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三.謎の術者

 なぜこんな状況になったのかと、義平は頭を抱えていた。

 なぜ、スズに押し倒され、上に跨られているのだろう。

 当のスズは平然として、黙って義平を見下ろしている。

 たしか、どうしたら龍神退治をやめさせられるかと考えていたところだ。けれど、退治の本当の目的を推測しようにも、手がかりが少なすぎて行き詰まってしまった。

 友保に詳細を聞いておくべきだったと後悔したが、すぐに切り替えた。尋ねたところで、腹に一物抱えてそうなあの男が、そうやすやすと要となる話をするとは思えなかった。

 そこで、神域である沼から出て、ほかの土地を回ってみることはできないかと提案した。手がかりを収集するのが目的だが、上手くすれば、紅葉たちと合流できるかもしれない。

 スズは嫌そうに眉を顰めた。

「できないことはないが、嫌だ」

「なぜだ?」

「沼の外に出たくない」

「なぜ出たくないのだ」

 スズは不思議そうに問い返した。

「逆に、なぜ出たいと思うんだ? ここにいれば安全だろう? 奴らが来たら、追い返せばいい」

「それでは延々と続くぞ? それでもいいのか?」

「別に、構わない」

 守りに徹するのは時として有効な手段だが、今はすこしでも多くの手がかりを得るべきである。

 義平は、単なる龍神退治とは思えなくなっていた。何か裏があるはずだ。龍神退治にかこつけた本当の目的と言い換えてもいいだろう。それがわからないかぎり、この場所が安全とは言い切れない。だが、当の龍神ときたら、外に出たくないの一点張りである。

「では、俺だけが外に出るのは構わないだろう?」

「それは構わんが……やめておいた方がいい」

 スズは神妙な顔つきで言った。

「なぜだ」

「ほかの妖しからすると、今のあんたは格好の餌食だ。沼から出たとたん、食い殺されるぞ」

「……弱いと言いたいのか?」

 スズは「そうだ」と言い切った。

「あんたの腕っぷしの強さであれば、並の妖しを退けることは可能だろうが、妖しとなってまだ日が浅いからな。生まれたての雛みたいなものだ。おれの眷族なら、そう滅多に手出ししてこないと思うが」

 妖しの者の強さの定義は妖力で決まる。妖力とは、ひとの生命力のようなもので、魂の格でほぼ決まっている。

 妖しの者とひと言でいっても様々な種族が存在し、すべて格付けされている。上位には龍や鬼といった妖しがいるが、さらに上には、別格として『神』が存在する。

 龍神であるスズは最上位の妖しなので、その眷族である義平に手を出そうとする妖しは滅多にいない。眷族に手を出すということは、主人たる妖しに喧嘩を売るようなものだからだ。龍神に喧嘩を仕掛けるのはなかなかの蛮勇である。

 だが、義平自身は弱い妖しである。しかも、半分ひとであるという弱点がある。

 ひとの魂の格は妖しよりも下にある。そのため、混ざり者は、純粋な妖しからすると下に見られる存在で、場合によっては唾棄すべき者として、存在すら許されない場合がある。

 生まれつき格付けされ、下位の者は上位の者にどうあっても敵わないというのが妖しの世界であった。

クロガネが、龍神の眷族となったことを誇らしいことだと義平に言ったのは、混ざり者とはいえ、『ひと』よりも格上の存在になったことと、最上位の妖しである龍神の眷族となったことの二点を含んでいるからだ。

 魂の格が低い『ひと』が妖を退治することができるのは、妖力とは別に、対抗しうる手段を様々な形で持ちうるからである。術者が用いる方術や武官による武力は、そうした手段のひとつである。

「ひとの身であれば鍛練すればよいが、今の俺はどうしたらいい? どうしたら強くなれる?」

 理屈はわかっても、現状に納得できない義平はスズに尋ねた。

「強くなったところで、たかが知れているぞ。雛鳥が成鳥になった程度で、あんたより上位の妖しを超えることはない」

「それでも構わん。今よりはマシだろうさ」

 スズは、そういうものかと頷いた。

「まあ、時間が経てば自然と強くなる。何百年、何千年と存在する者ほど強い。おれのような自然に宿る者だったら、その場所が栄えることも有効だな。ひとの信仰を集め、他者に存在を認められるのも手だが、あんたはおれの眷族だからな……ああ、そうか」

 訥々と説明していたスズは閃いたように言った。

「あんた、おれとまぐわえばいい」

「は?」

「主神たるおれの神気を存分に浴びれば、あんた、妖しとしても強くなれるぞ」

 そうして、スズは呆気にとられる義平を押し倒し、上に跨ったのだった。

衣に手をかけたスズを、義平は慌てて制止した。

「ま、待て! まぐわうというのは」

「交尾と言えばわかるか? 生き物にとっては子を成すための行為だが、神気を直接体内に流し込むことで、主神と眷族の繋がりをより強固なものにできるんだ。繋がりが深まれば、魂の格はそのままでも、あんた自身の妖しの力は格段に増す」

「そ、そうか……」

 淡々と説明するスズに、義平はひとり慌てているのが滑稽に思えてきた。咳払いをし、「より強くなれるわけか」と動揺を抑えて言った。

「それは大丈夫なのか? クロガネが言っていただろう。本来なら、同じ龍種か同等以上の格を持つ者でないと龍神の血には耐えられないと。今回は血ではなくて神気だが、混ざり者の俺でも耐えられるものなのか?」

「おれの血に耐えられたなら大丈夫だと思う……たぶん」

「最後のひと言は聞きたくなかった」

「試してみないことにはわからない」

 表情ひとつ変えず、スズは衣を脱がせようとする。義平はとっさにスズの手首を掴んだ。見た目は細いが、力を入れてもびくとも動かない。スズは不思議そうに小首を傾げた。

「なんだ? まだ心配事でもあるのか?」

「……そ、そうだな。つまり、その……できるのか?」

「なにがだ?」

 一瞬言葉に詰まり、渋々白状する。

「……恥を忍んで言うが、俺はこういう行為には不慣れでな。そもそもお前が男なのか女なのかもわからん。それでどうやってまぐ……すればいいのか」

「なんだ、そんなことか」と何でもないようにスズは言った。

「安心しろ。おれも初めてだ」

「まったく安心できないんだが!」

「互いの体の一部を使って、体内の奥深くで繋がればいいのだろう?」

「そうなんだが! こら、脱がすな! というか、破くな!」

 力ずくで狩衣を破られ、その下の衣もずたぼろにされる。

「着物はあとで直るから心配するな。あと、おれが男なのか女なのかという話だが」

 スズがまばゆく光り、一瞬見えなくなる。次に現れたとき、スズは全裸だった。義平はスズの裸形に目を奪われた。

 その体は男でもあり女でもあった。ふたつの性を持ち合わせながら、卑俗的ないやらしさはなく、ただただ神々しく清廉な姿でそこに在った。

「その辺りの区別は曖昧だ。どちらかに偏る者もいるが、おれは両方だ。つまり」

 圧倒される義平に覆いかぶさり、顔を寄せる。

「あんたとも、問題なくまぐわえる」

 間近に迫った紅い瞳がやけにきらきらと煌めいている。その瞳に魅入られ、惚けたように見つめ返す。

何も言えずにいると、薄い唇が重ねられ、侵入した舌で遠慮なく口腔を舐め回された。

「……っ!」

 溢れそうになる唾液をこくりと飲み込む。すると、全身が炎にくべられたように熱く燃え上がった。

頭のてっぺんから足の爪の先まで、沸騰した血潮が行き渡るのと同時に、腹の底から力が漲るのを感じる。自分の体を構成する微粒なものひとつひとつが喜んでいるような奇妙な喜悦と高揚を覚えた。

 もっと感じたい。

 そう願い、スズに手を伸ばす。自分の上に乗った華奢な体躯を引き寄せ、抱き締める。スズは驚いたように顔を離した。義平を見て、なにやら頷く。

「やはり、あんたなら耐えられそうだ」

 それならば、いいだろう――口に出したつもりが、声にならなかった。もっと欲しいと体が飢えていた。

 力が漲るにつれ、頭は酒に酔ったように酩酊していく。スズから与えられるものが欲しいと、そればかりに思考を占められる。

「なんだ、もっと欲しいのか。あまり与えすぎてもいけないらしいが……んくっ」

 痺れを切らした義平はスズの頭を掴み、強引に奪いに行った。そのはずみでくるりと体を反転させ、スズを組み敷く。舌をねじ込ませ、口内を舐める。スズはされるがままだった。

 舌を吸い、唾液を味わうたび、熱に侵されていく。

 もっと、もっと欲しい、奥の奥まで堪能したい。

 とっくに理性を失っていた。

 義平がスズの足に手をかけたそのとき、轟音とともに屋敷全体が大きく揺らいだ。



 揺らぎを気にすることもなく、なおも貪ろうとする義平の眉間に、スズの指が当てられる。脳内でパァンッと弾ける感覚があり、義平は我に返った。

「……っ、俺は、なにを……」

 現状を確認すると同時に固まった。全裸のスズを押し倒しているのである。義平は飛びずさり、「すまんッ」と土下座した。

「途中で訳が分からなくなったとはいえ、お前に無体を働くつもりはなくてだな」

 頭を下げたまま、言い訳がましく言葉を並べる。不可抗力とはいえ、自分がしでかそうとしたことが信じられなかった。けれど、スズは飄々としたままだった。

「見ろ。直ってるぞ」

「え?」

「着物だ。気にしていただろう」

 義平が自分の体を見回すと、スズに破られてずたぼろだった着物は新品同様に様変わりしていた。

「おれたちが身に纏うものは妖力でできている。破れても、しばらくすれば直る」

「これも妖力によるものなのか。なんというか……なんでもありだな」

「ひとの在り方が不便なだけだ。だが、だからこそ、世界は巡る」

 妖しの者は、妖力さえあれば大抵のことを自力で済ませてしまう。ひとには、そうした力がない。だから、世界にあるものを上手く利用して生きている。

 田を耕し、苗を植え、稲を収穫し、米を食う。

 そうすることで、世界は巡る。世界が巡るからこそ、妖しの者もその恩恵に授かれる。

 スズの沼で成った錫石がひとに使われる。ひとに使われれば、スズの存在が認知される。神としてではなく、「あの沼には錫石が成る」という認知だけでも、信仰を拠りどころとする神にとっては必要なことである。

 ひとだけでも、妖しの者だけでも、この世界は成り立たないのだ。

 それが『世界は巡る』ということである。

 義平が口を開こうとしたそのとき、ふたたび屋敷が揺らいだ。

「なんだ!?」

「おれの神域が攻撃されているようだ」

「それを早く言え! 友保の討伐隊か?」

「わからん……が、ひとではない者の気配がする」

「なんだと!?」

 新手の敵なのか、ここにいては判別がつかない。義平は自分を外に出すように言った。しかし、スズは首を横に振り、ひとりで出て行こうとする。その手を慌てて掴む。

「あんたは、ここにいた方が安全だ」

 振り返ったスズは静かに言った。たしかに妖力も刀もない今の義平では足手まといかもしれない。かといって、大人しく待っているのは性に合わない。「お前に何かあったらどうする」と言えば、「いつものように追い払ってくるだけだ」と返ってきた。

「妖しの者を相手にしたことはあるのか?」

「……ないが、なんとかなると思う」

「却下だ。根拠のない判断は碌な結果を生まん」

 スズはムッとしたように、「なら、あんたはどうなんだ」と尋ねた。

「敵の素性がわからないことにはどうにもならん」

「それは、あまりおれと変わらない気がするが」

「だから、偵察に行く。お前が追い払うならそれで良し。だが、おそらく次も来るぞ」

 きっぱりと断言する義平に、「なぜそう言い切れる?」とスズが首を傾げる。

「今までお前を襲った妖しの者はいなかったのだろう? この機を狙って襲ってきたということは、今回の退治に関係していると考えていい」

「つまり、おれがいなくなるまで続くと」

「そういうことだ」

「……嫌われたものだな」

 スズはぼそりと呟いた。

 義平の失踪から間を置かずに襲撃してきたところを見ると、いよいよ敵方も本気を出してきたと考えてよいだろう。

「こちらもいつまでも無策でいるわけにはいかない。すこしでも敵の手がかりがいる」

「わかった。あんたも来い」

 言うが早いか、屋敷は消え、スズは龍の姿をとった。乗れとばかりに義平に向かって首を垂れる。義平は水を蹴って跳び上がり、スズの頭に乗った。

「振り落とされないよう、掴まっていろ」

 言われたとおり、スズの角に掴まる。スズの巨躯が水底から水面へと上昇し、一気に空へと駆け上る。風の勢いに振り落とされないよう、しがみついているので精一杯だった。スズは体の半分を沼に残し、上半身をくねらせて地上を見渡した。

 外は日が高く昇り、昼の頃合いであった。

 先に気づいたのは義平だった。混ざり者となったせいか、今までより妖しの者の気配に敏感になっている。そして、その気配はよく知った者だった。

「紅葉!」

 沼のほとりにある社を背に、紅葉は立っていた。背後の社は巨石の落下でもあったかのように無惨に押し潰され、見る影もない。

「先ほどの揺らぎは、社を壊されたせいか」

 スズが納得したように呟いた。

「あそこは神域と繋がっているからな」

 破壊による振動が沼の底の神域にまで伝わったのだ。並外れた威力といえよう。

「すまん。やったのは、おそらく俺の従者だ」

「ああ……そういえば、いたな。小さいのが」

 スズは自分を攻撃してきた小柄な童を思い出したように言った。

「だが、様子がおかしい。紅葉!」

 義平は声を張り上げた。なじみの従者の顔が向けられる。その眼は煌々と黄金色に輝いていた。

「見ツケマシタ」

 ゆるりと口元が歪められる。ふだんの紅葉からは想像できないほどの凶暴な笑みだ。

「まずい。あの状態の紅葉は――」

 義平が言い終わる前に紅葉が跳躍し、拳でスズの体躯を殴った。衝撃で、ぐらりと巨躯が揺らぐ。

「……ぐっ」

「大丈夫か!?」

「……前より強くなっている気がする」

 呻きつつ、スズが答える。

「紅葉は鬼との混ざり者だ。ふだんは術で鬼の力を封じているが、今は解かれているようだ」

 眼の色は本来の色に戻っているが、髪の毛は黒いままである。完全に解かれたというより、中途半端に解かれている状態だと推測する。

 スズに伝えると、「混ざり者にしては強いな」と零した。

「さすが鬼との混ざり者だな」

「感心してる場合か!」

 話している間も、紅葉は拳を振るい、蹴りを入れてくる。そのたびに、スズはぐらぐらと揺れた。紅葉の攻撃がまともに効いているのだ。前回紅葉が対峙したときは、全く歯が立たなかったというのに。

「やめろ、紅葉ッ! 俺の話を聞け!」

 呼びかけても、紅葉は止まらなかった。義平は身を乗り出し、周囲の空気を震わせる勢いで叫んだ。

「紅葉ッ! お前の主人たる源義平を忘れたかッ!」

 紅葉の動きがぴたりと止まる。

「よし、ヒ、ラ、様ァ……?」

 のろのろと視線を彷徨わせる。目が合った。

「ヨォォォォシィィィィヒィィィィラァァァァ様ァァァァッ!」

 木々をなぎ倒さんばかりの咆哮とともに襲いかかってくる。

「逆効果だったんじゃないのか?」

「くそ! お前はいったん沼の中に――」

 紅葉の一撃がまともに当たり、スズの体躯がついに横倒しになる。義平はほとりに放り出された。受け身をとり、すぐに起き上がる。

「スズ!」

 当たり所が悪かったのか、スズは頭をほとりにもたれかけた格好でぐったりとしている。紅葉がとどめを刺そうと拳を振り上げる。いかに龍神といえど、首をへし折られてしまえばただでは済まないだろう。

義平が駆け寄って止める前に、紅葉を制止する者があった。

「いけません。これはまだ使い道があるのです」

 海松色の狩衣姿の青年だった。口元にはゆったりと笑みを浮かべている。いつの間にか紅葉の背後に現われた青年は、振り上げた紅葉の手首を掴み、そっと下ろす。

「ですが、逆さの鱗は剥ぎ取って構いませんよ。退治した証として、友保殿に見せなければなりませんからね」

 青年が印を結び、呪を唱える。すると、空中から四本の光の柱が突如として現われ、スズを囲った。柱の上部には柱と柱の間を繋ぐように、四辺とも注連縄が掛けられ、紙垂が垂れ下がっている。

「さあ、封じる前に剥ぎ取ってしまいなさい」

 紅葉の手が逆さの鱗に触れる。スズは雷に打たれたかのようにのた打ち回った。だが、見えない壁に阻まれているかのように、囲いとなった柱の内側からは出られない様子だった。

「く、そッ――」

 眷族としての繋がりのせいか、紅葉が逆さの鱗に触れるたび、義平の体にも痛みが走る。なんとしても紅葉を止めなければならない。

「紅葉ッ!」

「おや、貴殿は」

 紅葉より先に、青年が反応した。義平を一瞥し、軽く目を見開く。

「……なるほど。面白いことになっていますね。主従ともに混ざり者とは」

「貴様、何者だ。紅葉に何をした!?」

 青年は篝火と名乗り、にっこりと微笑んだ。

「ほんのすこし、解放して差し上げただけですよ。主人を失い、深く哀しみ、熱く憎悪を滾らせていましたので」

「術を解いたのだな?」

「かなり手こずりました。大陸由来の高度で煩雑な術であるうえ、さらには明王の加護もありましたので。ひょっとすると、術をかけた者は高僧でしたでしょうか」

 すらすらと淀みなく答える様は、風雅な貴族の立ち振る舞いを思わせた。だが、決して隙があるわけではない。義平は神経を集中させ、篝火を睨みつけた。

「と申しましても、解いたのはほんの一部です。すべて解放してしまいますと、御しきれなくなりますから。あとは、ええ、そこの龍神への怒りを呪によって増幅させました。理性が残っていますと、なにかと煩わしいでしょう?」

「貴様……くッ……」

 紅葉が逆さの鱗を剥ぎ取ろうと奮闘するたび、義平は痛みに耐えなければならなかった。紅葉を止めなければならないが、目の前の男から意識を逸らすわけにもいかない。篝火が何を仕掛けてくるかわかったものではなかった。

「ご安心ください。龍神を封じたら、お返ししますよ。ああ、でも、眷族となった貴殿が主神を封じられて生き残れるか、わかりませんけれどもね」

「貴様ッ!」

「へえー、そういうことかあ」

 間延びした声とともに、ふわりと初音が舞い降り、義平の前に立った。

「初音!」

「やあ、義平。しばらく会わないうちに面白いことになっているね。色々聞きたいけど、まずはこれを」

 投げて寄こしたのは義平の愛刀だった。

「紅葉が連れ攫われちゃってさー。どうせここだろうなと思ったら案の定だ。しかも……うわっ」

 紅葉を一瞥した初音は嫌そうな声を上げた。

「糸の呪かあ……えぐい真似するなあ」

「糸の呪?」

「他者を操る際の呪の一種だよ。糸の結び目を断ち切らないと解けない高度な術だけど、心臓の真上で結ぶって、殺せって言ってるようなものじゃん」

「おや、ひと目で見抜くとは、なかなかの腕をお持ちのようですね」

 篝火は軽く目を見張ってみせ、優美な笑みを浮かべた。

「ふふ、それほどでもあるよ。ついでに君がべらべら喋ってくれたおかげで、おおよその目的がわかっちゃった」

「お喋りしたい気分だったのですよ。それに、ええ、わかったところで止めようがありませんし」

「はっはー、見くびられたものだなあ、篝火……いや、初代様」

 篝火の目つきが険しくなる。

「そうですか。貴殿はあの一族抱えの――」

 途中で言葉を切り、物思いに耽るように目を閉じる。だが、すぐに開けると、またゆったりと笑った。

「昔話は次にいたしましょう。といっても、次があれば、ですが」

 舞を踊るように、手がくるりと返される。風が吹いたかと思えば、刃の形となって二人を襲う。初音が寸前に結界を張らなければ、風の刃で切り刻まれていただろう。

「えぇ……私、戦うの得意じゃないんだけど」

「嫌がってる場合か! 俺は紅葉を止めるから、お前はそいつを捕まえろ。聞きたいことが山ほどあるのだからな!」

 義平は愛刀を腰に佩き、紅葉に向かって行った。意識を取り戻したスズが紅葉との攻防を続けている。しかし、四本の柱が邪魔をしてか、思うように動けないでいた。

 拳を繰り出そうと構える紅葉に斬りかかる。義平の接近に気づいた紅葉がひらりと躱す。スズを庇うように立ち、「大丈夫か」と問う。

「……まあ、なんとか」

 そう答えるものの、声音は弱々しかった。無理やり剥ぎ取ろうとしたせいで、逆さの鱗が生える辺りはぼろぼろに傷つき、剥がれかけている鱗もある。

 紅葉から目を逸らさないまま、「お前だけでも神域に戻れないか?」と尋ねる。

「無理だな。あの者が張った結界が邪魔で、身動きがとれん」

 スズは自身を囲う四本の柱を眺めて嘆息した。

「そうか。ならば、紅葉を止めるしかないな」

 義平は柄をきつく握りしめた。話が通じないと分かりつつ、紅葉に話しかける。

「紅葉、お前の主人はこうして生きているぞ。その怒りの矛を収めよ!」

 紅葉の眼が忙しなく黄金と黒に明滅する。戸惑っている様子だったが、しだいに憤怒の表情に変わり――

「……ガウ、ヨシヒラ様、チガウ、ヨシヒラ様ハ、ヒトッ! マザリモノ、チガウ!」

 激昂した。

「思うんだが、あんたの声掛けはいつも逆効果だな」

「言うな、わかってる」

 刀を構え、突進してくる紅葉の腹に思いきり峰を叩き込む。紅葉は呻き声を上げて地に倒れた。

「俺の一撃をまともに受けて意識を失わないとは、さすがだな」

 唸りながら義平を睨みつける眼は黄金のままだった。けれど、眼光の鋭さは弱々しくなっている。切先を眼前に突きつけ、義平は淡々と告げた。

「お前が屋敷に来たばかりの頃、お前は俺に言ったな。『もし自分が鬼と成り果てて、ひとを襲ったときは即座に殺してほしい』と。俺はお前の主人としての責により手打ちにすると誓った。今がそのときと心得よ」

 太刀を振りかぶる。刃が紅葉に届く前に、紅葉は間合いに飛び込んできた。目にも止まらぬ速さだった。

「義平!」

 スズが叫ぶ。

「ぐぅっ……」

「……つっ!」

 義平は低く唸り、上体を屈める。紅葉の体も同時に崩れ落ちる。みぞおちに拳を入れられると同時に、手刀で紅葉のうなじを打ち、気絶させたのだった。

「あんた、わざと煽って攻撃させたのか?」

「……そんなところだ」

 義平はよろめきながらも着物を裂き、紅葉を後ろ手に縛った。

「本気で殺すのかと思った」

「あの約束は本当だ。ただ、まだ完全に鬼に成り果てたわけではないからな。ひとまず眠らせてみた」

 義平の推測どおり、篝火は術の『一部』を解いたと言っていた。その証拠に、髪は黒のままで、眼の色も黒に戻る瞬間があった。鬼の力を封じるための術の効力が残っているはずだと考え、それに賭けたのだ。

「目を覚ます前に、あやつがかけた呪を解かねばならん」

 憎悪を掻き立てる呪がかかっているかぎり、ふたたび紅葉が攻撃をしてくる可能性がある。

 義平が目を向けると、二人の術者は一歩も動かずに向かい合っていた。

 篝火はゆったりと笑みを浮かべている。面紙で隠れて見えないが、初音もまた笑っている気配がする。けれど、二人の間には他者の介入を許さない緊迫した空気が流れていた。

「おや、鬼の子は敗れてしまいましたか」

「まあ、義平が相手だからね。半端な妖しの者では敵わないよ。しかも、なんか面白い状態になっているし」

「妖し退治で名を馳せた方が、龍神とはいえ、妖しの眷族に成り果てるとは。実に面白いですねえ」

 一見すると、和やかな会話が続く。けれど、実際は術者による探り合いが行われている。どんな術をどう仕掛けてくるか。初手の読み違いは生死の分かれ目でもある。

 本来、術者同士が対面で対決するなどあってはならない。なぜなら、命を賭けた高度な駆け引きが免れないからだ。武芸の立会と似て非なる次元なのだと、かつて初音が語ったことを思い出し、義平は固唾を飲んで見守った。

 動いたのは篝火だった。手が上がると同時に突風が巻き起こる。踏ん張っていないと吹き飛ばされかねないほどの強風だった。沼の水面がざあざあと波立つ。

 篝火の手が下げられる。と同時に、真上から火の刃がいくつも振り落ちてきた。風に煽られ、火の勢いも増す。

「風はこのためか!」

「ちょっと借りますよッ!」

 初音が叫ぶと同時に沼の水が半球状に初音を覆う。火の刃は半球状の水に呑まれて消えた。その隙に、篝火は次の術を発動させていた。

 スズを囲っていた柱がまばゆく光る。

「なっ……スズ!」

 四本の柱は角型の箱状となり、内部のスズを呑み込んでいく。

「どうなっている!」

「封印の一種だ。すまん、持ちこたえられな」

 みなまで言い終わらないうちに、龍の体躯が箱に吸い込まれてしまった。箱は徐々に圧縮し、手のひらに乗るほどの大きさになる。そうして、篝火の手中に収まってしまった。

「初めからそれが狙いだったわけか。やってくれるね」

 忌々しげに初音が呟く。

「ええ。貴殿と同じく、戦いは得意ではありませんので」

 臨戦態勢を取りつつも、篝火の目的はスズの封印だったのだ。初手を躱せたものの、初音はまんまと策に嵌ってしまった。

「スズをどうするつもりだ」

「いずれ、そのうち」

 篝火は優雅に一礼し、風とともに消えてしまった。

 主を失った沼は、ざぁざぁと波しぶきを立てるばかりであった。



「義平様!」

 快活な声とともに現れたのは元次だった。友保と武装した者たちだけでなく、なぜか下女らしき娘もいる。

 義平の家臣たちの姿が見当たらないのが気になった。先日のスズの一撃で傷を負い、同行できなかったのかもしれない。

「やはり生きておいででしたか! しかし、これはまた面妖な姿をしていらっしゃいますな」

 黒髪黒目だった人間が、深紅の髪に銀の目をしていれば、驚くのも無理はない。

「元次か。俺の説明は後だ。なぜ友保殿を連れて来た」

「私の指示さ。互いに戦力を分散させない方がいい状況だったからね」

 初音はこっそりと義平に耳打ちし、紅葉の手当てをすると言って姿を消した。

「おお、義平殿、無事でいらっしゃったか! それで、龍神は――」

「あ、あの、龍神様はどうなったんです?」

 元次の背後から飛び出すように顔をのぞかせた娘が、主人である友保を遮って義平に尋ねた。ぎょっとする義平に、元次が説明する。

「この娘、よしのと申すのですが、偶然にも贄を差し出している集落の出でしてな。抜け道の案内を頼んだのです」

「そうだったか。龍神は術者によって攫われてしまったところだ」

「そ、そんな……」

 肩を落とすよしのとは対照的に、友保は「おお、ついに」と喜びの声を上げた。

「さすが源義平殿。龍神に襲われたと見せかけて、機を窺っていらしたのですな。元次殿に今から退治に向かうので同行願うと言われたときは半信半疑でしたが、いや、実に見事な作戦でした。ようやくこれで悲願が達成できるというもの」

 友保がにやりと頬を歪める。従者たちが刀を抜き、義平と元次を取り囲んだ。易々とやられるつもりはないが、やはり二人だけでは分が悪い。

「どういうつもりだ、友保殿」

 義平は柄に手をかけた。

「貴殿の訴えどおり、退治とはいかないまでも、龍神の脅威は去ったとみていいだろう。ならば、貴殿は朝廷の指示に従い、帰国すべきだ。俺たちを殺してどうしようというのだ」

「ふん。誰が都になぞ帰るものか」

 吐き捨てた友保の顔は醜悪に歪んでいた。

「名門一族とはいえ、所詮傍流よ。都に戻ったところで出世は望めぬ。ならば着任した地で財力を蓄え、領土を支配した方が利口というもの」

「それが本音か」

 討伐前夜に、領民のため、ひいては帝のためとのたまっていたのは嘘だったらしい。信じてはいなかったが、いざ本心が晒されると、さらに興ざめした。肝心の龍神の話を詳しく語らなかったのも、企みが露見することを恐れたのかもしれない。

「そのためにはこの沼が必要でなあ。邪魔な龍神がいなくなったのなら、貴様らには用はない。ここで消えるがいい」

 一斉に従者たちが襲いかかる。

「今だッ! 挟み撃ちにしろ!」

 元次が叫ぶ。すると、友保たちの背後から複数の矢が飛来し、次々と従者たちを倒していく。

「な、なにぃっ……!?」

 呆気にとられる友保を、元次が生け捕りにする。これには義平も驚いた。

「はは、上手くいきましたな」

 背後の森から出てきたのは、負傷した義平の家臣たちだった。

「友保殿がいずれ俺たちを殺しに来るだろうと、初音殿が申したとおりになった」

「なぜ元次しかいないのかと思ったが、ほかの者たちは秘密裏に尾行していたのか」

「はい。負傷者は屋敷に残し、俺だけと見せかけて出発させたのです。その方が少数と侮り、油断するでしょうからな」

 負傷者とはいえ、動けないほどの重傷者がいなかったことが幸いした。正面切っての戦いではなく、背後からの不意打ちであれば、有利に働ける。

「うう……おのれ、おのれぇッ! せっかく忌々しい龍神を追いやったというのに……えぇい、篝火はおらぬか! さっさと儂を助けよ」

 後ろ手に縛られてもなお暴れて喚く友保に、義平はやれやれと肩を竦めてみせた。

「貴殿の企みなど知ったことではない。だが、貴殿は篝火に利用されたにすぎん」

「なん……だと……」

「ここの龍神は、沼に成った錫石なら勝手に使えと言っていたぞ。現に、大昔は大勢の人間が採掘に訪れていたらしい。錫石が目的なら、わざわざ退治する必要はなかった。贄も実際は要求していないそうだ。むしろ、龍神がいなくなったことで、逆に資源が枯渇する可能性がある」

 錫石を司る神が不在となったのだ。今までのように、錫石が豊富に成るとは思えない。

 というのも、スズの眷族である義平には、スズとこの沼の縁が切れたような感覚を覚えたからだ。仮にスズが戻ってきたところで、元に戻るという保証はない。

あくまでも義平の主観で言ったのだが、友保は衝撃を受けたようだった。

「な……だ、だが、篝火は資源を採掘しようにも龍神が邪魔をする、だから排除せねばならんと……」

「だから、それが嘘だって言ってるの」

 どこからともなく初音が現われた。

「紅葉の手当ては終わったよ。篝火にかけられた呪の結び目を断ち切ったし、術もかけ直したし、念のため結界を張って寝かせておいたけど、もうじき目を覚ますでしょ」

「そうか。礼を言う」

 突然現れた初音に友保は慄き、唾を飛ばして怒鳴った。

「貴様、何者だ! 篝火の手の者か!」

「ひとくくりにされたくないけど。まあ、同類かな」

 嫌そうに答える初音に、義平が疑問を投げかける。

「篝火が友保殿を言葉巧みに利用したのはわかったが、どうしてスズを連れ去ったのだ? 篝火の目的は何だ?」

「つまりだね、篝火は龍神が欲しかったのさ。で、自力ではどうにもならないから、他人に退治させて、弱ったところを捕獲しようっていう魂胆だったわけ。実際そのとおりになったでしょ」

「そんな……あやつは儂に協力すると……第二の新皇にと……」

「いい夢見させてもらったね」

 初音にとどめを刺された友保はがくりと項垂れた。

「儂、儂は……これからどうしたら……」

「大人しく帰国されよ」

「そうそう。無事に龍神を追いやり、務めを全うしましたって、胸張ってさ」

 初音はぐいと身を乗り出し、圧倒するように友保に顔を近づける。

「もし、未練たらしく残り続けるなら、謀反の疑いありと密告するよ。今度は都の大軍が押し寄せるかもね。それとも東に駐在している軍を差し向けた方が早いかな」

「ひっ……そればかりは許してくれっ」

「じゃあ言うこと聞こうね。乱を起こそうとしたことは黙っていてあげるから」

 友保は顔面蒼白だった。喋る気力すら奪われたようで、悄然としている。一気に老け込んだ感のある友保を横目に、義平は呆れた。

「お前は相変わらず流暢にひとを脅すのだな」

「ふふ、もって褒めてくれていいんだよ」

 初音はツンと顔を上げてみせた。表情は隠れて見えないが、絶対に鼻を高くしている。長年の付き合いでわかってしまう義平だった。

「まったく褒めてないんだが。しかし、良かったのか? 人前に姿を現すことを厭うお前が友保殿の前に出てきて」

「本当は良くないけど、どうせ私の正体には辿りつけないだろうしね。それより八つ当たりしたくて」

「八つ当たりで脅迫するヤツがいるか!」

 篝火にしてやられたことがよほど業腹のようだ。術者としての矜持が許さないのだろう。

「さて、これからいかがいたしますか」

 元次が尋ねた。

「ひとまず、友保殿を屋敷に連れて行ってくれ。この期に及んで何か企むとは思えんが、見張りを怠るなよ。それから、連れて来た兵たちは充分に休ませてやれ」

「義平様は一緒ではないのですか」

「俺にはまだやらねばならんことがある」

 篝火に攫われたスズを取り戻さなければならない。

「篝火を野放しにはできないからね」

 初音も義平に同行する意思を見せた。

「では、俺は先に戻るとしましょう。どうか御武運を」

 元次は一礼し、友保を連れて山を下ろうとする。

「あの……!」

 元次の後をついて行くよしのが振り向き、義平に駆け寄った。

「どうか龍神様を助けてください。あたしの命の恩人なんです」

「ああ、もちろん。俺の命の恩人でもあるからな」

 よしのはぺこりと頭を下げ、急いで元次の元へ向かって行った。

「さて、そろそろ事情を話してくれないかなあ」

 二人きりになると、初音はおもむろに口を開いた。

「……お前は気づいているとは思ったがな」

 嘆息混じりに答える。

「君が混ざり者になっていることくらいはね。そうなった経緯を知りたいのさ」

「話すさ。だがその前に紅葉を――」

「ああ、紅葉というのかい、この子は。なかなか風流な名だ」

 いつの間にか、紅葉を抱きかかえたクロガネが二人の前に立っていた。



「クロガネ!」

 近寄ろうとする義平の裾を、初音がとっさに掴む。

「ちょっと! あれが何かわかっているのかい?」

 尋常ではないほど声が震えている。裾を掴む手も弱々しい。

「何って、龍神だろう。スズの名付け親のような関係らしい」

「……軽く言うね、君。私、狭間に立つ者だけど、本物の神とこうして真っ向から会ったことはないんだよ。意識、持っていかれそう……」

 いわく、先ほどは篝火に意識を集中させていたので、スズの存在は「ああ、いるな」という程度に留めていたらしい。そうやって存在を認識するだけならたまにあることだけれど、今のように面と向かって相対するのは初めてだそうだ。

 初音はずるずるとその場に崩れ落ちた。義平は、クロガネと初めて会ったときの緊張状態を思い出し、初音も中てられているのだと察した。生粋の『ひと』であるだけに、混ざり者の義平よりも耐性がないのかもしれない。

 かくいう義平も、クロガネに圧倒されている。クロガネは口元に笑みこそ浮かべてはいるものの、目がまったく笑っていない。激怒しているのは火を見るより明らかだった。

「クロガネ、紅葉を返してくれないか。俺の従者なのだ」

 震えそうになる声を堪え、紅葉の返却を求める。クロガネは少しだけ怒気を緩めた。

「鬼の子が、君の? うん、実に興味深い。が、今はそれどころではないな」

「スズの件だろう?」

「もちろんだ」とクロガネは頷いた。

「そのためにわざわざ抜け出てきたんだ。君、手を貸しなさい」

「むろん応じるが、紅葉と、ここにいる初音も加えたい」

「ふうん」

 クロガネはじろじろと初音を眺め回し、「構わないよ」と言った。

「ちょっと気になる匂いがするが、あれではなさそうだからな」

 クロガネは紅葉を義平に返した。小柄な体を受け取った拍子に、紅葉が目を覚ました。

「……義平、様?」

「気がついたか?」

「え……えぇっ!? なんで義平様が混ざり者になってるんです!?」

 紅葉は瞬時に義平の変化をかぎとった。

「それはだな――」

 一番説明したくなかった相手に、義平はかくかくしかじかと語り始めた。義平の腕から降りた紅葉は神妙な顔つきで聞いていたが、しだいに呆れた表情に変わっていった。

「つまり、義平様を襲った龍神に助けられ、その代償として混ざり者かつ眷族になってしまったと。そして、その龍神は篝火に攫われてしまった」

「そのとおりだ。俺がこうして存在しているということは、スズはまだ生きているはずだ。だが、スズを取り戻さないことには、俺の命も危うい」

「言いたいことがありすぎて、逆に何と言ったらいいかわからないんですが」

 紅葉の顔には呆れと困惑が入り混じっている。

「まあ、ここは『生きてて良かった』じゃないかな。色々複雑だけどね」

 ぐったりとしていた初音が口を挟む。さきほどまで魂が抜けたようになっていたが、気づけば復活していた。

「大丈夫なのか」

「うん。あの方が気を利かせて次元をずらしてくれたみたい」

「どういう意味だ」

 クロガネは離れたところに立って、義平たちの話し合いが終わるのを待っている。

「同じ場所にはいるけれど、存在する空間の位置が違うのさ。鏡の中の像と相対している感じかな。だから、視認できても気配は感じないだろう?」

「理屈はわからんが、たしかに気配は感じないな」

「なんたって、私の結界を解いて紅葉を運び出すほどの妖力……いや、神力だ。こちらが干渉できる相手ではないよ。向こうに譲歩してもらうしかない」

 紅葉への説明が終わると、今度は初音がこれまでの経緯を説明してくれた。

「……やはり、友保殿と篝火が仕組んだことだったか」

 裏がありそうだとは薄々感じていた。友保に刃を向けられ、確信したが、改めて聞かされると呆れるほかなかった。

「話は終わったか?」

 クロガネが尋ねてきた。

「ああ。初音たちからも話を聞いた。これまでの話を合わせると、篝火が一連の黒幕で間違いないようだ。謎の術者もあやつだろう」

「そうだな。私の湖を訪れたのもあやつだ」

「だが、目的がわからん。何のためにスズを攫った? 己の力とするためか?」

 篝火は、スズやクロガネに力を貸してほしいと言って訪れたのだ。何らかの理由で力を欲していることは理解できる。

「そういえば、初音は篝火を知っているようだったが」

「面識があったわけじゃないけどね。存在自体が伝説だと思っていたから」

 初音は今でも信じられない様子で首を捻った。

「何者だ、あやつは」

「帝お抱えの術者がいるっていうのは知ってるよね。ふだんは個別に活動しているけど、私たちをとりまとめる筆頭がいるんだ。『篝火』っていうのは、初代筆頭だった者の通り名だよ」

 術者は本当の名を明かさない。言霊によって縛られる可能性があるからだ。最悪、呪殺される場合もある。『初音』という名も通り名である。

「帝お抱えの術者は一人ではなかったんですね」

 初めて知ったと紅葉が呟けば、「あまり口外することじゃないからね」と初音が返した。

「あいつは本当に帝の術者だったのか?」

 義平の問いに、神妙に頷く。

「否定どころか隠しもしなかったから、ほぼ間違いないと思う。だけど、本物の篝火なら、とうに死んでいるはずなんだよねえ……なにせ、数百年前の人物だから」

「なんだと?」

「そもそも実在するかどうか疑わしいんだよ、初代様は。初代の帝の頃より付き従っているとか、とある神の化身だとか言われていて、とにかく術者の中では最強の部類だった。まあ、術者の集団を統率していたのは間違いなさそうだけど、複数の人間の伝承を複合した存在という認識だったのさ」

「初代ということは、どこかで代替わりしたのか?」

 初音は重々しく首肯した。

「そう。初代様は謀反を起こして、別の術者に呪殺されたらしい。で、謀反人となった初代様を呪殺した術者が二代目となった。それ以降、『篝火』という通り名は、謀反人の名となり、使われていない」

「帝に仇なす者となったわけか。しかし、なぜ謀反など」

「簡単さ。私と同じだからだ」

 クロガネが話に割り込んできた。

「クロガネと同じ?」

「ああ、そうだとも。私の仇敵とあやつの仇敵は一致している。アマツの神の子孫など、憎悪してしかるべきだろう」

「まさか、本当に神だと? しかも、仇敵ということは、クニツの?」

「ここからは、私が直接あやつから聞いた話だが」

 クロガネは前置きし、篝火の正体について語り始めた。

「私の湖には彼の神が封じられている。私に会いに来た者――篝火はこう告げた。『あのときの無念を晴らしましょう』と。あのときの無念とはいつか。アマツ神が天から降り、クニツ神から地上の統治を奪ったときだ。あのとき、統治を譲り渡した者、恭順の意を示すために自ら隠れた者、そして、抵抗して戦いを挑んだ者がいた。篝火は恭順の証として隠れた神の一柱に連なる者だ」

 義平は息を飲んだ。初音は「天孫降臨だね」と呟き、紅葉は目を丸くしている。

「初めて知りました」

「この国の神話は複雑に語り継がれている。巧妙に隠されている部分もあるからね。僭越ながら、補足をしても?」

 初音がクロガネに伺いを立てる。クロガネは鷹揚に頷いた。

「今に連なる帝の始まりは神武(じんむ)帝といわれている。神武帝はアマツ神の血筋だ。でも、初めからアマツ神が治めていたわけじゃない。クニツ神の大国主神が統治していたんだよ。ところが、地上の豊かさに目をつけた天照大御神が、自分たちが統治すべきだと言い、使者を遣わせて大国主神に国譲りを迫った。大国主神はアマツ神の使者へ、息子神の事代主(コトシロヌシ)(ノカミ)に尋ねるように言った。事代主神は国譲りを宣言し、たちまち隠れてしまったのさ」

「では、篝火は事代主神の縁者か?」

「そういうことになるね。息子神と考えるのが妥当かな」

 クロガネが続きを話し始める。

「父神を失った篝火は恭順の意を示すためにアマツにくだり、臣下として付き従った。アマツ神の子孫はやがて帝と称し、ひとと混ざるようになり、時代が下るにつれ、ほとんどひとと変わらぬ存在となった。一方の篝火はひとと交わろうとせず、神のまま存在を保った。歴代の帝には、『ひと』のフリをして巧妙に接していたそうだ。だがあるとき、大陸の僧に正体を見破られ、遠ざけられようとした」

「それで謀反を?」

 義平の問いに、クロガネが頷く。

「そうだ。けれど、あと一歩のところで及ばず、姿をくらませた」

「こちら側では呪殺されたことになっているが、実際は逃げられたんだろうね。ともかく、初代様が宮中から姿を消したことと辻褄は合う」

「臣下として付き従うフリをして、機を窺っていたのか」

「なんとなく、わかります」

 黙って聞いていた紅葉が口を開いた。

「篝火に操られていたとき、激しい憎悪を感じました。自分にとって大切な存在を奪った者が許せないという憎悪です。だから、余計にぼくの憎悪と篝火の呪が同調したんだと思います。それで、思ったんですが……」

「なんだ?」

 躊躇う紅葉を義平が促す。

「帝おひとりを殺して済む話ではないと思うんです。それならとっくに実行していたでしょうし。力を欲してまでやろうとするなら、もっと大がかりなことではないかなと」

「たとえば?」

「たとえば、アマツからの統治の奪還」

 初音が静かに呟く。

「ほぼ正解だろう」

 クロガネが言った。

「私に告げたのはまさにそうだ。自分と力を合わせ、この地上からアマツを排除し、クニツの復権を図ると。そのために、クニツの神々に働きかけているのだと言っていた」

「そんなことが実際に可能なのか?」

「アマツの神は本来天上にいる。国土統治のため、地上にいるのはわずかだ。数でいえば、クニツが勝る。だが、すでに恭順している者や封じられている者もいる。彼の神もそのうちの一柱だ。反旗を翻すのは容易ではないさ」

「たしか、断ったと聞いたが」

「ああ、そうさ。抵抗して戦ったものの、彼の神は無惨に敗れたのだからね。二度と戦いは御免だと隠居を決め込んでいる。何より、我が父神を犠牲にして封じたのだ。彼の神の封を解くなど、番人たる私が許さない」

 クロガネの両の目が憤怒で燃え上がった。まるで自分が仇敵であるかのように睨まれ、魂まで竦み上がる。クロガネの怒りはすぐに収まらなかった。

「だが、よりにもよって私に揺さぶりをかけてきた。スズを使ってね」

「篝火はスズを利用し、クロガネに封印を解かせようというのか?」

 クロガネは忌々しそうに頷いた。

「あやつは私とスズの関係をなぜだか知っていた。スズに何かあれば、私が動かざるを得ないこともな」

「念のための確認ですが」

 初音がかしこまった様子でクロガネに尋ねる。

「彼の神とは、諏訪の湖に眠る建御名方(タケミナカタ)(ノカミ)でしょうか?」

「そうだね」

「すると貴方様は古き大神を父神とする……!」

 クロガネがおもむろに首を振ったので、初音は慌てて口を噤んだ。

「昔の名を知る者がいるとはね」

 初音は興奮したり恐れ戦いたりと忙しなかった。高名な神であるらしい。「建御名方神とはどんな神なのだ?」と反応が薄い義平に、「さっきの話に出てきた戦いを挑んで破れた神だよ!」と力説された。

「建御名方神は大国主神の息子神で、軍神のいわれがある御方だ。国譲りの際に抵抗した神が復活したとなれば、アマツ神に与える衝撃はかなり大きい。篝火はそれを狙っているんだろう」

「だが、その神は、クロガネの父神によって封じられているのだろう? そう易々と封を解けるものなのか?」

 義平の疑問に、「付け入る隙があるのさ」とクロガネが言った。

「祟り神と化した神による封印は、数年に一度弱まるのだよ。だから、儀式によって封じ直す必要がある」

「だから今年なのか!」

 初音があっと気づいたように声を上げた。

「やけに数年がかりの仕掛けだなあとは思っていたけど、そういうことか!」

「どういうことだ?」

 初音は合点がいったようだが、義平にはさっぱりわからなかった。

「諏訪には七年に一度、祭が執り行われる。要は結界の張り直しだ」

「祭にそんな意味があるのですか?」と紅葉が首を傾げる。義平も初耳だった。

「すくなくとも、諏訪の祭にはね。ほとんどの人は知らないだろうけど。でも、諏訪の祭――御柱祭は桓武帝の頃より始まったとされる。神代からこれまでは張り直しが必要なかったのか、あるいは」

 初音の思考を先取りするように、「結界の強化のためさ」とクロガネが言った。

「数百年も経てば結界は弱まる。そこで、あやつらは在地の人間を使うことを思いついた。山から木を伐り出し、里に運び、社の四隅に建立させるという方法だ。そのために、大勢のひとが祭のために駆り出されるようになった。とはいえ、真相を知る者はごく一部だ。極端な話、方法や形式が守られていれば、本質を知らなくても、結界は張り直される」

「人々は知らずのうちに結界の張り直しをさせられているのか?」

 義平の疑問にクロガネが頷いた。

「そうだ。『神をまつる』ことは、ひとにとっては信仰の表れだ。ひとは、祭をないがしろにできない」

「うまくできた仕組みだな」と義平は感心してしまった。

「ああ、まったくだ。そのせいで、私は祟り神と化した父神を封じ直さねばならない」

 憎々しげにクロガネが吐き捨てる。

「では、クロガネも祭に参加するのか?」

「当然だ。もちろん、ひととは別の役割を担うのだがね」

「この時期を狙ったということは、篝火は祭の意味を知っていたわけか」

 思案する義平に、「帝の術者だったんだ。知らないわけがない」とクロガネが返す。

「なぜそう言い切れるのですか?」

「本人の考えはともあれ、アマツに下ったんだ。同族である建御名方神の末路を追おうと思えばできる立場にいたんだよ」

 紅葉の問いに答える初音の声は冷静だった。話に参加しつつも、考えを巡らせているのだろう。いつものふざけた様子は感じられない。

「じゃあ、結界が弱まることも当然知っているわけですね」

「ああ、そうだ。祭の最中は、一時的に結界が弱まる。そこを狙い、篝火は弱まった結界を解くつもりだ」

 苦み潰した表情でクロガネが答える。

「弱まっているとはいえ、結界を解くことなどできるのか?」

「私と同種である龍神の力を用いれば」

「だからスズを攫ったのか!」

 クロガネは嫌そうに頷いた。

「私たちに力を貸せと言ってきたのも、彼の神を地上に戻すのが目的だろう。だが、私たちは断った。スズを狙ったのは、見張りである私に揺さぶりをかける意図があったに違いない」

「スズを人質にして、お前に結界を解かせるように仕向けるというわけか」

「そんなところだろう」と険しい表情で頷く。

「スズと私の力を合わせれば、弱まっている結界など、簡単に吹き飛ぶ。とくに私は結界を熟知している。彼の神に謀反の意思はなくとも、結界が破られただけでアマツは謀反ありと攻め込んでくるだろうね。そうなったら、彼の神は戦わなくてはならない」

「その場で恭順しても駄目なのか?」

「問答無用さ、あれは。彼の湖より出ないことを条件に封じられるだけで済んだのだ。約束を違えたとあれば、今度こそ殺される。だったら、戦って生き延びるしかあるまい。神とて命は惜しいからなあ」

 クロガネは自嘲するように鼻で笑った。

「私だって、今さら戦など望まない。むしろ、結界なぞ解かれたら怒りすら湧く。我が父神を犠牲にして作り上げた結界を壊してなるものか。スズには悪いが、最悪消えてもらわねばならないね」

 クロガネの優先順位ははっきりしている。かわいがっていた同族を犠牲にしても守りたいのだ。言い方は悪いが、スズに人質としての価値はない。価値があるとしたら、スズだけでも結界を解けるほどの力があるかどうかだ。

「スズひとりで解けるのか?」

「綻びくらいはできるだろう。それでも問題だが」

「なんとしても、結界が解かれる前に篝火を止めなければならないわけだな」

 義平もまた優先順位は明らかだ。スズを取り戻さなければ、己の命が危うい。

「ですが、どうやって止めるのです?」

「篝火は、まさかクロガネと俺たちが組むとは思わないだろう。付け入る隙があるとすれば、気づく前に動いた方が賢明だ」

「この間にも、篝火は建御名方神の元へ向かっているのではないですか?」

 急いだ方がよいのではと焦る紅葉にクロガネは言った。

「私ならともかく、ひとの足では数日かかるだろうな」

「篝火は神ではないのか?」

 義平は首を傾げた。

「魂は神だとも。ただし、その能力を著しく劣化させ、神の名すら失い、哀れな存在に成り下がってしまったがね」

「以前言っていた名を持たない者というのは、神の名を失ったということか?」

「そんなことがありえるんですか?」

「これは私の仮説なんだけど」

 意味がわからないと怪訝な表情を浮かべる義平と紅葉に、初音がおもむろに口を開いた。

「長い間ひとに擬態し、神の素性を知られることなく過ごした結果、魂の格は神のままだけど、その在り方はかぎりなくひとに近くなってしまったのではないかな」

 存在を認知されなければ力は衰えるとスズが言っていた。篝火と名乗った神は、神としてのおのれを摩耗させ続け、それでもこの地上をアマツから奪還せんと野心を秘めていたのか。

 ひととして生きてきた義平には到底想像もつかない生き方だ。その心情を推し測ることすら憚られた。

「実際、対峙して感じたことだけどね。術者の能力は恐るべきものだけど、神とは感じなかった。その片鱗はわずかに感じたけれどね。本来の神であれば、私は立ち向かうことすらできない」

 現に、クロガネを前にして、初音は気を失いかけていた。

「侮りは禁物だが、やりようはあるということか」

「術を使って移動できたとしても、限度がある。それに、神を封じたんだ。相当疲弊しているはずだよ」

「ともかく、あやつを追うのが先決だろう。彼の神に接触する前に」

 クロガネが移動を促すと、初音が提案した。

「ここから諏訪に至る経路はいくつかあるけど、必ず通る峠がある。そこで待ち伏せするのはどうだろう」

「だが、今から先回りするのは難しいぞ」

「恐れながら古の大神に頭を下げるしかないね」

 一瞬だけクロガネを見やり、すぐに視線を外す。面紙の下で冷や汗をかいているのだろう。緊張が義平にも伝わってきた。

「私に連れて行けと。構わないが、少々手荒く行くぞ」

 クロガネはにっこりと笑った。三人に緊張が走った。




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