約束
「ボクもプロレスラーになる、ビーフみたいに、みんなを元気にする」
泣き終えたミノワは力強く言った。
「それじゃあ強くならないとな」
「うん。毎日特訓する」
「でも勘違いするな、強さとは暴力と違うぞ」
「わかった」
「弱者を、家族を守れる強い男になれ、約束だ」
そう言って差し出されたデリシャスビーフの小指に自分の小指を絡め指切りをした。
目標ができたミノワは見違えるように元気になり、何事にも積極的になるようになった。
ボランティアできた大学生が空手の有段者だと知るや「教えてほしい」と頼み込み、彼がきたときに教えてもらえることになった。
もちろん、それだけでなくランニングや筋トレなどもやっていた。
施設の手伝いだってトレーニングになる。
荷物運びや掃除、草取りでも重労働た。
家族のためになり、トレーニングにもなる。これは一石二鳥のトレーニングだった。
そんな生活を続けたミノワは体力テストで優秀な成績をおさめるようになる。
特に筋力は全国でもトップクラスで教師からも将来を有望視された。
中学に入ると柔道部に入部した。
体力は先輩にも劣らないミノワだったが、技術はからっきしで、まずは受け身をみっちり叩き込まれた。
『柔よく剛を制す』というように、柔道は力だけでは勝てなかった。
経験の浅い相手なら力で強引に勝つこともできたが、経験を積んだ者には力だけの柔道は通じなかった。
投げにいったのに気づけば自分が宙を舞っていた。
最初は力があれば投げるのは簡単だと思っていたミノワだったが、力だけでは勝てない柔道というものに感銘を受けた。
自分の技術不足を痛感し、自分がやっていたのは柔道じゃないと気付いたミノワは技術を磨くべく、さらに練習に打ち込んだ。
流した汗は裏切らない。ミノワは着実に力をつけ、二年の夏には柔道部のエースにまで成長していた。
お世辞にも強豪校とはいえない学校のエースだったが、県下でもそれなりに名の知れる選手になり、いくつかの高校から誘われたがそれらをすべて断った。
プロレスラーになると心に決めたあの日、デリシャスビーフのように進学せずプロレスの門を叩こうと思っていた。
しかしデリシャスビーフは言ったのだ。「いろんな経験をすることはプロレスだけではなく、人生の役に立つし、将来の選択肢も増える」と。
入門試験に合格するとは限らないし、危険な職業だ。いつ大きな怪我をするかもわからない、それが原因でプロレスができなくなる可能性もある。
志半ばで辞めていった多くの者を見てきた彼の言葉はミノワの心に響いた。
それにプロレスだけが人生ではない。
多くの事を経験する中で、新たな夢に出会えるかもしれない。
自分は義務教育を終えすぐにプロレスの門を叩いたが、幼いミノワの将来は沢山の可能性を秘めているのだと。
夢が変わることはなかったが、デリシャスビーフの言葉もあり高校へは進学すると決めていたミノワは柔道での誘いを断り、レスリング部のある地元の高校を選んだ。
プロレスとはプロフェッショナルレスリングの略である。レスリングの技術を学ぶことはプロレスラーとして絶対にプラスになると考えたのだ。
空手、柔道、レスリングの経験を得てミノワはプロレスラーになった。
体の使い方やトレーニングの仕方、これまでに学んだ経験がプロレスでも生きた。
プロレスラーになってからもプロレスに生かすため様々な格闘技を学んだ。相撲部屋で稽古したこともある。
とにかく強くなれると思うことは手あたり次第やった。
「強くなれ」デリシャスビーフとの約束。
当時のミノワは相手を倒す強さのみを求めた。
そんなミノワの試合はとてもプロレスと呼べるものではなかった。
相手に何もさせず一方的に痛めつける凄惨な試合は、ただ自身の強さを誇示するだけに戦っているようだった。
ただ勝利を重ねるミノワの知名度は人気とは反比例し上がっていき、いつしかミノワは魔王と呼ばれるようになる。
それならと顔に不気味なペイントを施しサタンミノワと改名した。
こうしてサタンミノワは誕生した。
相手へのリスペクトは一切なく、自分が一番強いと知らしめるために戦うミノワに観客を魅了することなどできるはずもなかった。
ミノワは忘れていたデリシャスビーフと約束した『強さ』の意味を。
それに気づいたのは、とある試合での出来事だった。
その日、ミノワは初めて施設の子供を招待した。
昔自分がしてもらったように子供たちに笑顔をとどけたかった。
相手は人気の特撮ヒーロー『海鮮ジャー』とタイアップしたレスラー、黒いエビのマスクをしたブラックタイガーだった。
番組同様ブラックタイガーも人気があり、特に子供には絶大な人気を誇っていた。
当然、招待した子供もブラックタイガーの姿に喜びをあらわにしたが、試合で自分の強さを見れば、ヒーローのようだと喜んでくれると試合に臨んだ。
ブラックタイガーは人気同様のかなりの実力者で壮絶な試合となったが一瞬の隙を突いたミノワは相手の腕を極める。
子供たちの声援にギブアップせず耐えるブラックタイガーの腕を、まるでエビの頭を捥ぐかのように躊躇なくへし折った。
絶叫し苦痛に悶えるブラックタイガーの姿に、会場から悲鳴が上がる。
大騒ぎの会場を余所にミノワは平然としていた。
これは戦いだ、強さこそ正義で格好いいのだ。
弱いのに負けを認めなかった相手が悪いのだと。
だがリングから戻る途中で招待した子供たちを見たとき自分の愚かさに気付いた。
子供たちはブラックタイガーの姿を見てわんわん泣いていたのだ。
あたりを見回すと同じように大勢の子供が泣いている。
自分のやりたかったプロレスはこんなんじゃなかった。かつて自分がそうであったように子供に元期を、夢を与えたかった。
それなのに強さだけを追い求め、大事なことを忘れていたのだ。
その夜ミノワは優日を退団した。
それから季節が巡り、ミノワは初めてプロレスを観たその会場にいた。
あの時と違うのは、自身がいるのがリングの上ということだ。
退団したミノワは、自分が育った施設の手伝いをしていた。
そこでかつての自分のような子供たちを見て、自分がビーフに与えてもらったものを、今度は自分が与えたいと、それが自分の夢だったとミノワは実感した。
そしてミノワはフリーのレスラーとして田園プロレスのリングに上がり、施設の子供たちを、家族を招待した。
同じ過ちはしない。幼い頃の夢を思い出したミノワはもうサタンミノワではなかった。
デリシャスビーフのように牛の覆面を被ったミノワタウロスというプロレスラーだ。
プロレスも昔とは違う。
かつての独りよがりのプロレスではない。
相手の良さを引き出し、観る者が手に汗握る試合をやっている。
優日の第一線でやってきたミノワと名も知らぬ地方団体のレスラーでは実力差はあったが、ミノワ引っ張られ実力以上の力を発揮し、観る者を熱狂させた。
受けの美学。
一方的に攻撃するのではなく、相手にも技を出させそれを受ける。
相手もまたミノワの攻撃に耐える。
意地と意地のぶつかり合い、それがプロレスだ。
そんな戦いに魅了された観客の声援がミノワに送られる。その中にはミノワが招待した子供たちの声もあった。
リングに目が釘付けになり、大きな声でミノワに声援を送っている。
その声はミノワに届いていた。
「声援が力になる」よく聞く言葉だが、初めて沢山の声援を受けたミノワはその言葉が真実であると実感した。
夢を取り戻したミノワは、各地方のリングを渡り歩きミノワは行く先々で観客を魅了しファンを増やしていった。
もともとメジャー団体で知名度のあったミノワは専門誌に取り上げられ、かつて所属していた優日本プロレスから参戦のオファーがきた。
ミノワは悩んでいた。
今の戦いにもそれなりに満足しているが、心の奥で全てを出し切る戦いをしたいと思っているのも事実だ。
優日のリングならそんな戦いができるかもしれないし、トレーニングも設備の充実した道場を使わせてもらうことができる。高みを目指すことができるのだ。
だが、今までのように地方を回ることは難しくなり、様々な土地の子供たちを招待することはできなくなる。それに、ここに戻る機会も減るだろう。
プロレスを極めたい、レスラーなら誰しも思っていることだ。
プロレスを極める、子供に夢を与える。その狭間でミノワの心は揺れていた。
悩んでいたミノワの背中を押したのは施設の子供たちだった。
子供たちは「チャンピオンになったお兄ちゃんを見たい」と悩むミノワにそういったのだ。
それに「もっとたくさんの人に元気を分けてあげて」と笑顔で送り出してくれた。
人気団体である優日の試合は配信されている。会場に来ることのできない全国の子供にも試合で元気をあげてほしいと子供たちは言ったのだ。
子供たちに背中を押され、ミノワは再び優日のリングに立った。
以前のミノワを知るファンはミノワがリングに上がることに嫌悪感をあらわにしたが、以前とは違うミノワのプロレスを観ていくうちに、今のミノワを認めていった。
ファンの後押しもあり勝利を重ねたミノワにベルトに挑戦するチャンスが巡ってくる。
そんな折り、一人の女性がミノワを訪ねてきた。
その女性は施設の職員で、訪ねてきた理由を話した。
施設には真也という心臓に疾患をもつ男の子がおり、その真也は数日前に発作を起こし入院した。手術をすれば治るのだが、本人は怖がって受けないと言っているとのことだった。
女性は「真也はミノワの大ファンであり、ミノワの言葉なら手術を受ける勇気が湧く」と考え、色紙を差し出したお願いした。
ミノワに断る理由はなかった。
それどころか、タイトなスケジュールの中、真也に会いに病院へ行った。
そこでミノワは一つの約束をする。
「次の試合で必ず勝ってチャンピオンになるから真也も恐怖に勝つんだ」と指切りを交わした。
約束したが簡単なことではなかった。
ベルトは団体の誇りだ、よそ者のフリーの選手などに渡すわけにはいかないと相手も死に物狂いで向かってくる。
まして相手はチャンピオンだ、簡単であるはずがない。
試合は激闘と呼ぶに相応しい内容だった。
お互いの意地がプライドがぶつかり、両者一歩も引かない名勝負に会場はファンの声援で満たされた。
全てを出し切りフラフラの両者の姿に、このまま引き分けかと思われたが、残り時間が一分を切った最後の最後にこれまた最後の力を振り絞ったミノワのタウロスアックスが炸裂し倒れるようにフォールするとスリーカウントを奪った。
ミノワは勝利したのだ。
ミノワの戦いに勇気を貰った真也は手術を受け、手術は無事成功した。
「ボクも大きくなったらミノワタウロスみたいな勇気を与えるプロレスラーになる」
手術後見舞いに来たミノワに目を輝かせながら、そう言う真也の姿に幼き日の自分の姿が重なった。
「それじゃあ強くならないとな」
「うん」
「強さと暴力は違う、これだけは忘れちゃだめだ。弱者を、家族を守れる強い男になれ、約束だ」
そう言って真也と指切りを交わした。
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