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第35話  純煎(壱連) 彼の人(かのひと)に捧ぐは・・・。

「兄上。どうしても行かれるのですか?」


エーリガント帝国侯爵家の次男キアロティット・クステリオ・リントヴェルムは、兄がつい先刻受け取った手紙を読んだ時から憤怒を抑えた厳しい形相になったのを見ていた。


そしてもうすでに兄は身支度を終え、部屋を後にしようとしている。


「ああ。猶予はないからな。キアロ。すまない。父上やお前に迷惑をかけるが。私はこのままここでじっとしているわけにはいかぬのだ。彼女が行方知れずだというのに。」


「兄上。ですが、兄上がマラーケッシュに行ってどうなさるおつもりですか?

そもそもあちらでは、兄上との婚姻を認めないとのこと。

エーリガント帝国侯爵家からの求婚の書そのものを公国側は返却してきたと、父上もかなりご立腹だったではありませんか。」


「そうだな。こちらとしては真っ向からの誠意のつもりだったのだが。

まさか公国がああ出るとは。

私の読みが浅かったのだ。

そして、おそらくそれ故に彼女を危険にさらしてしまったのだ。

キアロ。私は彼女を探しにいく。分かってくれ。」


「兄上。」


私は自分の兄がこんなにも取り乱した姿を今まで見たことが無かった。


我が兄、レイビオン・ルクディス・リントヴェルム。


エーリガント帝国の聖騎士団長であり、大陸戦争では帝国に幾つもの勝利をもたらした帝国の英雄。


幼い頃から頭の回転が良くユーモアに溢れているが、冷静沈着で礼儀正しい、そして帝国筆頭侯爵家の嫡男であるにも関わらず、どんな身分の相手にであろうと、誰に対しても人間として穏やかな優しさで接することのできる人、それが私の兄だった。


それ故に、帝国内でも騎士団員達からの信も厚く民衆からも熱烈な支持を受けていた。


そう、彼は弟である私にとっても、絶大な敬意を持って慕う唯一無二の兄であった。



思えば、幼い頃から優秀である故の成熟さ故なのか、兄が何かに執着したのを見たことが無い気がする。


常に何からも一歩離れた場所で淡々と生を見つめているかのような、そんな仙境的なものさえ感じさせられる生きざまもまた唯一無二な存在故なのだろうと、私はそんな風に思うことすらあったというのに。


だが今、その兄が、苦渋の表情で私に視線を向けているのだから。


私に何が言えるというのだろう。


今、兄が公国に行くことで、その結果どんなことが起きうるかということも、それが侯爵家に何をもたらすか、兄自身の命すら危うくなるかもしれないのだということも、想定される全てのことを理解した上で、それでも兄は行こうとしているのだから。


それもたった一人の女性の為だけに。


全て(いのち)を懸けて。


ならば、もはや私には言えることは何も無かった。


そう、何も・・・。


「キアロ。本当にすまない。父上にはこの手紙を渡して欲しい。頼む。キアロ。父上を頼んだぞ。」


「はい。兄上。私は、いえ、兄上、どうか、どうかご無事で。

お帰りを、無事のお帰りをお待ちしております。」


「ああ。」


兄はいつものようににっこりと微笑むと、戦に行く時のように颯爽と馬上の人なった。



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