第23話 屡煎(肆連) 滴り堕つは・・・ 誰ぞや・・・
「また熱が。」
お母さまの声がする。
身体が重たくて手を持ち上げることさえできない。
「お、かあ、さま。」
振り絞って出した声は囁きのように宙に浮く、けれど、お母さまはそれを拾って側に来てくださる。
「大丈夫、大丈夫よ。さあ、薬茶を飲みましょうね。」
お母さまはご自分が煎じてくださった薬茶をスプーンで私の口元へ運んでくださった。
そして私の額に冷たい布をあてて、私の手をそっと撫でるように握っていつものように微笑んでくださる。
「側にいるわ。安心して。大丈夫よ。」
あんなに熱かった身体が今度は冷気に襲われたかのようにその寒気に震えながら、身体が痛みを感じながら、底へ、底へと沈み込んで墜ちてゆく・・・。
もうじぶんの意識を手放してもいいだろうか、そうだ、もう、自分の全てが自分に脱力を許してやれと、意識に巣食うなにものかが叫んでいる、そんな錯覚さえ・・・。
ヴィィゥィィゥィィィーン・・・何か渦巻くものを感じる。
力無く開かない瞼に温もりを感じた。
視界は闇であるのに、それにすらその白金の眩しさがうっすらと感じられ、何かの渦が自分に巻き込まれ、けれど、それは決して憂惧されるものではないのだと、私の本能が教えるのだ。
自分の中に懸濁するなにものかが浄化されてゆくかのよう。
そうして私の身体は私を取り戻し、スーウウッと私は深い深い眠りに吸い込まれていった。
その心地よい眠りの底に投影されて(うつしだされて)いるのは~あれは、あれはあの淡い黄金の夢が私を溺れさせる甘い幻想の夜なの?
私は自分の中の意識に乞うて、その儚い記憶に没する恍惚の螺旋に己を手放した。
「なんて素敵なの。」
初めて訪れた舞踏会は自分が生まれ育った場所とは全く異なる煌びやかな場所だった。
彼女は目にする全ての眩しさに、気持ちが昂るのと同時に、彼女は自分が何も知らない無知な子どもに戻った気さえしてきて、ふと恐れおののく自分をも知ってしまう。
そして彼女、ミレイア・リンディ・アンゲフォースは彼に手を取られ、ゆっくりと広間を進んでいく。
淑女というよりは、まだ幼さの方が際立つ少女のような彼女が纏う淡い薄紅色のシフォンのフリルが幾重にも重なったふんわりとしたドレスは、まるで春の妖精のような初々しさを醸し出し、首に巻かれたチョーカーとお揃いの真珠のイヤリングは彼女の清楚さを際立たせていた。
「ミレイア嬢。今日のあなたはまるで春咲の薔薇のように美しい。
どうか、私と踊っていただけますか?」
ミレイアは初めて彼に出会った時から止まらない胸の鼓動が、今また激しく自分を打ち付けるのを感じたる。
彼は、今日も私の大好きな物語の王子様のように、そのブラウンの瞳が優しく私を見つめて微笑んでいるのは、私の気のせいかしら?
意識が不明瞭なまま浮き上がりそう。
そんな彼女をまた微笑ましく見つめていた彼は、ミレイアの手をそっと持ち上げると、その甲にそっと口づけた。
ミレイアは自分の頬がカッと熱くなるのを隠せない。
「ミレイア?」
彼の優しい口調が、その柔和な煌めきの瞳と相まって彼女に問いかけてくる。
「は、はい。わたくしでよろしければ。お願いいたします・・・」
緊張と興奮が入り混じって、上擦ったままの声で応えると、彼の口角がふっと持ち上がり、彼女を優しくダンスの場へと誘った。
なんて素敵な男性なのかしら・・・。
ミレイアは自分の腰に優しく手を添えて、さりげなくダンスをリードしてくれている彼の端正な顔立ちをそっと見つめながらうっとりと自分の心を思い返す。
彼のその優雅な立ち振る舞いや、出会った時から彼女に向けてくれる配慮深い優しさで彼女の無知を受け止め、彼女の未知なる世界を様々な色々で満たすように教え導いてくれる頼もしさ、彼のありとあらゆる面が、彼女の心を掴んで離さない。
この気持ちは・・・なんだろう。
ふとミレイアは、彼ともう何曲踊っているのだろう、と気付いた。
音楽はワルツに変わり、彼の手が更にぎゅっと彼女を抱きしめているのは、彼女の頬に触れんばかりの彼の唇が熱いせいなの?
彼女はもう何も考えられない浮遊感に自分を放って、その熱さの渦に身を任せ踊り続けた。
彼女の心は舞う。
夜に煌めく蝶のように彼を、彼女の唯一にして無二の愛を求めて舞い続ける。