第93話 絡煎(伍連)いとけなきもの・・・その手に紡ぐは,唯々いとおし・・・(後Ⅱ)
「今日は・・・黒衣をお召しになられますか・・・?」
マキサは王妃に尋ねた。
彼女はマキサの淹れてくれたお茶に口をつけていたところだったが、その琥珀色の温かいお茶を一口だけコクンと飲んだ後、静かにカップをテーブルに置いた。
「そうね・・・今日の参列には、黒衣が相応しいはず・・・だけれど・・・」
マキサは、途切れた言葉の向こうに遠く窓の外を見遣っているかのような彼女を見つめながら、ただ静かに彼女の気持ちの揺れが収まるのを待っていた。
「・・・マキサ・・・。今日は、私は哀悼を捧げたくないわ・・・。
自分への欺瞞は光の怒りをかうことでしょうから。
・・・だから私は・・・・」
粛然たる空気が場を仕切っているかのような雰囲気の中で、その葬儀はしめやかに営まれていた。
列席するものは多くはない。
本来ならば王妃が参列する必要はないはずの葬儀にあえて足を運んだのは、棺に横たえられたこの女性の命に独りの女性として見送りの花を手向けたかった故に。
そして彼女がその身を賭して産み落とした無垢な赤子に・・・母に抱かれぬことを知らぬままただその身すべてでもって泣く吾子に・・・子を持つ同じ女として、祝福を捧げることができたらと・・・。
「おかあさま・・・私の代わりにあの人にこのお花を手向けてほしいの・・・」
オレンジがかったブラウンの瞳を涙で潤ませながら、母である私に手向けの花を託した心優しい私の娘・・・ジュリビッシュ。
この娘の心は既にひとりぼっちになってしまう赤子に・・・かつて喪くしてしまった弟への想いを彷彿させられているように見えて・・・それは私の心をも哀切極まりない遠い処へと運ぼうとするかのようだった。
募る想い・・・懸ける思い・・・生きること・・・選び取る道筋・・・それはどうであろうとも自身がそこに在るのならば、そこに正解も不正解もないのかもしれない。
けれど、せめてそこには・・・儚くとも正義が在ってくれればと・・・そう願わざるをえない。
それは匡正でなくてもいい・・・その整合の一端でのみあっても・・・ただ頒ち合う・・・それだけでもいい・・・故に。
わたしは自分の意識が自身の手から離れてどこか見知らぬ彼方に浮揚するかのような薄っすらとした錯覚に溺れてしまいそうな自分に己を錨として踏みとどまる事を課す。
ふううっと、胸に蔓延るかのような懸念を拭わんばかりに、私は深い溜息をついた。
それに・・・・と私は自分の顎が少し上がるのを感じながら、こうも想えるのだと・・・。
とても・・・とてもそのバランスの危うさへの危機感を私に思わせる哀憐の漆黒がそこに在ろうとも・・・だが、しかし・・・かつて我が身を喪うほどに愛したものの想いが蘇ることを・・・いったい誰が、いや、誰であるならば・・・それを・・・とめることができるというのだろうかと・・・。
はて・・・と意識もしっかりと自分の立っている場所へと戻すと、私は自分の顔を前に向けて葬儀の場へと足を踏み入れる。
そうだ・・・おもいの何が、どこに、どう在ろうとも・・・。
今日は・・・この葬儀を無事に、済ませなければ・・・。
そして彼女をこの棘の場所から送り出すのだ。
死という訣別でもって・・・やっと、この王城から・・・彼女は解放されるのだから。
王妃は、自分に向かって頭を垂れる参列者達の真ん中をしっかりとした足取りで進むと棺の前に立ち、彼女を見下ろした。
花に埋もれて横たわる彼女からは、苦悶から脱した静かな微笑みさえ見受けられるよう・・・だが、もうそこにあの紅玉のような瞳は無い・・・。
ナリーシャ・ジリタス・アンゲフォース。
マラーケッシュ公国王の“秘”された薬師であり、王の愛を受けた愛妾であった女性は、自らの命と引き換えに王に王子を与え永遠の眠りについた。
よってその功績を称えられ、棺に横たわる彼女の名は”秘”されることなき”尊称”へと忽然と輝き、公国第5皇子の生母として、王の側妃として公的に記録されることとなる。
王妃が棺の前に跪くと、彼女の纏った白装束の裾が純白の百合のように広がった。
彼女はジュリビッシュから託されたあの花を棺の中に手向けると祈りを捧げる。
どうか、どうか・・・あなたに安息の日々が訪れんことを・・・。
光の守護があなたを幸福へと導かんことを・・・。
天よ・・・光の輝きでもって・・・いとしごたちを・・・いとけなきものたちの・・・その行く末を・・・どうか、どうか御身のお力でもって・・・お守りください。