参
「お嬢様、おはようございます」
執事の比津地が、寝起きの史華に頭を下げる。其の後ろにも、幾人もの召し使い達が控えている。
天鵞絨のドレスに身を包んだ史華が、ゆったりとした動作で歩きながら、皆に微笑み掛けた。其れだけで場に居る者の表情が、僅かに弛緩するのが解った。静謐な空気が場を埋める中、一同の視線は史華へと注がれていた。皆が自分の虜と為っている。男も女も、老いも若きも、史華に魅了されていた。
史華は日本有数の大富豪、神峰財団の御令嬢で在る。
正真正銘のお嬢様で在る。余り在る財と、恵まれた才。そして神も悪魔も区別なく魅了するだけの『美』を、自分は兼ね備えている。皆が魅了されて、羨み妬むのも無理はない。此の世界は、自分の掌の上を廻るのだ。
「御早う、権座衛門」
穏やかな笑顔を、比津地に向ける史華。其の笑顔に、屈託は無い。妖艶な微笑では無く、無垢なる少女の笑顔で在った。比津地は史華が幼い頃から仕えている。史華が心を許せる数少ない人間で在った。故に其の笑顔は自然な物で在ったし、温かで在った。尤も史華自身は、其の事に気付いていないのだろう。
「お嬢様、今日は一段と御美しゅう御座います」
比津地の言葉には、嘘はなかった。
いつだって、比津地は史華に対して真摯に向き合ってくれている。
時には厳しく、自分を優しく気遣ってくれる比津地が、史華は大好きだった。
忙しい両親に代わり、比津地が史華を育ててくれていた。
故に史華に取って、比津地は家族も同然で在った。
唯一、史華が人の子で在れる相手と謂っても、決して過言では無い。
「史華様。失礼、致します」
専属のスタイリストの小池が、史華の髪の手入れをしようと頭を下げる。
史華の身の周りの事は、召し使い達が全てしてくれていた。全て其の道に長けた者ばかりを、比津地に集めさせていた。比津地の采配に、史華は口出しする心算は無かった。
けれど史華は小池の事を、卑近な男だと軽蔑していた。話す言葉もヘアメイクの腕も、通俗的で面白味の欠片も感じられなかった。
黙々と髪に櫛を入れる小池の指を見て、思わず嫉妬してしまった。
男の癖に、美しい指をしていた。
そう、自分よりも美しい指だった。史華には其れがどうしても、赦せなかった。
妖艶な笑みを浮かべて、史華は小池に目線を送る。小池は其れだけで、史華に魅了されてしまっていた。
小池は召し使いとしては日も浅く、まだ若かった。二十代前半、と言った処か。史華の美貌に掛かれば、小池程度の男を虜にするのは容易かった。
「権座衛門、食事の支度をしなさい」
「畏まりました」
比津地は一礼すると、静かに退室した。
「他の者達も下がりなさい」
言われる儘に、小池を残して召し使い達は部屋を後にした。
「ねぇ、小池。貴方はもう、私に夢中でしょう?」
立ち上がり、史華は衣服を脱ぎ捨てた。
美しい肢体が、顕わになる。一糸纏わぬ史華を見て、小池の目線と心は奪われていた。
妖しく嗤う史華。小池の息は、次第に荒くなる。
ゆっくりと、史華へと手を伸ばす。
柔らかで豊満な乳房に触れる寸前で、小池の手が止まる。
「貴方、如きが……此の私に触れる事は、赦さないわ」
「申し訳、御座いません……」
「跪きなさい」
史華の言葉に従う小池。
「貴方の全てを、私に捧げなさい」
史華の腹に、鏡が埋め込まれていた。
其の鏡に、小池の姿が映っている。
「私の全てを、史華様に捧げます」
小池の体が、少しずつ鏡に吸い込まれていた。
魔徒と成った史華に、喰われているのだ。
「私の美貌の前では、全ての者が無力だわ」
史華は誰も居なくなった部屋で、嗤っていた。




