女神の帰還 5
「それで、来たんだ。」
愉しげにいう青年の柔らかな黒髪を眺めながら、青年の副官、炎のような巻毛をした少年型の異系生命体が頷く。
赤い巻毛に性別の判定しがたい美貌、瞳の色は不定だが、現在は虹がその表面を過ぎるように見えている。肢体は少年型を選んでいるが、実際は千年を既に越えて生存している個体である。
帝国が支配を広げる以前、遥か宇宙誕生の頃にまで遡るといわれる起源を持つ生命体。人の前には人型を取ってあらわれるが、正体は帝国中枢にあるほんの一部の存在にしか明かされていないといわれる知的生命体――超常能力を操るといわれる古族。
その一体が、副官としていまこの辺境調整官の傍らに在った。古族であることを現す認識票、髪と同じ紅い宝石の環を左耳の中程に嵌めている。それがなければ、単に美しい容貌の少年に過ぎない。
青年と同じく調整官の制服である黒の無機質がいっそ惜しいほどの容姿であるが。
単体で星を砕く力を持ち、星の虚空を渡り、見晴るかす星々総てを同時に見透すことができるといわれる古族。
その古族を部下に従えながら、辺境調整官、伊神那人は微笑した。
「艦長と副官が共に降りたようだ。」
感情の伺えない声でいう古族に、那人が楽しそうにいう。
「うん、無謀だね。」
にこやかにいう那人を、古族があきれたように眺めている。
「調整官。」
「うん?なにかな。」
那人の笑顔に古族が沈黙する。それから。
大きくためいきを吐いた。
「え、――――それはないなあ、」
古族らしからぬ感情表現に、一応驚いたふりをして那人がいう。その白々しいさまに横を向いて、軽く古族が視線を逸らす。
高雅にして位高い古族のイメージを抱いているものが見たら、どう反応していいか迷うような場面が調整官が借り上げている一室では繰り広げられていたが。さいわいなことにか、目撃者は何処にもいないようであった。
かくして始まる宴に、艦長と共に出席の運びとなった副官だが。
苦虫を噛み潰したような表情で立つ副官に、気を使ってか、艦長がカクテルを手に運んで来る。宴は漸く登場人物の延々とした紹介や、基地の歩みとか云う退屈極まりない代物が終わり、各人自由に飲んだくれてくれ、という――これは、艦長独自の解釈であるようだが―――パートに漸く入った処である。
「ほらほら、酒を持ってきてやったぞ?何てサービスの良い上官なんだ。優しい上官でよかったな。」
「―――…貴方の基準で酒を選ばないでください。」
苦い表情を変えもせず、リゲルが指摘するのは酒の銘柄。
「そうか?」
といって不思議そうに艦長が眺める左手に持つ酒を見てリゲルがいう。
「こちらは、酩酊度数の強い酒で有名なアンタレス高原で採れる虹の酒をベースにしたカクテルでしょう。半分も飲めば大の男でも引っ繰り返るという代物です。優雅な外見と違ってその強さから竜殺しといわれてるカクテルです。こちらは、」
右手に持つカクテルを見て眉をしかめる。
「もっと悪い。星をも破壊するといわれる星域破壊者の異名を持つカクテルじゃありませんか。酩酊度といい破壊力といい、これ以上の組み合わせは無いって代物のくせに、口当たりが非常に良い。うっかり飲干せば、次の瞬間寝息を立てるという代物です。――――副官を酔い潰して晒し者にしようという魂胆ですか。」
きれいなカクテルを交互にながめて、艦長がいう。
「いいじゃないか?綺麗だろう。誰もおまえに酔い潰れてほしいとは思ってないぞ?運ぶのが面倒だし。」
「本当にそう思っていらっしゃいますか?運ぶのは誰が他のものにさせて、ご自分は見学して遊んでいよう、という魂胆はないと?」
「物凄い信頼だなあ、副官殿。」
「御仕えして長いですからな。」
しかつめらしくいう副官に、艦長がためいきを吐く。
「仕方無いなあ、…これは両方とも私が飲むか。」
「是非そうしてください。」
慇懃に頭をさげる副官に哀愁を帯びた目で見返すが、結局留めそうにないとわかると哀しげな顔のまま一息に星域を破壊するものと名付けられたカクテルを煽る。
「うむ、美味い。」
倒れる処か続いて竜殺しと呼ばれるカクテルを口に運ぶ。
「どちらも非常に強いカクテルなのですがね、…お強いんですね。」
にっこり、笑顔で掛けられた声の主に向けて、剣呑な表情で艦長が振り向いた。
絢爛豪華、とまではいかないが、それなりの工夫を凝らされた歓迎パーティに集まる人々の中、地味にさえ見える衣装だが。
或る意味、これ以上目立つものもない黒の制服。
調整官の黒を身に纏った姿の青年を前に、艦長が派手な渋面を作る。
「調整官殿。先程の挨拶にはおられなかったようだが…?」
「ああいう面倒ごとには出席しないようにしてるんです。調整官って黒子ですし。」
艦長が詰まる。つまって渋面がますます酷くなる艦長と。構わずにこやかにいう調整官那人に感心した視線を副官リゲルが送るのに、艦長がさらに不機嫌になる。
「どうした、副官。君は私の副官なんだろうに、どうしてそううれしそうにしている?」
「いや感心しました。」
「何?」
「艦長がここまで苦手になさる方がいるとは。それだけでも今宵離艦して訪れた甲斐がありましたよ。」
頷いていうリゲルに艦長が目を剥く。
「あのな?貴様それでも私の副官か?」
「日々常々感じていたことですが、傍若無人な艦長にも何処かに苦手とするものがこの広い宇宙には存在するに違いないと―――殆ど信念というか、祈りでしたが、信じていてよかったですな。」
「言葉が処々矛盾してないか?文法おかしくないか?副官。」
「艦上ではお逢いする機会もなく、失礼致しました。いや感服致しました。」
「そう?いやいいね、こういうひとが君の副官してくれてるんだ。人に恵まれてよかったね、将軍どの。」
「―――何が感服だ、あのな、」
微笑する那人は姿だけみていれば実に人畜無害にしか見えない。極普通に生活していそうな好青年だ。
脱力して、艦長が呟いた。
「酔った、かな、…。」
「そんな、星がいきなり爆発するより有り得ないことを。」
何をおっしゃってるんです、とリゲルがすかさずいい。
「あなたが酔っ払うのなら、…―――やっぱり天変地異の前触れかな?」
「きさまらな、…。」
「気が合いますな。」
「気があうねえ。」
禿頭の副官がしかつめらしく那人に頷き、調整官もにっこり頷いている。
宴もたけなわ、背景に流れる音楽も、緩急をつけてクライマックスへと向けて進んでいる。
其処へ、何しろ調整官と帝国の常勝将軍の会話とあって、遠巻きにしていた周囲から一歩踏み込む者がある。基地司令エンゲスである。
「いや、これはこれは、この度はこのような晴れがましい顔ぶれにこの辺境基地が恵まれますなど、――――。」
カクテルを手に、いいながら近付いてくる司令を、艦長と調整官が同時に振り向いた。
否。
「な、どうなさって、―――。」
途切れる基地司令の声は聞いていない。二人がほぼ同時に面を振り向け、走り出す。着いて行くリゲルは、何の説明も無く宴会場を走り出す上司の代わりに一瞬だけ立ち止まって非礼を詫びた。
「済みません、教育のなっていない上官で。この度は退席させて頂きます。お許しください。」
「あ、…ああ?」
訳も判らずに頷く基地司令を後にリゲルも上官達を追って姿を消す。
一瞬の内に会場から姿を消した旋風のような三人に、呆気にとられた基地司令が見送る。
何事が、と見守る会衆に慌ててカクテルを掲げ大声でいう。
「皆さんお気になさらず!楽しんでください!」
もとより速過ぎる退場に何が起こったのかわかっていないものが多い為か。しばらくすると、会場は何事もはじめから起こらなかったようなざわめきを取り戻していた。
「聞いたか?――遅いぞ。」
「一応司令官にお詫びをして参りました。」
慇懃にいう副官に艦長が柳眉を寄せる。
「詫びる必要があるか。おまえも聞いたな?」
微かに頷くリゲルに、視線を艦長が外部に向ける。
聳えるシールドの向こうは吹雪。荒れる大嵐と叩き付ける雪風。
無言のまま真直ぐに二人が駆け込んだのは格納庫である。構造材を埋める物理隔壁とシールドの二重構造で護られる基地内は、無論だがこの激しい嵐にも小揺るぎもしない。
していないように見えるが。
微細な震動を感知するように、眸を細めて艦長がシールドの頂きを見つめる。険しい視線に眉が寄せられる。
対して、真直ぐに見つめるのは同じ頂きながら、のんびりと眺めてくちをひらくのは那人である。
「…あれ、頂点の接合ポイントが少し擦れてるね。」
「シールドの展開値が完全に合一なら、ああいった症状は起きない。物理隔壁だけでこの外部空間に立ち向かう場合、どれだけ持つ?」
厳しく問う艦長にリゲルが答える。
「地表条件は専門ではありませんが、設けられた物理隔壁の強度は横風がこの十分の一も吹けば壊れる程度です。シールドが吹き飛べば、中の人員とも、嵐に吹き飛ばされて終わりでしょうな。」
「何で、シールド破壊時の条件で設計しないんだ、…。」
「通常しませんよ、建築費がいくらあっても足りない。第一、元々この分類の惑星に地上施設を作る方が無謀何ですから。シールド技術があったからこそです。艦でも、シールド無しで恒星内部を通過する強度には作れないでしょう。それと同じことですよ。」
「ち、――…この基地は、一応帝国の一部だな?」
そして、眉をしかめていう艦長に慇懃にリゲルが答える。
「その通りですが。」
「腹の立つ連中だが、―――帝国臣民となれば見捨てるわけにもいかんな。調整官、貴方は帝国臣民の救助義務を持つのか?」
噛み付きそうな口調でいう艦長に、那人が微笑する。
「ないです。」
調整官は帝の為だけに仕事することになってますから、とにこやかにいう調整官。
「わかった、だったらはやいとこ、あんたたちだけで避難してくれ。邪魔にならないようにどっか消えてくれてるとうれしいな。こちらは帝国臣民を保護する義務を負った帝国軍人なのでね。――調整官殿、勝手に逃げてくれ。」
「うん、わかったよ。」
にっこり、じゃ、がんばってね、と立ち去る那人を、思わず茫然とリゲルが見送る。
「あの、あれ、―――。」
「最初から無かったことにするとすっきりするぞ?いずれにせよ調整官は帝のものなんだ。下手に存在されては救助の優先順位が煩わしい。自分から消えてくれるなら任せた方がよかろう。処で、副官。」
「――はい、何か。」
リゲルを振り向いて、それから艦長が魅惑的に笑う。
笑顔で。
「星を破壊するものと、竜殺しか。いい酒を飲んだ。これなら、対抗することも出来るだろうさ。」
振り仰ぐのは、白い嵐。
吹き荒れる暴風と、凶暴な嵐を食い止めるには華奢な基礎構造。
揺れているシールド。
シールドの生み出す僅かな震えが生む音楽を、先に耳にして艦長と調整官は走り出したのだ。
シールドが崩壊すれば、基地は瞬く間に破壊される。
揺れの生み出す音楽。
外部の嵐と共鳴する音を耳に。
「このままでは基地のシールドが破れる。艦に連絡を取れ。副官。艦の供給装置から、臨時にパイプを引き、シールドにエネルギー供給を行う。」
決定事項を告げる言葉に、頷くと通信回線を艦上と繋げる。
氷雪が唸る嵐の響きは、まだ基地内に降りてはいない。
降りたとしたら、既にそのときには手遅れに違いなかった。




