悪夢まとめ・4
こちらは現在連載をしております『醜くも綺麗な一瞬』という物語の『悪夢』のみを纏めたもの『4』となっております。
これだけだと、何のことか全くわからない仕様です。
鬱々としていて胸糞な内容ですので、お読みになる際はご注意ください。
悪夢・9⃣ 『ベツレヘムの星 上』
「……あれ?」
花冷図書館の二階へと続く階段の踊り場に涼多は立っていた。
そもそも躑躅百貨店を出て、名月の家に帰り就寝したはずだ。
あたりを見渡すが、誰もいない。
「すみませーん。誰かいませんか?」かえってくる言葉はなく、館内は静まり返っている。
(もしかして、夢?)
そんなことを考えていると、突然、本棚から一冊の本がボトリと床に落ちた。
見ると、前に読んだ『誰かが何かを語るだけのつまらない本』だった。
(……読みたくない)そう思い距離を取る。
本を棚に戻し、外に出ようと扉を押すが開かない。
どうしたものかと思案していると、背後でボトッと音が聞こえた。
振り返ると足元に本が落ちている。
「…………」
再び本を戻し、食堂に通じている扉を押すが無駄に終わった。
今度は右側からボトリと音がした。
「……読めってこと?」
金色の文字が、頷くようにキラリと光る。
見えない糸に引っ張られるかのように、涼多はページを開く。
不思議なことに別の話が一話目になっていた。
(目が覚めたら、名月さんに相談しよう……)
そう心に決め、ええいままよと読み始める。
タイトルは『ある女が、しわ寄せについて考える話』――。
◇◇◇
『先程、ネズミが嫌いと言っていましたが、動物実験においてネズミはとても役に立っていますよね?あなたが使っている日用品の数々だって、何かしらの犠牲があるんですよ?彼らがいなくなって困るのは、他でもないあなたですよね?その点を理解したうえでの発言でしょうか?さすが、感情で物事を語る女性らしいお言葉ですね』
コメントを読みながら、私は「ちっ」と舌打ちをした。
とは言っても、私に向けられたものではなく友人に向けられたものなのだが。
別に『私、ネズミが嫌いなんです!この世から消えればいいのに!!』と言ったわけではない。
雑談の中で『この前ぇ、大量のネズミが描かれた服を着ている人とすれ違っちゃってぇ。私、ネズミ嫌いなんですよねぇ……。』と言っただけだ。
なんなんだ?この『指導教官』とかいう奴は!?
どうして私の友人を苦しめるんだ?
十年以上前、イラストレーターを目指し入学した専門学校で彼女と知り合った。
しかし、彼女はイラストレーターの道を諦め、今は結婚しスーパーでパートをしている。
すっかり疎遠――年賀状でのやり取りのみ――になっていたが、私達家族が彼女の住んでいる後祭町に引っ越したことで、よく会うようになった。
『今ねぇ、ロべチューバーやっているんだぁ~』一緒にランチをしている時、そう告げられた。
なんでも、中学生の娘が見ていたイラストレーターの動画を見て、自分もやりたくなったらしい。
チャンネルは『セキチクのお絵描き場』というタイトルで、赤い花が描かれた大きなマスクにサングラスという姿でイラストを描く動画を配信しており、半月に一度、雑談生配信もやっている。
一番最初の動画を見てみると『初めましてぇ、セキチクでぇーす!いつもは普通の主婦をやっていまぁーす!』と少し特徴のある口調の高い声が聞こえてきた。
チャンネル登録は十前後。再生回数は百ほどだ。
『なかなか伸びないけどぉ、見てくれている人がいるっていうのは嬉しいねぇ!時々、上手いですねってコメントをくれる人もいるしぃ』
楽しそうに笑う彼女を見ていると、私も楽しい気持ちになった。
それがどうして――。
『指導教官』は三ヶ月程前から急に彼女の動画に現れ、真綿で首を絞めるようなコメントを投下してきた。『死ね』や『消えろ』という言葉ではないが、兎に角ねちっこい。
コメントもイラストと関係ない事ばかりなのだが――。
『あなただって、よくイラストとは関係のない話をしていますよね?自分はよくて、他人は駄目なんですか?さすが、旦那が働いているときに呑気に動画配信をしている奥様は違いますね』
終始こんな感じ。
この人は、女に親でも殺されたんだろうか?
それか、あの世間を騒がせた『デルフィニウム殺人』の被害者の彼氏のように、酷いDVをうけたのだろうか?
そう思うと同情する気持ちもあったが、すぐに打ち消された。
こいつがコメントをしだしたのは、彼女が『アンチについて』という動画をあげてからだ。
『こんな下手な絵あげる価値無し』『資源の無駄』と『指導教官』とは別の視聴者からコメントをもらったのが原因だ。
初めてついたアンチコメント。
『まぁ、ネットにあげている以上、避けられないよねぇ。どんな思いを抱くかは自由なんだしぃ。……よし、コレをネタに、いや、バネにしてやろう!!』
そしてバネは無惨に砕け散った――。
『アンチのほうが、隅から隅まで見てくれていることが多いんですよぉ~』
『見てくれていることにぃ、変わりはないですしぃ』
『こうして配信している身としてはぁ、アンチコメントなんか気にしないようにしているんですぅ。それも覚悟の上ですからぁ』
『そもそもぉ、結構、図太い性格なんでぇ、ちょっとやそっとじゃ動じないんですよねぇ~』
だからアンチコメントをしたお前、残念だったね。
そんな風にとれる動画を見て、火に油を注ぎはしないかと心配になった。
逆上して、ろくでもないことをされるのではと……。
しかし、先の視聴者達からのコメントはこなかった。
きっと偶々、目についた動画にコメントをしただけの通り魔だったのだろう。
代わりに現れたのが『指導教官』だ。
コメントの節々に『覚悟の上なんだろ?図太いんだろ?気にしないんだろ?耐えてみろよ』という考えが透けて見える。
次の生配信の際『過度なコメントはぁ、相応の対処をさせていただきますぅ』と言ってもどこ吹く風だ。
反対に『自分にとって耳障りのいい言葉だけが欲しいんですね。ネットは怖いって言ってましたが、あなた、そのネットでこんなことやっていますよね?さすが(以下略)』といった有様だ。
何故だ?絵を描いている人なんてごまんといるし、万の登録者と再生数がある配信者もいるのに。
『そもそも『批評とアンチを履き違えるな』って話なんですよ。昭和の漫画家さんが、すでに答えを出していますよ?漫画にしても何にしても、もっと為になる物を読んだらいかかですか?』
その漫画なら私も読んだことがある。
世界的に有名な漫画家さんだ。
でも、彼のいた時代は『一家に一台パソコン』なんて時代じゃない。
SNSの普及を知っていたら、また変わっていたのではないだろうか?
『そんなの勝手な想像でしょう?』と言われそうだが。
『あっ、すみません。また『アンチ』って言われますね。『辛口』程度のつもりだったんですけど、女性の方にはキツイ言い方だったかな?本当、話一つをするにしても必要以上に気を遣いますよ』
自分は『辛口・サバサバ・サイコパス・正直』そう言えば、何を言っても許されると思っているのだろうか?
彼女のなにがそんなに気に障ったのだろう?
『指導教官』もこうやって何かを発信したいのだろうか?
それができないから、嫉妬しているのか?
それとも、再生数の多い配信者だと目にとまりにくいからだろうか?
過度なコメント以外はスルーされそうだし、なにより、多くのコメントですぐ埋もれてしまう。
あるいは、万が一訴えられた時、困るとか……?
訴えるとなるとお金も時間もかかる。
『普通の主婦』なら大丈夫だと。
それともそれとも、個人的な恨みか。
何処かで恨みを買うようなことをしたか聞いてみるが、彼女に身に覚えはないらしい。
指導教官、先生ってことだよね?と思い『学校の先生となんかトラブルあったりした?』と聞いてもみたが答えは否だ。
『皆、いい先生だよぉ。娘の担任の先生も含めてぇ。私の意見もちゃんと聞いてくれるしぃ。だからぁ、先生名乗るのほんとムカつくぅ』とのことだった。
無視を続けていれば、いずれいなくなると思っていたがしぶとい。
今度は、彼女が以前『実は今、この漫画にハマっててぇ~』と話した漫画がお気に召さなかったらしい。
わざわざ読んだのか。
『あなたが話していた漫画、女性の欲の欲張りセットのようなシンデレラストーリーですね。何もしなくても、涙を見せれば相手がなんとかしてくれるっていう……。男の俺にはてんで共感できませんでしたよ。あんな発想ができるって女性の欲望って凄いですね』
そのコメントに口角が吊り上がるのが自分でもわかった。
漫画の原作者は私の旦那だ。
ペンネームが『アリス』だからだろうか。
それと、まともに読んでいないな。
結構、都合の悪い展開も多いのに。
種を明かしたところで『そんなの嘘だ!そんな奴いるわけないっ!!』とブチギレそうだが。
ま、この人に限らず『この作者、絶対、男/女だろ~。……性別わかった途端、何か萎えたわ』と内容そっちのけで言う人は一定数いる。
そんなに、気になるものなのだろうか?
ふーっと、溜息を吐く。
◇◇◇
私と旦那は正反対の似た者同士だった。
物心つく前から母は病気で入院しており、父、兄、弟と男所帯で育ったせいか他の女子のようにきゃぴきゃぴとしたモノが苦手だった……と言うと語弊がある『好きだけど、自分が身に着けることに抵抗感がある』が正しい。旦那は逆。
きっと『指導教官』は『普通』に生きてこれたのだろう。
『オカマ』と揶揄われることもなく、『女の子みたいだね』と言われたこともないのだろう。
そんな『普通』に人からすれば、『それ以外』は目障り以外の何者でもない。
いいよね、『普通』を生きれてさ。
確かに、最近持ち上げ方が過剰だとは思う。
もし何かあれば『■■■■ざまぁww』何て言われそうな程に。
……結局は何処もそうだ。
一部の過剰な人達の所為で、本当に辛い人達が損をするのだ。
だからって、こんな風に攻撃するのは……こういう人からしたら『何、綺麗ごと言ってんだwww』か。
十代のうちに思考は決まると聞いたことがある。
『○○らしく』『パワハラ』『セクハラ』etc……、それが『当たり前』『普通』だったのに今更、考えを改めるなんて難しいだろう。
少し間違えると『老害』『時代遅れ』『考えのアップデートしろよ』と白い目で見られストレスだって溜まるはず、だから口では『個性』を歌いながら、いざと言う時は別の『何か』を持ち出すのだ。
自分も、違いを感じることは多々ある。
だからといって、こんな風に書き込んでいいのかと言うと、また別問題なのだが。
何百年という時間をかけ積もった大量の土砂を、十年そこそこで取り除けるわけがないのだ。
まだまだ問題は根強い。
本当に解決するのは何十年も先だろう。
『○○女子』『○○男子』なんて言葉が作られているうちは『自分は違う』と言っても結局のところ一纏めにされてしまう。
しかも、声の大きい、影響力のある人達が作るのだ。
一般人でしかない私達が何をやっても無駄。
今はまだ『らしく』あったほうが幸せなのだ。
だから娘には『らしく』あって欲しいと思う。
私たちは、子供の頃のもやもやを払拭するように、『らしい』服や物を与えている。
娘だって嫌がってはいない。
渋っても最終的には頷いてくれる。
最近、少し反抗期気味だが――。
でも、将来的にはきっとその方がいい。
そう思うのは、間違いなのだろうか。
取り留めもないことを考えていると、ピンポーンと音が聞こえた。
いつの間にか、配信も終わっていて玄関からは旦那の「はーい」と言う声が聞こえる。
そうだ、旦那の友人が遊びに来るんだった。
……彼女、鬱になったりしないかな?
パソコンをパタンと閉じた。
悪夢・9⃣ 『ベツレヘムの星 下』
玄関に向かうと、門火高等学校で教師をしている旦那の友人が「こんばんは」と私に笑いかけた。
彼は旦那の大学時代の文学サークルの後輩だ。
後後祭町に引っ越すと話した時、とても驚いていた。
そして、いつしか私の友人と同様、時折、会うようになった。
「こんばんは。一ヶ月ぶりですね」と返すと「あの、娘さんは?」と聞かれたので「もう寝ました」と告げる。
なんでも昔、事故に遭った子供の見るも無残な姿を見てしまい、今でも夢に出るのだそうだ。
その子供と娘の顔が似ているらしく、見ていると胸が苦しくなるらしい。
「まあ、くつろいでよ。新しく買ったんだ」
旦那が、彼をリビングのソファーに座らせる。
暫くはビール片手に三人で他愛もない話をしていたのだが、何処か違和感を覚えた。
いつも一昔前の熱血教師然としている彼が、今日は全く元気がない。
旦那も疑問に思ったのか「元気ないな。何かあったのか?」と問うと、おずおずと話し出す。
「……実は少し前、地域交流の為に『白蛇様の劇』をやろうって話がでまして。で、俺のクラスの生徒達がやることになったんですけど、色々と文句がでてしまって……」
文句?白蛇様の昔話は前に娘から聞いているが、よくある昔話だと思っただけだ。
『悪い奴が現れて、それを正義の味方が倒す。村は救われハッピーエンド』
ただ、それだけ。
「生徒にやりたくないって言われたのか?それとも、演出がグロいとか?」
「いや、生徒は皆ノリノリですし、グロくもないです」
「なら、どうして?」
「生贄が女子ばかりなのは差別だって、一人の生徒の母親からクレームが……」
『生贄に選ばれても反論せずただ泣くしかできない、そんな風に描くなんて……。明らかに女性を下に見ています!昔話に出てくる怪物って、災害や暴君なんかを変えたものでしょ?白蛇だってリーダーみたいな存在を変えたものですよね?』
『別に理由もなく怒っているわけじゃない』と言う風に母親は続けた。
『捉え方によっては、生贄以外の役目を果たしていないってなりそうじゃないですかっ!それ以外は唯々諾々と従うだけの存在だって……。そんなの変です、行動に移した女性だってきっといますっ!!白蛇様だって、本当は女性かもしれないじゃないですかっ!!こういう昔話って、男の都合のいいように、いくらでも変えられますもんねっ!!』
胃がズシッと重くなるのを感じる。
「だから急遽、白蛇様と一緒に戦うポジションの役を作りました。最終的には、その人が白蛇様のことを現在まで伝えたと言うオチにしようかなって……」
彼は、はあっと溜息を吐き「それから――」と続けた。
『後、生贄の衣装も布地が薄くて性的な感じがするし、このチラシのイラストだって『萌えキャラ』って言うんですか?やたらと胸を強調している感じがして、誰ですか?こんなのOKしたのは。……はっ、やっぱり。ああ、いやだいやだ。これだから男は――』
「……そういうわけで、色々と変更しないといけなくなってしまって。でも、そればっかりに時間も割いていられなくて。かと言って、あんまり騒ぎ立てるのもって……」
「うーん、難しいことなのかもしれないけど、あんまり下手に出ると要求がどんどんエスカレートしないか?」
旦那の問いにグッと下を向く。ビンゴだ。
「はい、放課後や空いた時間に練習をしているんですけど、『誰か保護者を監視役にさせろ』って。ほら、ちょっと前に何処かの県で、『男性教師が女子生徒にわいせつ行為』ってニュースがあったじゃないですか?だから、男性教師ってだけで警戒されて……」
『心配するのは当然です!あなたからしたら、ただのクレーマーにしか見えないでしょうけど。……ああ、男の人って、思考が単純ですものね。それぐらいで、って思ってるんでしょ?どうせ面倒くさいと思いながら聞いてるんでしょ?これだから男は――』
『だいたい、今は少子化で教える生徒も少ないでしょう?……それなのに弱音を吐いて、情けない。男ならもっと働いて当然よ!!私の若い頃なんかは――』
『……はあ、まったく。何が『男の鬱』よ。女と違って、一直線で根に持たず、カラッとしていらっしゃるんでしょう?力だって強いのに、最近は『女性優遇が過ぎる』なんて、キンキンうるさい連中がスノドロに湧いていて困るわ』
『いいですよね。AEDにしたって女性専用車両にしたって、こういった人たちの所為で問題になっているのに『男の敵は男』何て言われなくって。……やっぱり、女だけの県を国は作るべきなのよ!!』
「なんというか、その、ごめんなさい……」
申し訳なくなってきて、私は頭を下げた。
「えっ?やめて下さいよ、そんなこと。……それだと、こっちも何処かの誰かのやらかしを謝らないといけなくなる。そんなのって変じゃないですか。『同じ性別』ってだけで一纏めにされるなんて。国だって人種だってそうですよ!綺麗ごとだって言われそうですけど!!」
その言葉に、心の中で大きな溜息を吐く。
同時に、(これが『先生』ってやつさ『指導教官』さんよぉ……)と思う。
しかし、どうしてこうも普通に生きている人にしわ寄せが来るのか――。
小学生の頃、何処かの学年の生徒数人が『カード欲しさにお菓子を買い、お菓子はごみ箱に捨てた』ということで全校集会が開かれたことがあった。
私にしてみれば、『知らない人のやったことで凄く怒られた』それ以上でもそれ以下でもない。
しかも元凶の連中は『怒られちゃったー』と言った具合にヘラヘラと笑っていたらしい。
その上、『あそこの生徒は躾がなっていない』なんて言われ、駄菓子屋に行くとおばちゃんに嫌な顔をされた。
『食べ物を粗末にしちゃ駄目よ』なんて釘も刺された。
何もしていないのに、ただ同じ小学校の帽子をかぶっていただけなのに。
……馬鹿みたいだ。
やらかした連中の中で反省した者、制裁を受けた者は、果たしているのか――。
いや、きっと反省なんてしていないし、制裁もされていない。
今頃、クリスマスツリーのてっぺんにあるベツレヘムの星のように、キラキラと輝く結婚指輪を指にはめ、平々凡々な家庭を築いているはずだ。
あれから三十年近く経っても、こういった理不尽は大量にある。
こんなにも『個人』を尊重しているのに――。
「保護者を呼ぶにしても時間が合いませんし教師の数も足りないので、バスケ部が練習してる時なんかに舞台を使って、劇の練習をしているんですが結構、気を遣うんですよね。でも『スノドロ』に何か書かれても嫌ですし……」
『スノドロ』とは『スノードロップ』という匿名登録制SNSだ。
登録者数は約四億人。国内だけでも約七千万人が利用している。
私も登録しているし、様々な情報が見れるのは便利だ。日常生活でも仕事でも切っても切れない存在。
だが、メリットがある反面デメリットもある。
『門火高の教師が~』なんて書かれたら大変だ。一度、ネットの海に流れてしまうとなかなか消せないのだから。
それに、こういった話は噂になった瞬間に負けなのだ。
嘘か本当かなんて関係ない。
彼もそれを心配している。
「……その、なんだ。あんまり気にし過ぎると先にそっちが病んじまうぞ?月並みな台詞かもしれないけど、いつでも愚痴は聞くからさ。できることは何でも力になるし」
旦那が励ますと「……ありがとうございます。まあ、今、休職するわけにはいきません」と言った。
聞くと、ある男性教師が「子供のいないあなたに何が分かるの!?その年で結婚もしていないなんて。少子化なのよ?貢献しなさいよ!!」と女性教師が同い年くらいの生徒の親に責められているのを見て心が病んでしまったらしい。
何とも酷い暴言だ。
同性だと、セクハラにはならないとでも思っているのだろうか。
それとも、『同年代』というところで『子持ちの私が上』とでもなったのだろうか。
上なら何を言っても構わないと――。
しかし何故、言われた女性教師ではなく男性教師が病んでしまったのだろう?
思っていたことを話すと「……実はその先生、子供を望めない体で、それが理由で離婚された経験があるんです。ずっと治療していたのに駄目で、そのことをずっと気にしていたんです」とかえってきた。
それは、…………言葉が出ない。
「録音とかしていなかったのか?」
「はい、それまでは和やかに話していたらしくて。何が気に障ったのか、突然……」
「そう、か……」
場を、重い沈黙が満たす。
「すみません……、暗くなっちゃって。らしくありませんよね」
力なく笑う彼の肩を旦那がポンッと叩く。
「そっちが謝る必要ないだろう?よくやってるなぁって思うよ。俺なら無理だ」
私もうんうんと頷く。
暫くの間、ビールを飲む音だけが聞こえた。
◇◇◇
「……時々、思うんです。これは人類を減らすための作戦なんじゃないのかって」
十五分ほど経った時、突然、彼が語り出した。
「………………は?作戦?」
あまりのことに、旦那は語彙力を何処かにやってしまった。
それは私も同じだ。
彼は熱に浮かされたように喋り出す。
「はい、作戦です。最近、心を病んでしまう……鬱病になる人って多いですよね。自殺率だって凄いですし。鬱の時って自分のことで精一杯で、結婚だの子供だのなんて考えられないんです。それなのに両親は圧をかけてくるし、すぐに『少子化が~』とも言われます。そして、更に鬱になるという負の連鎖。勿論、全ての人がそうと言っているわけではありませんよ?でも、原因の一つではあると俺は思うんです」
持っていたビール缶を、ガッとテーブルに置き続ける。
「それなのに、この世は誰かを鬱に追い込むモノが多いですよね?性別だったり、出身だったり、年齢だったり、何処へ逃げても『何か』がある。しかもそれを煽るような奴や、蒸し返す奴もいるっ!その中には、いい大学を出ていたり著名な人もいる!そんな人がロべチューブなんかで発言したらどうなるか、頭いいんだから分かるだろうっ!多くの人が先導されるんだ!!そして、巻き込まれた者が割を食うんだ……」
おいおいと泣き出した。
でも、気持ちはわかる。この間も人気ロべチューバーが『怨憎人の心根が本当かどうか検証してみた』という動画を上げ炎上していた。
ファンの中にはロべチューバーを擁護している人もおり『そんなに怒るってことは、怨憎県の人?これだから~』みたいなコメントもあったくらいだ。
「なのに、政府は金さえあれば少子化は解決すると思っているんですよ。こういう連中をなんとかする対策もたてないまま、何かしらの理由を付けて放置して……。でも、おかしいですよね?著名人然り政府然り頭のいい人が揃いも揃って思いつかないなんて。きっと、『大きな力』でそう舵を切るように操られているんだ……」
「………えっと、大きな力?舵?」
旦那が少し彼から距離を取った。私は思いついたことを口にする。
「つまり『陰で誰か――謎の組織的な人達――が色んな人を誘導して色んな人達を対立させ少子化を誘発し、この国を弱らせ乗っ取ってやる』……みたいな?」
正直、色んな場所に友人がいる身としては、あまり悪く言われたくないのだが。
ああ、でもこれだってそうだ。
『じゃあ、こっちが悪く言われるのは言ってわけ!?』と前に親戚に漏らしてしまった時に言われたことがある。
そう言うわけじゃない。
SNSなんかで『勝手なことを言ってんじゃねー!』と思う時はある。
なんで、一々注釈を入れなければならないのか、頭が痛くなってきた。
話を聞き終えた彼はケタケタと笑い出した。
「はははははははははははははははははははは、違いますよ。そんな小さな話ではありません。少子化が問題の国は他にもあるんです。……そして、消されていった土着の神も。ああ、そういや白蛇様の劇に登場する、豊穣の神の祠があった場所って門火高の校門付近って噂、聞いたことがあったなぁ……」
いきなりどうした?
「あっ、わからないって顔していますね。こういうことです。昔は多くの土着の神がいた。でも力の強い宗教により消されていった。そして今、神々たちの人間に対する恨みつらみが、長い時を経て地中から這い出てこようとしているんですっ!!しかし、まだ力が足りない。彼らに必要なのは負の感情なんです!今はまだ『正の感情』が多いから、だから人類を減らそうとしているんですっ!!!」
わけがわからない。話がメチャクチャだ。
しかし、そう言える雰囲気ではない。
「この世界を忘れ去られた神々なんかの好きにはさせない。俺は真実を知っているんだ。俺、俺だけが……何とかしないと。早く『大いなるモノ』を復活させ止めてもらわないと。その為には、もっと『贄』が必要だ。鳥や猫なんかじゃない、もっと大きな……」
そう言って、私たちに視線を送る。
咄嗟に身構えたところで彼は「なーんてね」と笑った。
「冗談ですよ冗談。本気にしないで下さい」
私達は不気味に思いながらも「なーんだ。冗談か」と返す。
彼はスマホを取り出すと「ああ、もうこんな時間か。そろそろ帰りますね。愚痴を聞いてくれてありがとうございました」と頭を下げる。
玄関で見送るが「またね」と言えなかった。
「………力になってくれるんですよね?」
風に乗ってそんな言葉が聞こえたような気がした。