第4話 誘煎 ティースプーンはシルバーがよろしいかと。
「は?いま、何と言った?」
リントヴェルム家スチュワードのマルティ・コーバは今までで一番命の危険を感じた。
ああ、今日の我が主の機嫌はすこぶる悪い。なんてことだ。
だが、これも仕事だ。
マルティは大きく息を吸って吐くと己が主に向かってもう一度口を開いた。
「申し上げます。先程、ご主人さま宛に手紙を持ってきた者がおります。」
「だから、それが、誰だと?」
主の低めの声に更に苛立ちが籠っていくのが感じられた。
マルティはゴクンと唾を呑み込んで次の言葉を続ける。
「それが、その侍女が申しますには、お手紙を読んでいただけば分かりますと、だけ。受け取っていただけるまで帰れない、と言い張っており、困った門番から私に話がありまして。」
「だから、そのたかが侍女が持ってきた手紙を、何故俺の所に持ってきたのか、と言ってるんだ。そういうのを処理するのはお前の仕事だろう?」
きっとご主人さまは、またよくお眠りになれてないのだな、とマルティは様子を窺いながら主人の罵倒を聞き流す。
「はい。それが、これをご覧いただきたいのです。」
マルティは侍女が持ってきた手紙を主人渡す。
マルティは手紙を手に取った主人を見ていた。
レイビオン・ルーディッシュ・リントヴェルム。
エーリガント帝国の筆頭侯爵家の嫡男である彼は、先月、大陸強国との戦いで傷を負い静養のため、マラーケッシュ公国との国境にある聖なる湖と詠われるこの地で過ごしている。
だが、ご主人さまの行き先は誰にも漏らしていないはずなのだ。
ということは・・・とマルティはその意味を考えていた。
レイビオン様が腹を立てているのはこの情報が漏れた管理体制にもあるのだということだろうな。
さて、そろそろシステムを見直すには良い機会なのかもしれない。
「マルティ。」
自分を呼ぶ静かな声に意識を戻して主人の方を見遣ると、先ほどの赤い怒りモードから、空恐ろしいほど冷気を含んだ顔があった。
「その侍女を呼べ。」
「え?」
「すぐ呼んでこい!」
「はい。畏まりました。」
マルティは門番部屋で待たせている侍女の所へ走った。
「お前の主人から、俺に渡すものがあるな?」
レイビオンの前で震え上がって言葉も出ない侍女は、コクコクと頷きながらも、小さな身体の内の意思を振り絞るかのように手を動かすと、持っていた小さな箱を彼に向かって差し出した。
マルティがその箱を受け取り、レイビオンに渡す。
レイビオンは箱を書斎の机の上に置いて、用心深く蓋を開けると、無言のまま箱の中の小さな瓶をもちあげて蓋をひらき鼻を近づけた。
独特の香りが鼻孔に吸い込まれる。
レイビオンはすぐ瓶に蓋をして、書斎の椅子に座ると、紙を取りペンを走らせた。手紙、封印を押してマルティに渡す。
「あの侍女と拘束した御者共々解放してよい。そしてこれを誰か使いに出してくれ。」
「はい。」
マルティはずっと震えの止まらないまだ幼さの残った少女である侍女を連れて部屋を出た。
バタンと扉が閉まっても、レイビオンはまだ、小瓶を手に持って光にすかしながら何かを考えているようだった。
「ジルマイト。多分、明日か明後日か位に、カフェに客人が来るのだけれど。」
ルリーアンジェは先程届いた手紙を読み終わった後、マスターに茶葉の瓶を渡した。
「私は明日の早朝にここを立ちたいの。なので、その方のことをお願いしてもいいかしら?」
「かしこまりました。全てお任せくださいませ。アンジェさま。」
「ありがとう。」
次の日の朝、ルリーアンジェは三つの帳簿をマスターに託した。
「薬草茶リストには記をつけて置いたわ。例の茶会で診た貴族の紳士達のほとんどは、まずは生活習慣を改める方が先だと思うんだけどね。
まあ、彼らの身体が病んでいる箇所には今まで通り薬草を処方して、と。
それからこっちは、薬茶の効能で悪所が改善した人たちの中で、そろそろ処方を香草に変えたほうが良い頃合いの人たちよ。
薬も長じれば毒となる、ですものね。あとしばらくは、予防も兼ねて香草ブレンドを差し上あげましょ。まあ、私たちもお茶代としてもう少し稼がせていただきましょうか。
ふふふ。これくらいの出費は、あの猫ちゃん(貴族)達には痛くもないでしょうし、今までの彼らの自堕落な生活を考えたら、結局はあの人たちの健康の為にはなるのだもの。ちょっとお高いサービスオプションみたいなものかしらね。
あ、それぞれに合ったレシピも書いて置いたから。お代は、たっぷり搾り取っていいと思うわ。で、それを診療所に回してちょうだい。」
「かしこまりました。」
「それから、これはいつもの診療所におろす分の処方リストよ。
今回は新しい調合でもたくさん作れたから、タク先生に渡す解説書もつけてるわ。
村の人達に無料で配布する薬茶葉の購入も、さっきの茶会リストの利益からどんどん使ってちょうだい。遠慮なく良質のもので作ってあげてね。」
「はい。タク先生がお喜びになりますね。診療所には近隣の村だけでなく遠方からも人々が足を運んでいるようですし。」
「そうなのね。もっと他の場所にも診療所が必要ね。資金繰りを考えなくっちゃ。」
そう言いながら、ルリーアンジェは最後の一冊をマスターに渡した。
「ジルマイトのおかげで、今回も情報がたくさん手に入ったわ。あちらのギルドも上手く回っているようだし、ほんとうに感謝しているわ。ありがとう。」
「アンジェさま。顔をお上げください。
私が先代様と亡きお嬢様、アンジェさまのお祖母さまにいただいた御恩はこんなものではお返しできません。本来は私がアンジェさまのお側にお仕えせねばならないところを申し訳ございません。」
「いいえ。あなたがここに居てくれるから、私は救われているのですもの。こ
れもお母さまとお祖母さまのお心に違いないわ。
ジル。私、絶対にあの子を取り戻す。だから、これからも力を貸してちょうだい。」
「御意に。アンジェ様。この命に代えましても。」
「ありがとう。ジル。まずは第一歩よ。例の客人を頼んだわ。」
ルリーアンジェはシャブラン亭を後にすると、ジルが手配してくれていた馬車に乗り込んだ。
「ルクステネブラエ湖まで行ってちょうだい。できるだけ、急いで。」
「エーリガント帝国との国境にある、あの聖なる湖ってとこですかい?あそこは帝国の管轄領で、わたしら庶民は近づけませんぜ。」
「分かっているわ。行けるところまででいいの。料金を弾むから。お願い。」
金貨の入った袋を見せられた御者はもう何も言わず、張り切って馬を走らせる。
「急いで。早く、早く。」
ルリーアンジェは祈るような気持ちで馬車の窓からながれゆく景色を見つめていた。