が拳銃を構えていた。
発砲する前に、念を送るだけで石と化していた。他愛も無い。
管理人と思わしき男も、恐怖に歪めた顔で石化していた。
「素晴らしい力だな、皆川一乃。差し詰め、神話に出て来るメデューサと言った処か……」
愉快そうに拍手を送る東山昭久。随分と余裕そうで在った。
其れが、何よりも気に喰わなかった。殺す事は、何よりも容易かった。だが、決して殺しては往けない。
必ず追い詰めて、生地獄を与えてみせる。
「一つ、忠告してやる。私が憎いのなら……今、此の場で殺しておいた方が良い。そうしなければ、きっと……後悔する事になる。ふふふ……何故なら、何者にも此の私を止められないのだから!」
突然、ドアに向かって走り出した。
逃がしはしない。
髪を東山昭久に送る。
「馬鹿の一つ覚えだな、皆川一乃ぉッ……!!」
東山昭久は、ライターで己のスーツに火を着けた。
髪が纏わり付く前に、燃やされて往く。苛立ちに拍車が掛かった。殺してしまいたい。けれど、其れでは足りはいない。激しく荒ぶる憎悪は、どす黒く燻っていた。昭久の苦痛に歪んだ表情を見るまでは、決して収まらない。泣き喚きながら、殺して下さいと懇願するまでは、苦しめ続けなければ為らない。気が触れて狂い死ぬ迄、苦しみを与え続けなければ為らない。
「追わずとも良い。最早、奴に逃げ場は何処にもない」
内なる声が、制止の声を掛ける。
「其れもそうね……」
東山昭久の体内には、まだ髪が残っている。呪毒の籠った髪だ。
其の髪が、じわりじわりと毒の様に苦しめる。臓腑を腐らせ、激痛と成るのだ。だが決して、直ぐには死ねない。
決して逃れる事は叶わないのだ。




