陸
「危ない所だったわね、香流羅!」
眼前には、砂羅の姿が在った。
どうやら、命を救われた様だ。だが、砂羅と自分の力を合わせたとしても、東山昭久とタタラには届かない。
「ほぉ……。此れは、此れは……お美しいお嬢さんだ。是非とも、切り刻みたい所だが、残念ながら《赤毛》が此方に向かっている様なんでね。今日は此れにて、失礼させて貰うよ」
不快な高笑いを残して、風と共に去って行った。
命を拾った安堵感。吐き気がした。自分の弱さに反吐が出るくらい苛立っていた。
——滑稽だな、小僧。我を受け入れれば、更なる力を授けよう。
内なる声。
心の奥底に在る闇から、ガイアの其の声が聴こえて来た。
力を得れるのならば、闇に堕ちるのも悪くないかも知れない。
そう思った刹那、頬に衝撃を受けた。
「駄目だよ、香流羅。闇に耳を傾けるな。お前は、未だ未だ強く成れる。父さんと母さんの無念を、晴らしたいんでしょう?」
力強くて、優しい眼差しを、此方に向けていた。
——そうだ。自分には、掲げるべき正義が在る。護るべき家族が居る。
決して闇に屈しては、往けない。
「此処は……彼等に任せて、退きましょう?」
砂羅の視線の先には、羅刹が居た。見知らぬ男も居た。
羅刹と目が合った。沸き起こる苛立ち。忌むべき相手が目の前に居る。戦騎騎士は、斬らねば為らない。少なくとも自分に取っては、憎悪の対象で在る。
胸裏を蠢く憎しみの蛇が、怒りと絡まり合う。無意識の内に雄叫びを上げていた。臓腑の奥から込み上げる感情は、怒りと悲しみが混ざり合って、どろどろに溶けていた。ゆっくりと、自分の中の何かが軋みを上げながら、決定的に崩れて往く。感情を抑える理性の箍は、既に消え失せていた。戦騎騎士が憎かった。弱い自分が歯痒かった。大切な者を喪い、蹂躙され、奪われて往く。幼い頃の記憶が、胸奥の奥の奥から蘇っている。もう、喪いたくない。此の身が滅びても良い。心が砕けても良い。魂が欠落して、闇に墜ちても構いはしない。只々、力が欲しい。強く成りたかった。復讐を果たせるの為らば、どうなろうとも構わない。
——力が、欲しい。
気が付くと羅刹に目掛けて、斬り掛かっていた。其れを、籠手で受ける羅刹。
籠手に刻まれた《護りの刻印》を見て、香流羅は全身の血液が沸騰していた。
「何故、此奴に力を授けた!」
砂羅に問い掛ける。憎しみの対象で在る戦騎騎士に何故、加担するのだ。事と次第に依れば姉と謂えども敵に成り得た。
頭の中を靄が掛かった様に、思考が鈍く淀んでいた。もう、何も考えたくなかった。気付けばガイアの数珠が、黒く淀みながら邪気を纏っている。負の感情を喰らっているのだ。数珠から、力が雪崩込んで来ているのが理解った。
「落ち着きなさい!」
「黙れ!」
龍脈の氣を取り込み、術を編み込んだ。
未だ、力が足りない。もっと、力が必要だった。自分には、更なる力が必要だ。
「父さん達が、戦騎騎士に殺された事を忘れたのか……姉さん!」
幼い香流羅の目の前で、金色の鎧を纏った騎士に父は斬り殺された。
——絶対に赦せなかった。
更なる力を求めて、香流羅は氣を取り込んでいた。
「父さんは、闇に堕ちていたのよ。そして、香流羅……貴方も今、闇に堕ち様としている。けど……其の前に私が、貴方を斬ってあげる」
愁いを帯びた優しい微笑を浮かべて、砂羅は忍び刀を抜いた。
「待ちなさい。此処は私が、彼を鎮めよう!」
赤毛の男が、此方を見据えていた。
力強い眼差しに、幼き頃に見た父が重なった。
「其の若さで、其れ程の力を身に付けるとは……。余程、強い思いが在ったのだろう。成ればこそ、闇に堕とす訳には往かぬ」
香流羅は青丸を召喚して、在りっ丈の氣を流し込んでいた。
「ぐっ……ギッガッ…………ガッ、ガ……ガァァァ……!」
青丸が鷹から、龍へと其の姿を変えていた。
全身に纏わり付いて、青丸は鎧と成り、盾と成り、剣と成った。
「羅刹よ。お主は、魔徒を討て。私は此の青年の闇に、暉を当てるッ!!」




