参
「……パパっ!!」
帰宅するなり娘は、自分の元へと飛び付いて来た。小さな小さな、大切なお姫様だ。少しばかり我儘だが其処が又、可愛らしいのだ。
愛おしい温もりを抱き締めながら、リビングへと向かう。娘の髪の優しい香りに、心が癒される。
「……あら、お帰りなさい!」
妻が優しい笑みを投げ掛けて、出迎えてくれる。自分は本当に幸せ者だ。
仕事の疲れも二人の笑顔に触れれば、立ち所に吹き飛んでしまう。幸せな団欒の刻を過ごしながら、正幸は五年前の事を思い出していた。
妻が出産の際、自分の元に急患として運ばれて来た。母子共に危険な状態で、一刻を争う事態で在った。どちらか一方を、諦めなければ為らない状況。迷い、惑いながら、正幸は賭けに出た。妻と娘の両方を助ける道を選んだのだ。はっきり謂って、非常に危険で分の悪い賭けで在った。
結果、奇跡は起こった。
「ねぇ……パパ。一緒に、お風呂に入ろうよっ!!」
抱き上げた娘が、甘えた声で謂った。愛おしくて堪らない。娘は何者にも換え難い宝物だ。娘の為ならば、何だって出来る。どんな手段を用いてでも、必ず護り育て抜いてみせる。悪い虫が付こう物ならば、タダではおかない。
娘の頬に、優しくキスをする。柔らかな頬の感触が、唇に伝わる。温かくて、心地良い肌触りだ。
「ゆっくり、体の疲れを洗い流して。今日は、ご馳走よ!!」
「そいつは、楽しみだな!」
鼻腔を擽る薫りに、食欲が刺激された。
妻が料理に遣う肉は、普通の店では取り扱っていないらしい。何の肉なのかは教えてくれないが、一度でも食べれば病み付きに為る程の美味しさだった。
「ねぇ……パパ。早く、お風呂に入ろっ!!」
「解った、解ったっ!!」
急かす様に甘える娘。
本当に愛おしい存在だった。
浴室の脱衣所に着くと、娘を降ろした。一般家庭の脱衣所には、必ず在る筈の物が我が家には無かった。脱衣所に限らずに、ウチには其れは無い。
出産のトラウマなのか、妻は鏡に近付く事を極端に嫌った。其の為、此の家には鏡の類いは一切、無かった。
心的な事は専門外で在ったが、デリケートな心象だ。ゆっくりと時間を掛けて、治していけば良い。
愛する妻と娘が居るだけで、幸せで在った。




