第40話 的煎(壱連) 深い幻に生きるは・・・。
「聞いたかい?あの話。」
「ああ、すごいことだな。」
マラーケッシュ公国の貴族達が見聞するあらかたの事柄は、そこに従事する使用人達から伝わって波紋のように国中に広まっていくものだが、今回の件に関してはどの身分の者であろうと、老若男女問わずに同じような反応を示していた。
「父さん。すごいことって、なあに?」
大人たちの興奮冷めやらぬ様子に、幼い子どもまでもが、話に加わりたがる。
「あのなあ、ぼうず。今度この国の王子様がご結婚なさるんだ。」
「うん。知ってるよ。お隣の国のお姫さまとなんだろ?」
ニカルス王子と隣国のエリカ皇女の婚約が発表された時には、マラーケッシュという小さな公国が大陸強国のエーリガント帝国第1皇女を花嫁に迎えるという慶事に、公国の民は喜びに包まれていた。
そして、今回更に、花嫁になる皇女がマラーケッシュにもたらすものといったら・・・。
「エリカ皇女さまは、マラーケッシュにルクスの福音をもたらしてくださるんだよ。」
「ああ、ありがたいことだ。」
貴族、平民に関わらず全ての公国の民達の間で、次から次へと、歓喜と感謝の言葉が囁かれ・・・・。
公国の敬虔な者たちの祈りがルクスに捧げられるのだった。
「公国の母であられる王妃陛下にご挨拶申し上げます。」
エリカ皇女は王后に深々とカーテシーを捧げた。
「王女さまのご容態はいかがでいらっしゃいますか?」
「エリカ姫。わざわざ足をはこんでくれたことに礼を申します。
王女の容体が芳しくなくあなたの出迎えに参席できず申し訳なく思っていました。」
「とんでもございません。王妃さまのお言葉だけでじゅうぶんすぎる位でございます。」
「エリカ姫。あなたが今回、この国にもたらしてくれる祝福をどう感謝したらよいのか、言葉が見つからないわ。」
「王妃様。身に余るほどのお気持ちをいただき、恐れ多いことでございます。
わたくしは、ただルクスの儚き民であるだけでございます。
王妃さま。ケントガーランディ神光領の頂・ルクスの代理人であられる神皇猊下より、敬虔なる信徒であられるマラーケッシュの王妃さまへこれをと。」
エリカ皇女の護衛騎士が大きな箱を運んできた。
と、ニカ王子が王妃のもとを訪れる。
「王妃様、ご挨拶申し上げます。継母上。わたしもご一緒してもよろしいでしょうか。私の大切な女性方とお茶をご一緒できたら嬉しいのですが?」
ニカルス王子は王妃陛下に礼を取ると二コリと微笑んでエリカ皇女の手を取った。
そして彼女を王妃の席の向かい側に、つまりは自分の隣に座らせた。
ニカルス王子があらかじめ準備させていたティータイムの用意が整えられる。
「今日は僕が継母上とエリーをおもてなしさせてもらおうかな。
きみたち、下がっていいよ。」
ニカルス王子が人払いをしたことで侍女たちが部屋を立ち去って扉が静かに閉じられると、王妃の部屋には、王妃、ニカルス王子、エリカ皇女のみとなった。
そうしてエリカ皇女が口を開いた。
「王妃さま。王女さまのお加減がよろしければ、ご挨拶を申し上げたいのですが。」
「ありがとう。今日は体調が良いようでね、あなたと会えるのを楽しみにしているようよ。」
「光栄でございます。」
「では、彼女にもぼくのお茶をご馳走しようかな?」
ニカルスがクスっと笑って立ち上がった。
王妃の部屋の一番奥は隣室と扉一枚で部屋続きとなっている。
幼い頃から身体が弱く、頻繁に発熱を繰り返す王女のためにと王妃が夫である国王に懇願して自分の部屋の隣に娘の部屋を造らせたのだ。
かつて彼女の二番目の子供であった王子を赤子の流行り熱で亡くした時、悲しみのあまり床に伏してしまった王妃は、その後、病弱な王女の健康に神経質というほどに気を張るようになる。
そして王妃は唯一手元に残された王女である娘を、乳母や侍女に手渡すことを拒むようになった。
最後には、常に自分が王女の看病をできるようにと、自分の部屋と王女の部屋を扉一枚で行き来ができるように作り変え、娘の養育を自らが行うことで母としての心の平安を取り戻していったのだった。
さいわい年齢と共に王女は健やかに育ってはいったが、やはり本来の虚弱な体質もあってか、よく床に臥すことが多い彼女はあまり人前には出ることのないまま深窓の幻姫となり、公国内ではほぼ話題にのぼらない王女となっていった。
カチャッ、キイイ。
ニカルス王子が扉を開ける前に向こう側から扉が開いた。
王女の侍女だろうか。シンプルだが、上質なドレスに身を包んだ令嬢が姿を現す。
「お茶を一緒にどうだい?」
ニカルス王子がその令嬢に目くばせをして微笑んだ。
「まあ。もしかして、エリカ皇女さまが?」
「ああ、きみにも紹介したいしね。彼女も会いたがってる。そう、きみのお姫様は、元気かな?」
「ええ。とっても。でも、そうね。こちらでみんなでお茶にしたほうがよいのかも。美味しいお茶菓子も用意させているのよ。それもとっておきのものを料理長に作ってもらったんだから。
皇女さまをこちらにお連れしてね。」
「フフフ。分かったよ。」
妹王女の侍女らしき令嬢ととても親しそうなニカルス王子は笑いを堪えながら戻って来ると、王妃とエリカ皇女を伴って妹王女の部屋に足を踏み入れた。
「さあ、どうぞ。このお茶会をとても、とても楽しみにしておりましたのよ。」
侍女らしき令嬢は待ちかまえていたかのように、エリカ皇女の手を取ると、にっこりと微笑みかけた。