第29話 呆煎(壱連) マラーケッシュの翼(忠臣)とはなんぞや・・・?
「マラーケッシュは、アンゲフォースを決して手放さぬ。」
公国王家の意思は頑として固かった。
「おかあさま、なぜです?
わたくしはたとえ婚姻を結んでも、アンゲフォースとしての責務を放棄はいたしません。
それに『救癒』はこの国だけでなく、大陸全てに施されるべきだと、それが我が家門の矜持だったはず。なのに、なぜ?なぜなのですか?」
ルミューリアは公国王家のあまりの理不尽さに怒りを露わにして、母に感情をぶつけた。
「そう、あなたの言う通り。王家の言い分はなんとも利己的よ。
だけれど、我らはマラーケッシュ公国を建国から支えてきた”臣”でもあるの。
我が家門は政治的にはここに籍を置き、責を負うもの故に。」
「わたくしは、この土地を離れたとしても、決してマラーケッシュを忘れは致しません。
いついかなる時も、どこにいようと。
わたくしの『救癒』(すくい)は命あるものの為にあるのですから。」
「ええ。分かっているわ。かわいいルミューリア。
母はあなたの心を疑ったことなど一度もない。
ただ、この政治ってものがね、なんとも物事をややこしくしてしまう。
大丈夫よ。ルー。あなたはあなたのもの。誰にも自由にはさせない。
少しだけ、この母に時間をおくれ。」
「おかあさま。ごめんなさい。アンゲフォース当主としてのおかあさまの立場を分かっているのに、わたくしは、自分のことばかりを。」
「いいえ。ルミューリア。あなたは何も悪くない。
むしろ、アンゲフォースの女系に産んでしまったこの母を赦してちょうだい。
私は何があろうともあなたを守ってみせる。」
「おかあさま。」
ルミューリアは幼子の時のよう抱きしめてくれる母の懐に包まれた。
母のその温もりが彼女の中に染み入っていく内に、彼女は、彼女の底に淀むやりきれない怒りに疲弊していた彼女自身の心も身体もが温まっていくのを感じていたのだった。
「母上。」
部屋の扉が開いて、兄が飛び込んできた。
「出発の準備が整いました。」
「さあ、ルミューリア。あなたはしばらくアルディンの森に身を隠して。長くはかからない。母を信じて、待っていてちょうだい。」
「はい。おかあさま。」
「ディリオン。ルミューリアを頼んだわ。」
「はい。母上。ルーのことはご心配なく。お任せください。母上、母上こそ、どうかご無事で。」
今日の王宮は、人が、多いなとアンゲフォース伯爵家当主である彼女は見て取った。
そしてこの部屋の前には、守護警備兵が?
「失礼いたします。」
部屋に入ってからも扉の内側にまた兵士が置かれていた。
そして、彼女が王宮に到着し馬車を降りてから、ずっと影のように付いて回る守護の騎士までも。
だが、考えても仕方のないことだ、と彼女は気持ちを切り替えて目の前の大事に向かう。
そう、自分の責務を果たそう。義務ではなく、ただこの幼い命を護る為に。
彼女は努めて笑顔を作り言葉を発した。
「第四王子さまにご挨拶申し上げます。御身体の具合はいかがでいらっしゃいますか。」
寝台に寝ているのは、幼い王子。
生まれつき病弱であるこの王子が赤子の時から、彼女はアンゲフォースの当主として何度この王子の元を訪れ『救癒』を施してきたか。
ここ何年かでは大きな発作も治まり、娘のルミューリアの薬草茶を取り込むことで体質も上向きとなってきている。
そして、この幼い王子は当主である私と共に王子の元を訪れるようになったルミューリアを姉のように慕い、ルミューリアもまた赤子の時から見てきたこの幼い王子のことをまるで弟のように気にかけ案じることも多かった。
振り返れば、笑いが出る話ではあるが。
ルミューリアは王宮にあがる度にこっそりと幼い王子のもとに、いろいろなものを持ち込んでいた。
もちろん王子の乳母や侍従たちに許可を取ったうえでだが。
ルミューリアが私に相談して自ら作った滋養によい飴、かわいいぬいぐるみや玩具、兄と行った町の祭りでの小さなお土産。森で摘んだ花や、面白い絵本。
王子の体調が良くなってきてからは、彼女は自分で作った甘い菓子を持ち込んでは王子の乳母や侍従、守護の騎士達まで巻き込んでお茶会まで開いていた。
ルミューリアは、病の為に王宮の外に出る機会を持てない幼い王子のその境遇を不憫に思い、彼の為に心を痛めていたのかもしれない。
ルミューリア自身もまだ少女ではあったが、ただ王子の身体を治すだけではなく、幼い王子の心に少しでも人生の煌めきをという彼女なりの思いだけで懸命に動いていた。
あれはきっと、まだ幼い彼女なりの、そう、またひとつの慈愛の形だったのだろう。
「ルミア姉さまは?」
寝台に起き上がった王子が最初に言った言葉はそれだった。
「王子さま。申し訳ございません。娘は体調が優れず療養しております。本日は私独りで参りました。さて、お体のほうは?」
幼い王子が落胆する様子は忍びなかったが、ここはあえて明るく振舞う。
「さて、王子さま、お熱はいつからですか・・・?」
第4王子の元へ来てからしばらく経った頃、扉がノックされた。
「アンゲフォース伯爵さま。陛下がお呼びでございます。」
やはり、きたか、とりあえずは想定内の流れに身を任そうか。
「王子さま。今日はこれで失礼いたします。どうかご無理をなさいませんよう。そして、これは娘の調合した薬茶でございますので。」
そう言って彼女は多めに準備してきた包みを乳母に託した。
「後でごらんください。娘が心を込めて作っておりました故に。」
そう、包みの中には娘のルミューリアが作りためておいた王子への贈り物も詰まっている。
「ルミア姉さまが?」
王子の顔がぱあっと花開いたかのように綻んだ。
「はい。王子さま。では、今日は失礼いたします。」
王子に礼を取って部屋を出ると、アンゲフォース伯爵を待ち構えていた王宮の近衛親隊の騎士達に囲まれながら、国王陛下の元へと向かう。
誰も何も話すことはなく、騎士達に連れられるかのように足早に歩いていると、突然、騎士達が礼を取った。
「王太子殿下。」
何故こんなところに王太子が?と疑問に思いながらもすぐに礼を取る。
「公国の光であられる王太子殿下にご挨拶申し上げます。」
「アンゲフォース伯爵。顔をおあげください。」
王太子はそう言うと、護衛についている騎士達のほうに向かって言った。
「私が伯爵をご案内しよう。お前たちは下がってまいれ。」
そして彼女に手を差し伸べる。
「第4王子を、弟を診てくださったのですよね。感謝申し上げます。どうか、私にエスコートさせてください。」
珍しく手を差し伸べてくる王太子殿下は、普段の穏やかさも無く真摯な顔つきだった。
彼女は王太子に自分の手を預け、二人は並び立ってゆっくりと歩き出した。
護衛の者達から少し離れて前に足を進めていると、
「伯爵。お会いするのが間に合って良かったです。」
王太子はにっこりと微笑みながら、彼女の方に近寄ると、そう囁いた。
「失礼かとは思いますが、伯爵、ルミューリア嬢は?」
「娘は体調を崩し療養しておりますが。」
「ああ、そうですか。」
ふうっと安堵の溜息をついた後、王太子は誰にともなく呟いた。
「ここに彼女がいないことを天に感謝します。」
そして彼はいっきに話し始めた。
「今回のことで、陛下は、とても頑なになっておられます。貴族議会の者達の影響も強く、私や王后である母上の意見には耳を御貸しにはならないのです。」
「そうですか。」
もう、すぐそこが陛下の待つ広間だ。
着いてしまったか。
「伯爵。」
王太子が少し立ち止まって彼女をじっと見る。
「私を信じていただけますか?」
彼女は王太子の言葉の意味を捉えかねていた。
「ルミューリア嬢は、とても得難い人です。彼女は光そのもの。この国にとっても、私にとっても。」
「殿下?」
彼女には王太子の真意が掴めない。
「私は、大切なものは自分の全てで守ります。そして、彼女の幸せこそが私には無二の喜びだということをどうか心にお留め置きください。」
王太子とアンゲフォース伯爵の姿を見出した広間の護衛兵が、二人に敬礼を捧げた。
そして広間の扉はゆっくりと開かれる。
王太子は彼女に一礼するとその場を離れ、一歩先に真っすぐに広間の中に歩き去って行った。
「アンゲフォース伯爵のご到着でございます。」
澄んだ声が響き渡る。
さあて。何がはじまるのか。
ふううっと息を吐いて、背筋をピンと伸ばす。
そうして彼女は、広間の人だかりの中へ、足を踏み入れた。




