剣闘王アンドレ
剣闘王アンドレ。
彼は貧民街の孤児だった。
幼い頃から大きかった彼は、十三歳の頃にはに二メートルを超えていた。
彼は常に空腹だった。アンドレはその巨体を維持するために、より多くの食べ物を必要としたからだ。
だが、貧民街で満足な食事にありつけることはできない。
アンドレは日に日に痩細り、ついには動くことすらできなくなった。
薄れゆく意識の中アンドレは死を覚悟した。
そんな時、その男は現れた。
その男、オーモリーは貴族で大の剣闘好きだった。
アンドレもその巨体から目を付けられ、剣奴として拾われたのである。
オーモリーの館では手足を拘束され地下室に閉じ込められていたが、逃げたいとは思わなかった。
何故ならここにいれば飯が食えたからだ。
アンドレは空腹がどれだけ辛いか知っている。そんな彼は多少窮屈でも、この生活を手放したいと思えなかった。
それに、ここは寂しくなかった。ここにはマナミがいたからだ。
マナミは四十がらみの女性で、オーモリーからアンドレの世話を申しつけられた使用人だ。
マナミは食事を運んできた際など、アンドレと話をしてくれた。
彼女は優しかった。アンドレが怪我をすると心配し手当てをしてくれた。
母親を知らないアンドレは、母親に抱く愛情をマナミに抱いていた。
剣闘士としてアンドレは鮮烈なデビューを飾る。
見た目のインパクトは絶大で、規格外の巨体で観衆の度肝を抜くと、対戦相手の体よりも大きな剣を軽々と振り回し、一撃で仕留めるその力に会場は歓声に包まれた。
貧民街の孤児だったアンドレにとって初めての経験だった。
湧き起こる歓声を浴び、英雄になったようで快感を覚えた。
連戦連勝のアンドレはいつしか剣闘王と呼ばれるようになった。
「すごいね、これからは王らしく振る舞わなきゃね」とマナミは喜んでくれた。
マナミの言葉に剣闘王として、王らしく戦おうとアンドレは決意した。
剣闘王と呼ばれ観衆を沸かせていたアンドレの人気にも陰りが見え始める。
アンドレは強すぎたのだ。
毎回同じように一撃で終わる試合、その強さのせいで賭も成立しなくなった。
そこでオーモリーはアンドレに接戦に見えるよう手を抜いて戦えと指示をする。
しかし、アンドレは従わなかった。
アンドレは剣闘王として「王らしく」戦いたかったからだ。
これにオーモリー激怒した。
次の試合から拘束具を付けたまま試合をさせられた。
体の自由が利かず、初めて傷を負うアンドレに観客は興奮した。
剣闘王と呼ばれていたアンドレは今や悪役だった。規格外の巨体ゆえにアンドレは化物と呼ばれた。
当初アンドレの強さに熱狂していた観衆も、アンドレが倒される場面を、人間が化物を倒す場面を熱望するようになっていた。
それでもアンドレは負けなかった。時には深手を負いながらも、勝ち続けた。
アンドレは剣闘王として負けるわけにはいかなかった。
ただそこに満足感はなかった。アンドレは全力の戦いを望んでいた。正々堂々、王として全力の相手を真っ向から迎え撃つ、それがアンドレの考える「王としての戦い」だった。
そんなアンドレにも遂に終わりの日がやってくる。
その日の相手は六人組の男たちだった。
当然のように手足を拘束され試合をするアンドレ、多人数相手との試合はこれまでも行ってきたが、今回はいつもと違っていた。
大きな盾を持った重装備の男、片手剣にバックラーを装備している男、両手にダガーを持った痩せ型の男。そこまではいい、だが問題は残りの三人だ。弓を持つ男と、ローブを着た男が二人。
ホプライト、ファイター、シーフ、アーチャー、ソーサラー、クレリックの六人だ。
試合が始まるとホプライトの男が前に出てアンドレを挑発し、同時にクレリックの男が防御力強化の魔法をかける。
「ぐおっ!」
アンドレの一撃を大きな盾で防ぐも、想定以上の威力に男は壁まで吹き飛んだ。
だが、この男の役割はこれで十分だった。
アンドレが男を攻撃した隙にシーフとファイターの男はアンドレの背後に回っていた。
「ウッ」
シーフのダガーが右足を、ファイターの剣が左足を切り裂いた。
ファイターの一撃は足の健を切断し、シーフの攻撃も傷こそ浅いがそのダガーには毒が塗ってあった。
足に力が入らずふらつくアンドレを更なる攻撃が襲う。
遠方からの放たれる矢と火球、アンドレにそれを躱す余力はなかった。
これまでも多人数を相手にしてきたが今回の相手はこれまでの相手とは違った。
これまでは皆がアンドレの首を獲ろうと無作為に攻撃をするだけだったが、今回はそれぞれが役割を持ち、その役割を果たしている。
彼らはチームで戦うパーティーだった。それに遠距離攻撃、拘束され動きが鈍い大きなアンドレは絶好の的以外なんでもなかった。
アーチャーとソーサラーの攻撃をまともにくらい、ついにアンドレは崩れ落ちるた。
初めて見る、アンドレの姿に観衆は熱狂する。
その後も剣士たちの執拗な攻撃は続き、ついにアンドレは動かなくなった。
アンドレは敗北した。
体の自由を奪われた相手に六対一で戦う。
普通なら卑怯だと非難されてもおかしくない。
にもかかわらず勝利した彼らはまるで英雄のように観客の声援を浴びていた。
動かなくなったアンドレは死亡したと思われ、数人がかりで闘技場から運び出された。
しかし、アンドレは生きていた。
体中から血を流し、瀕死の状態のアンドレは、なんとか立ち上がると、剣を杖がわりに会場から姿を消した。
「オーモリー様!?」
普段は足を踏み入れることのない地下室、それもアンドレの部屋にオーモリーがきたことにマナミは驚く。
しかも背後には護衛を従えており、そのうちの六人はマナミの知らない顔だった。
「何をやっている」
マナミの傍に横たわるソレを見てオーモリーは言った。
不機嫌な声にマナミは嫌な予感がした。
「アンドレの治療を」
マナミは瀕死のアンドレを治療していた。死んでもおかしくないような重傷を負いながらもアンドレが帰ってきたのは奇跡だった。
マナミに付き添われ地下の部屋に入るなりアンドレは倒れた。
意識が朦朧としているアンドレに「絶対に助けてあげるから」と励ましながらマナミは治療を行っていたのだ。
「必要ない」
冷酷な言葉は予感が当たっていることを示していた。
「ですが、オーモリー様――」
「五月蠅い!」
「キャー」
オーモリーは護衛の剣を奪いマナミを斬りつけると、マナミの体は崩れ落ちた。
マナミの体を中心に鮮血が広がっていく。
「使用人風情が口答えなど、分をわきまえろ」
不快感をあらわにしてナミーを見下ろすオーモリー。
「アンドレ……やくそく……ごめん……ね……」
やっとのことで絞り出したその言葉を最後にマナミの体から一切の力が抜けた。
「死におったか、目障りだ、さっさとこのゴミを片付けろ」
控えている護衛に命令したその時だった。
「ウオォーーーーォ!!!」
咆哮を上げ、アンドレは立ち上がる。
瀕死の体のどこにそんな力が残っていたのか、アンドレは手足の拘束具を引き裂いた。
予想だにしない出来事にオーモリーは、驚愕し立ちすくむ。
「な、何を呆けている。アイツを殺――」
指示を最後まで言い切ることなくオーモリーの頭は体とお別れした。
「ウォーーォ!」
咆哮を上げながら剣を振るい続けるアンドレは次々とオーモリーの護衛を殺し部屋を血の臭いが満たしていく。
「依頼主は死んだがどうする?」
「報酬は貰ってるし、仕事はしとくか」
ニヤニヤ笑みを浮かべアンドレの前に立つ六人の男。闘技場でアンドレを倒した男たちだ。
「やるぞ」
そう言うとホプライトの男は盾を構えクレリックの男が魔法をかける。
「グォー」
咆哮とともに繰り出された一撃がホプライトの男を襲う。
「えっ?」
後ろに控えていたクレリックの男の顔を何かがすごいスピードで掠めていく。
男の顔にはドロリとした生温かい液体が付着していた。
一瞬何が起こったのか分からなかった男だったが、アンドレの前に転がっているそれを見て何が起こったのかを理解した。
そこにあるのは半分になった盾と足、ホプライトの男だったものの下半身だった。
じゃあ、上半身はどこへ?
クレリックの男は恐る恐る振り返る。
「!!!」
後ろの壁は血で汚れており。傍らに鎧に身を包んだ男の上半身が転がっていた。
吹き飛ばされたとはいえ闘技場では防ぐことができたアンドレの攻撃だが、今回はそうはいかなかった。自由になったアンドレの一撃は男たちの想定をはるかに超えていた。
「くらえー」
背後に回り込んでいたシーフとファイターの男がアンドレの両足を狙う。
「ギャァ」
体を反転させながらの一振りに二人の男の体は真っ二つになった。
「グオオオー」
アンドレの咆哮に地下室が揺れ、残った三人は恐怖した。
咆哮がおさまるとアンドレはゆっくりと反転し、怒り満ちた鋭い目が男たちを捕える。
「く、くるなー」
叫びながら弓を射るアーチャーと炎魔法を放つソーサラー。
迫りくる矢と火球に剣を一振りすると、剣圧で矢は勢いを失い、火球は消えた。
アンドレはすぐさま床に剣を突き刺すと、それを軸に前転し男たちとの距離を詰める。
「うわあああー」
目の前のアンドレに三人は恐怖する。
アンドレはそのまま剣を薙ぎ払うとアーチャーとソーサラー男は見るも無残な姿となり絶命した。
最後に残ったのはクレリックの男。
男はあまりの恐怖に腰が抜けたため、運よく剣が頭上を掠めたのだ。
運よく?
いや、男は運が悪かったのかもしれない。
なぜなら結果が決っている中で一番長く恐怖を味わうことになったのだから。
涙や鼻水まみれの恐怖した顔、ガタガタ震える体、その股間は濡れ黄色い液体が床を伝っていた。
アンドレは男を見おろし、剣を振り上げた。
「た、助け――」
懇願も虚しく、振り下ろされた大剣が男を襲うと、男の体は原形をとどめない、ただの肉塊となった。
全ての者を殺し、マナミの仇を取ったアンドレだったが、アンドレも限界だった。
そもそもあんな状態で、動けただけでも奇跡だ。蝋燭の灯が最後に激しく燃え上がるように、アンドレの命の炎も最後に燃え上がったのだ。
「これからは王らしく振る舞わなきゃね」
薄れ行く意識の中、マナミの言葉が、優しい笑顔が甦る。
最後は怒りに任せた殺戮だった。王としての戦いはできなかった。
そんな自分にマナミは落胆するだろうか? あの世でもあの優しい笑顔を向けてくれるだろうか?
一度でいいから王らしい戦いをしてマナミに褒めてもらいたかった。
そんなことを考えながらアンドレの意識は途絶えるのだった。
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