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モジ子  作者: 大原三日月
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ぼくのロボットのモジ子をよろしくお願いします

モジ子


大原 三日月  


 店のショーウインドウのわきで退くつそうにしていた箱型のロボットが、そこにそうしていたいはずがなかった。ぼくは学校の帰りに毎日店の前を通り、そのロボットにちらりと視線を投げた。売り物には見えないほどすみっこの方に追いやられ、気の毒なくらいだった。その店は他にもっと売りたいものがあるらしく、ショーウインドウの真ん中には昔のタイプライターや足ぶみミシンが並んでいた。古い機械ばかりをあつかう骨とう屋のような店だった。手回し式の洗たく機や厚みのあるテレビのブラウン管もおくの方に積まれていた。今さら使おうと思って買う人はいないだろうけれど、手元に置いてながめたい人もいるのかもしれない。ぼくは平成の終わりごろに生まれたから、そんな機械を見てもどうやって使うものだかさっぱりわからないのだけれど、おじいちゃんと父さんがこの店の前を通るたびになつかしがって説明するので、ぼくはなんとなく立ち止まってショーウインドウをながめるようになってしまった。

「タイプライターは想像ができるだろう。今で言うとパソコンのキーボードだ。あれで書類を作るだけの仕事をするタイピストという職業があったんだ」

「おくのは、初期の電気冷蔵庫かな。大きなうなり声をあげていたが、夏場はとびらを開けては顔をつっこみ、母さんに大目玉をくらったものさ」

 おじいちゃんはまさに現役で使っていた世代らしいし、父さんも使い方がわからない様子はない。なんだろうな、二人とも目を細めてすぐにでもタイムスリップしそうに身体からにじませるあのやわらかいふん囲気は。身体の細ぼうで本当に味わってきた人にはかなわないと、ぼくは情けないけれどすぐに降参してしまう。

 それなのに、ショーウインドウのすみっこのあいつだけはちがっていた。おじいちゃんも父さんもぼくに説明できずにいたから。

 四角い箱型の身体は金属製ですっかりさびていたけれど、なぜだか古いものには思えなかった。店の前を通るたびにぼくはそのロボットが気になって仕方が無かった。気づくとショーウインドウのガラスにへばりつくほどロボットの顔をのぞきこんでいた。

 そんな毎日がひと月ふた月と続くうちに、梅雨が明けて本格的な夏が始まりかけていた。今日もあいつをながめて帰ろうと店の前を通ったら姿が見えないじゃないか。場所を移されて店のおくにかくれてしまったのだとがっかりした。かといって店の中まで入る勇気はとてもなくて、仕方なく店をあとにした。足取りが重くなっていることに自分でも気づいた。家に着いてもやっぱりだれもいなくて、仕方なく自分の部屋に向かった。

 あの時のぼくは不意をつかれて、ただ身体が固まってしまったのを覚えている。ぼくに背を向けベッドにこしかけていたのは、まぎれもなくあいつだったから。

 げん関の方でした物音を急いで確かめに行った。父さんがそこにいた。ぼくはあわてて問いつめた。

「あのロボットはどうしたんだ」

「ああ。おじいちゃんがあの店で買い取ったのさ。お前の誕生日のお祝いにと言ってな。重くて一人で運べないから、父さんも持ち帰るのを手伝わされたんだ。お前がショーウインドウで目をはなせずにいたのを、おじいちゃんは気づいていたんだな」

「プレゼントか」

「そうらしい。何に役立つものかわからないが、そばに置いといてやれ」

 父さんはさっさと手洗いを済ませて、買ってきた野菜を冷蔵庫に放りこんだ。

 春にぼくは中学に上がったものの思っていたのとはちがった毎日で、これからどうなるのか先のことも見通せずにぼんやりと時間をやり過ごしていた。周りの世界がだんだんとすけて遠ざかっていくようだった。そのぼくの意識が、ほんの少し色づいて見えたのは気のせいだったか。

 部屋でぼくのベッドに座るこいつの顔をのぞきこんで、さらにおどろいた。なぜなら、ぼくはこいつの意志を感じたから。つまり、お前のところに来たかったと言っているような気がしたのだ。

「まさかね」

 ぼくは苦笑いをしながら机の上に放り投げていたカバンの中身を取り出した。中学一年のぼくの時間がどこにもひっかかりを持たずに指の間からさらさらとこぼれ落ちているように感じた。

 そうしているうちに、おじいちゃんがぼくの部屋にやって来た。

「おかえり」

 ぼくがそう言うと、おじいちゃんはにこりと笑った。

「誕生日のプレゼントだよ。そのロボットが気になっていたようだから。印刷もできると店の主人が言っていた」

 おじいちゃんはぼくがこいつを気に入ると知っていた。印刷できるって、コピー機の役目をするのだろうか。ぼくは素直にありがとうと言った。おじいちゃんは照れながら手を上げて、部屋を出ていった。

 印刷するならば、紙を入れる場所があるはずだ。そう思ってみれば、背中に開け閉めをするふたのようなものがついている。

「ここだな」

 ぼくはコピー用紙をこいつの背中にすべりこませた。下の方からコードがつながっているのでコンセントに差しこんだ。立たせておくのもどうかと思って、そばのいすに座らせてみた。じゅう電が終わるのにはしばらく時間がかかりそうだったので、ぼくは明日の支度をして早めに休んでしまった。

 昨日まで一人でねむっていたのに、今晩からこいつといっしょだなんてみょうな気分だ。印刷なんかしなくても、ただそこに座ってぼんやりながめていてくれるだけでもいいんじゃないかとぼくは思った。中一の男子というのは、そのくらいのものだ。そのうちに名前ぐらい付けてやろうと思いながらいつの間にかねむりこんでいた。

 朝は早い時間から部屋に日が差して、学校に出かける時間までね過ごすのが難しいほどだ。特にこのころは暑さで自然と目が覚めてしまう。一年前の今ごろのこともはっきりと思い出せないくらいで、ぼくはいったいどの時代を生きているのかと不安になる。窓のわきへ目をやると、やはりこいつがいる。昨日の夜にいた場所にじっと座っている。ぼくは少なくとも昨日と同じ場所にはもどってこられたようだ。

 学校の授業はちゃんと耳をかたむけているのにまるで心にひびかなかった。不自然に同じ空間におしこめられている先生や同級生は、ぼくには背景にしか見えない。この教室で何をしようとしているのか、すぐには思い出せない。黒板の文字を必死にノートに書き写すのはなぜだろう。時間ごとにちがう先生が教室にやってきては好きなことをしゃべって出ていくのはなぜだろう。いばっている先ぱいという生徒がそのまた先ぱいの生徒に頭を下げるのはなぜだろう。

 まっすぐ家に帰ると、こいつが待っていた。昨日背中から入れた紙が、ゆかに落ちている。拾って裏返したら文字が見えた。

「いいかげん自分にもどったらどうなのか」

 そう印刷された文字が目に飛びこんできた。ぼくはしばらく意味が分からなかった。いつでも自分ではいるつもりだったから。

 ぼくはこいつに『モジ子』という名前をつけた。おじいちゃんや父さんに比べれば、ぼくはたかだか十数年生きただけなのだが、どうやら今まで自分とは別のところにいたらしい。モジ子に言われるまでまったく気づかなかった。

 ぼくがぼくでなければ、代わりにだれかがぼくを装ったりするのだろうか。いいや、そうじゃないな。ぼくの中でだれかがぼくのふりをして乗っ取るようなイメージか。そんなことはまっぴらごめんだ。じょう談じゃない。ぼくはぼくでいることを生まれて初めてここで決めた。手始めにしたいことだけしてみることにした。とは言ってもぼくは何がしたいのかわからない。差し当ってしたくないことをしないようにすればいいだろうか。

 本当の気持ちでないことをすると、モジ子が紙に印刷して知らせる。ぼくはしたくないことをしてしまったのだとすぐに気がつくというわけだ。モジ子はずいぶんおもしろいやつだ。おじいちゃんと父さんがこのことに気付いていないというのもまたゆ快だった。

 今やってみたいことがある。母さんに会うこと。ぼくが生まれてしばらくは一しょに暮らしていたという母さんに、ぼくが生まれた時のことを聞いてみたい。おじいちゃんも父さんもそういうことは全然話してくれないから。それから、今日母さんがどんなことを感じて一日過ごしたのかも知りたい。それくらいいいだろう。知ったら今までのぼくの空白な時間がうまるとも思えないけれど、これからの時間を少しだけ楽しみにできる気がする。

 ぼくはおじいちゃんも父さんも大好きだ。今までふ通以上にやさしく包んでくれてとても感謝している。さりげなく気持ちを伝える方法があれば試してみようと思っているけれど、おたがい照れてしまいそうだからな。

 モジ子っていったい何者なのだろう。意外な楽しみができて、ぼくはにんまりしていた。


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