意味のない悪夢
こちらは現在連載をしております『醜くも綺麗な一瞬』という物語に登場する、とある人物が見ている悪夢の話となっております。
これだけだと、何のことか全くわからない仕様です。
鬱々としていてグロテスクな表現を含んでおりますので、お読みになる際はご注意ください。
パチリと目を覚まし、まだ寝ていたいな、と布団に潜る。
部屋は暖房が効いていて、とても心地いい。
このまま二度寝してしまいたいが――。
「こら!早く起きないと遅刻するわよ!!」と母の声が聞こえた。
七つ年下の妹が「お兄ちゃん!早く起きなよー!」とドアをノックする。
渋々と起き上がり、少しブカブカな制服に身を包む。
『中学生だもの、すぐにピッタリになるわよ』
そう言って笑う母の隣で、父も『そうだな』と笑っていた。
「本当かなぁ……」
ボソッと呟き、スクールバッグを持って部屋を出る。
ヒンヤリとした廊下、靴下越しではあるが足の裏が冷たい。
もうそれだけで、布団に逆戻りしたくなってしまう。
我慢我慢、と頬をぺちっと叩く。
細い階段を降りると、リビングのテーブルに朝食が置いてあった。
父と母が「おはよう」と笑いかけるので、自分も「おはよう」と返す。
自分が座る椅子の隣では、妹が先に食べだしている。
「ふぉふぁよー。ふぁきにふぁべへるよ!」
もしかして「おはよう。先に食べてるよ!」と言っているのだろうか?
「こら、食べながら喋ったらダメだよ」
スーツを羽織った父が、やんわりと注意した。
妹はニコッと笑い、コクリと頷く。
この笑顔で、大抵のことを許してしまいたくなる。
実際、父も母も自分も妹に甘い。
その割には、ワガママに育っていないのが不思議なのだが。
椅子に座ると、「眠そうな顔」と頬をつつかれる。
お返しにデコピンをすると、「えへへ」とまた笑う。
……何かがおかしい。
いつもの光景の筈なのに、何故か違和感がある。
「ん、どうした?早く食べないと冷めるぞ」
まあ、冷めても母さんの作った料理は美味しいけどな、と父は言った。
「おだてても、何も出ませんよ。でも、ありがとう」
母もそう言って、嬉しそうに笑う。
幸せだ。
すごく幸せで、何故か泣きたくなってしまう。
昔、図書館で『長年離れ離れになっていた両親と再会する兄妹の話』を読んだことが…………ある…筈なのに、いや、あった!
何年前かも何処の図書館かも、何も覚えていないけど。
……あの兄妹も、こんな風に泣きたくなったのだろうか?
「どうしたの?もしかして、気分が悪いの?」
不安げな表情と共に、母が自分を覗き込んでくる。
「何でもない」と返し、朝食をとった。
父の言う通り、本当に美味しい。
その筈なのに、自分が食べているモノが何なのか分からない。
飲み込む前までは、確かに知っていた筈なのに。
食べ終わったタイミングで、インターフォンが鳴る。
これも、小学生の頃から続くいつもの光景。
「おはようございます」
長い付き合いになる……幼馴染?…が、いつものように敬語で挨拶をする。
「どうしたんですか?早く行きますよ」
「あっ、はい……」
急き立てられるように家を出た。
昨日新しく買った靴を履き、意味もなく地面をトントンと叩く。
「気を付けて、いってらっしゃい!」
振り返ると、玄関で父と母と妹が笑顔で手を振っている。
違和感を感じつつも、「いってきます」と手を振り返す。
再び前を向いた時、ゾッと背中に冷たいものが走った。
さっきまで見ていた筈の両親と妹の顔が思い出せない。
もう一度振り返って、確認すればいい。
そう思ったが、どういうわけか振り返ることができなかった。
隣を歩いていた幼馴染?が「……どうしました?」と聞いてくる。
「悪い夢でも見たんですか?顔色が悪いですよ」
「悪い夢……」
そんなものを見た覚えはないし、特に気分も悪くはない。
自分の顔は、傍から見て分かるほどに悪いのだろうか?
「……何もないならいいのです。さあ、行きましょう」
そう促され、いつもと同じように小さな橋を渡る。
元は赤い欄干だったそうだが、塗料は殆ど剥がれ落ち錆だらけだ。
亀裂の入ったアスファルトの道を歩く。
少し前までは田畑一色だったのに、今は新しい家が幾つか建っている。
遠目から見ると、家だけCGで貼りつけたようだ。
そんな一軒の家から、一人の少年が出てきた。
自分よりも少し年上で、学校近くの寺でバイトをしている人。
今日も、いつもと同じように朝の挨拶を交わす。
後ろから、自転車の音が聞こえてきた。
『お城』に住んでいる人で、目の前にいる少年の友達だ。
彼とも、いつもと同じように挨拶を交わす。
四人で他愛もない話をしながら道を歩く。
すると、曲がり角から二人の少女が現れた。
一人は短髪黒髪で、もう一人はフリルのついた服を着ている。
いつ見ても、年の離れた姉妹のように仲が良い。
この二人とも顔見知りで、よく前を歩いている二人と一緒にいる。
中学校と高校の分かれ道まで、なかなかの大所帯で道を歩く。
フリルのついた少女とは、小学校前でお別れだ。
門の前では、朝顔柄の服を着た少女が立っていた。
小学生でありながら、薬局…めいたモノを経営しており、自分も、よく…世話に…………よくではなく、毎日のように世話になっている。
正直、彼女には頭が上がらない。
こちらに向かって「おはよう!!」と手を振るので、振り返す。
町のほぼ真ん中に位置する、木造灯台のような建造物の前を通る。
近くに大きな河も海もないのに、何故か存在している。
この辺までくると、コンビニや塾、100円ショップが漸く姿を現す。
駅前だけが妙に新しくて、いつも『浮いている』と感じる。
この木造灯台(仮)の先にある分かれ道で、三人と別れた。
そしてまた、二人でテクテクと歩き出す。
少々風変わりなイラストレーターの住む家の前を通り、梅の家紋が描かれた呉服屋を通り過ぎ、時が止まったかのようなレトロな百貨店前を過ぎれば中学校。
横断歩道で信号待ちをしていると、首筋にズグッと鈍い痛みが走った。
何だ、と思い手を当てると、ヌルリとした感触がある。
手の平を見ると、べっとりと血がついていた。
「わっ!?」と叫ぶと、驚いた様子の幼馴染がこちらを見る。
「ど、どうしたんですか?」
「て、手に血が…………あれ?」
血どころか、汗も何もついていない。
気のせいだったことを詫び、学校へと向かう。
中学校の隣には、白い蛇を祀っている神社がある。
鳥居の前に、担任の先生が立っているのが見えた。
いつも蝶の柄が入った服を着ていて、なんだかんだ気さくな人。
ペコリと挨拶をし、教室に入る。
赤い髪をツインテールにした少女が「遅かったね」と笑う。
橙の髪を同じくツインテールにした少女が「そんなに?」と言った。
「十分くらいでしょう?」
「うん」
浅葱色の髪をした少女が、同意するように頷く。
いつもと同じ、仲の良い三人組だ。
それなのに、どうしてこうも違和感があるのだろう。
斜め前の席に座った幼馴染が「……本当に大丈夫ですか?」と問うてくる。
「気分が優れないようなら、早退した方が――」
「変なんですよ」
ピッと言葉を遮り、両手で前髪をぐしゃりと掴む。
暫くすると「……何がですか?」と返ってきた。
「全部が、です。……いつもと同じ、いつもの光景の筈なのに、絶対に違う。こんな世界があるはずないんです!」
支離滅裂な事を言っている自覚はある。
教室はシンと静まり返り、自分に向けられている視線が痛い。
「違ったら、どう、するの?」
浅葱色の髪の少女が、コテンと首を傾けた。
「違ったら、どう、する、の?」
「そ、それは……」
「ねえ、ど、どう、すすす、するの?ねえ、ねえ、ねえ、ねえ?」
「あ、あの……」
答えに詰まっていると、突然、掃除用のロッカーがバンと開く。
そして中から、ごろんと人が出てきた。
土にまみれた長い黒髪が、教室の床に散る。
見るも無残な姿の、赤子を抱えた女の人。
よく知っている……とても懐かしい人だ。
自然と「……母さ、ん」と口から言葉が漏れる。
黒板の前には、土気色の顔をし、酷く痩せ細った父が倒れていた。
折り重なるように……あの時に、自分を逃がしてくれた老人が事切れている。
着物は血で赤く染まっていて、体中傷だらけだ。
半開きの口からは血が溢れ、床に流れていく。
あれ?でもそうなると、さっきまでの両親や妹は……?
何故か、片足が酷く痛んできた。
思わず目をやるが、怪我をしている様子はない。
……そういえば、自分の足ってこんなだったっけ?
更に痛みが酷くなってくる。
血の匂いも濃くなってきて、今にも吐きそうだ。
何が起こっているのか分からず、呆然と教室内を見回す。
窓際の席の男女の胸には弓矢が突き刺さり、プロジェクターには誰とも知れぬ生首が引っかかっていて、虚ろな瞳でこちらを見つめていた。
窓の外では、老若男女様々な人たちが落下していく。
悲痛な叫び声と、ぐしゃり、と嫌な音が耳に届く。
それなのに、幼馴染も女子三人組も気にした様子はなく、机の上に(何故か人の手形や泥がついている)教科書やノートを置きだした。
「あっ、新しい、筆箱、買ったの?可愛い、模様」
「でしょう!一目惚れってヤツ!!」
赤い髪を揺らし、少女は蟷螂の描かれた筆箱を掲げる。
得意げに筆箱を開けると、中には大量の桜貝が入っていた。
ぎっしりと詰め込まれていた所為か、数枚が机の上に落ちる。
よく見ると、桜貝ではなく人間の爪だった。
どれも綺麗に整えられており、蛍光灯の光を反射している。
ひっ、と引き攣った音が口から漏れた。
自分にしか見えていないのか、やはり浅葱髪の少女が気にした様子はない。
ただ「か、かか、可愛い、いいぃ、ね」と言って、笑うだけだった。
いつの間にか、橙髪の少女の首が無くなっている。
それなのに「昨日、夜更かししたから眠いなぁ」と声が聞こえてきた。
「さあ、貴方も早く用意をしないと」
まさか忘れたなんて言いませんよね?と幼馴染が揶揄い交じりに聞いてくる。
そんな彼も、顔が半壊していて首が変な方向に曲がっていた。
それなのに、何がおかしいのかクスクスと笑っている。
「おはよう。さっきぶりだね」
ガラリと扉が開き、担任が姿を現した。
「ん、どうしたんだい?そんな幽霊でも見るような顔をして」
よかった、彼はいつも通りだ。
……いつも通り?
彼の顔には、巨大な蝶の翅があったような――。
(……何を考えているんだ。人の顔に蝶の翅が生えているだなんて、そんなこと、あり得る訳……が、ない)
長い廊下に、無数の死体が転がっていた。
人、鬼、馬、鳥、猫、虫……さっき道で会った少年少女もいる。
反対側を見ると行き止まりで、壁に凭れるように三人の人間がいた。
大人の男女と、妹と同い年くらいの子供。
全員、槍が何本も体に突き刺さっている。
流れ出た血が、小さな池のようになっていた。
幼馴染が、自分の肩にポンと手を置く。
爪は土と血で塗れ、人差し指と小指が折れている。
「早く席についてください。授業が始まりますよ」
「ああ、あと一分もしないうちに始まるよ」
黒板前の死体を避けて、担任はチョークを手に取った。
どう見ても折れた骨にしか見えない、先端が鋭く尖ったチョークだ。
文字を書くたびに、フォークで皿を引っ掻くような音がする。
反射的に顔を歪めた。
「さあ、早く」
「…………っ!!」
幼馴染の手を振り払い、廊下に出ようとする。
いつの間に来たのか、朝顔柄の服を着た少女が立っていた。
「何処に行くのだ?」
肩口で切りそろえられた髪が、さらりと揺れている。
二色の瞳を心配げに揺らし、「大丈夫か?」と頭を撫でられた。
ガクッと力が抜け、その場に膝をつく。
「…………帰りたい」
「何処に?」
「分からない。でも、…………帰り…たい」
自分の声とは思えないほどに、弱くかすれた声だった。
「余計なことを思い出しさえしなければ、ここも住みよいところだよ?」
担任が、目線を合わせるようにしゃがみ込む。
その瞬間、ドスッと首に激痛が走る。
視界の端に、血濡れた槍の先端が見えた。
「そうですよ。……思い出すだなんて、そんな愚かなことをしてはいけません。皆でずっと、ここにいましょう」
幼馴染が、穏やかな声でそう言った。
彼は首に刺さっていた槍を抜くと、今度は背中に突き刺してきた。
「とても痛いでしょう?……でも、今の貴方は、いざという時はこれよりもっと痛い思いをしなければならない。それで、いいのですか?」
喉が潰れている所為で、言葉どころか悲鳴すら上げられない。
浅葱髪の少女も「忘れたら、今まで、通り」と言葉を投げてくる。
「違う、と、感じる、までは、幸せ、だった、でしょう?」
それは、確かにそうだ。
「試しに、目を閉じて、忘れろ、って、念じて、みて。全部、元に戻る、から」
言われるがままに目を閉じ、心の中で「忘れろ」と呟く。
「……顔を上げて目を開くといい。いつも通りの光景が広がっているよ」
担任にそう促され、恐る恐る目を開いた。
死体も悲鳴もない、いつもの廊下。
振り返ると、いつもの教室にいつものクラスメイトたち。
喉に触れてみるが、特に何もない。
橙髪の少女が「さっ、早く席について!」と手招きをしている。
担任が肩を、幼馴染と朝顔柄の服を着た少女が背中を押す。
どの手も温かい。
自分が「ここにいたい」と思っていれば、ずっといられる平和な世界。
明日も明後日も、その先もずっと。
何の心配もしなくていいし、過去の過ちを思い出さなくてもいい。
綺麗な自分でずっといられる。
そんなこと、あっていい筈がない!
今度こそ手を振り払い、一目散に廊下を駆ける。
消えていた死体も悲鳴も、また戻ってきた。
自分が殺めてきた人やその家族、恋人、友人、仲間……。
どれだけ後悔しても、もう戻ってはこない。
誰にも裁かれることはないし、糾弾もされない己の罪。
それでも、忘れるわけにはいかない。例え、何百年経とうとも。
自分を捕えようと、無数の腕が伸びてくる。
目の前は行き止まりだ。
どうする、と思ったその時――。
彼らの手首を、突如現れた孔雀の羽が切り落とした。
何が起こっているのか分からずポカンとしていると、空間にピシッと罅が入る。
罅はどんどん広がっていき、最終的には世界全体に罅が入った。
まるで、巨大な蜘蛛の巣の中にでもいるような気分だ。
右手にシュルリと赤い糸が絡みつく。
糸は、自分一人が通れるくらいの長方形の隙間から出ていた。
中は暗闇が広がっていて、糸が何処に繋がっているのかは分からない。
ただ不思議と、恐ろしくは感じなかった。
糸は「こっちに来い」とでも言うように、クイクイと引っ張ってくる。
深呼吸をし、一歩前に踏み出す。
後ろから「待って!!」と声が聞こえた。
振り返ると、朝の父と母と妹が立っていた。
妹は、大粒の涙をボトボトと流し、しゃくりあげて泣いている。
「……行っては駄目、行かないで。本当はこれが正しい形なのよ。あなたも妹も、私たちの大切な子供なんだから」
そう言って涙を流す母と、静かに頷く父。
確かに数多の一つには、こういう世界もあるのかもしれない。
でも――。
「あなたたちの子供であったボクは、もう何処にもいません」
すみません、とボクは頭を下げた。
迷いを振り切るように暗闇に飛び込む。
「…………っ!!」と、懐かしい名前が聞こえたような気がした。
一番最初の名前だ。
もう二度と、聞くことはないと思っていたのに。
ガシャアアァンッ!!
ガラスが砕け散るような、大きな音が聞こえたところで意識は途絶えた。




