肆
夜の繁華街を、勲は歩いていた。
生まれ付いての仏頂面の所為か通り過ぎる人は皆、勲を避ける様にして歩いていた。其れ故か勲は、道の真ん中を我が物顔で闊歩する。
処が中には、柄の悪い人種がいる。風切る勲に金髪のチンピラが、態と打つかりにいく。そんな事は、お構い無しに通り過ぎる勲。
「おい、ジジィ。ぶつかっといて、何の挨拶もなしか?」
——全く、若造が。偉大なる大作家に対して、爺呼ばわりとは失礼な奴だ。
其れに風情のない髪の色をして、下品極まりない。見ていて不愉快で在る。
こうゆう手合いは、ガツンと黙らせなければ為らない。
昔から肉体労働をしていた勲の身体は、齢八十にして筋骨隆々としていた。
「みぎっ……」
チンピラの鼻っ面に、勲の拳が見事に減り込んだ。鈍く硬い衝撃が拳に触れる。鼻骨が折れたのが解った。不快で在る。
後方に吹き飛び、倒れるチンピラ。泡を吹いて、気を失っている。潰れた蛙を連想して、滑稽に思えた。鼻で笑い、勲は踵を返す。
其れを見て、周囲で驚きや奇異の声が上がる。が、勲は何食わぬ顔で歩いて行った。
——貴方。又、喧嘩ですか。
勲を咎める妻の声。
「あぁ言った輩は、体に教えてやらんと解らんのだ。何せ言葉が理解、出来んのだからな」
——年を考えて下さいよ。無理をしたら、御体に障りますよ。
「そうだな。私は偉大なる大作家なのだから、つまらん事で拳を痛めては大事だ」
含み笑いを浮かべながらも、勲は歩いていく。
どんどん、人気のない道へと歩いていく。そう、まるで何かを誘い込む様で在った。
「良い加減、出て来たらどうだ。私に用が有るんじゃないのか?」
先刻から、何者かが後をつけて来ている事に気付いていた。此処最近、妙に感覚が鋭く成っていた。
周囲の声や物音が、五月蠅くて敵わなかった。
どいつもこいつも、自分を誰だと思っているのだ。
皆、黙らせてやらなければ為らない。
「お前、既に何人か殺したな?」
若い男の声がした。何処から聞こえてくるのか、全く解らない。
察しの通りで在った。近隣の生活音が煩わしくて、執筆に差し支えていた。だから皆、ガツンと黙らせてやった。
偉業を成し遂げる為には、犠牲は付き物だ。如何なる者も、己の使命を邪魔する事は赦されない。
「私に何の用かね。サインなら、特別にしてやっても良いぞ?」
周囲を警戒しながら、勲は余裕の表情をしてみせた。最近の若い奴等は、何を為出かすか解った物ではない。迂闊に放っておけば、此方が痛い目に遭う事になる。
「頭のイカれた奴のサインなんざ、要らねぇよ……糞ジジィ!」
「汚い言葉を使うな。耳が腐ってしまうだろう。貴様、本を読まないのか?」
不愉快で在った。
ガツンと黙らせてやろう。
「本を読む事で、世界は一変する。荒廃した世界に、一筋の光を産み落とす。光の当てられた処だけ、死んだ世界が蘇る。其れが、物語と成る。どうやら、貴様には其れが解らぬ様だな?」
長広舌が終わった時には、既に勲は鬼神化していた。全身を素晴らしいパワーが漲って往く。枯渇していた心に、泉の様に言葉が沸き起こって来る。溢れ出す言葉が、勲の感性を刺激して、物語が奔流と成って胸臆に雪崩ている。
——書きたい。と謂う欲求に駆られて、勲は心が昂ぶった。気付けば自分の周囲を、何かが飛来していた。




