丑三つ時の怪異、足音は心音
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第一幕 丑三つ時の怪異、『アイスマニア耳なし芳一』
『眠る草木もない丑三つ時』
深夜二時ほどの、すっかり開発が進み発展しきった現代日本都会社会では、この言葉がふさわしい。もはや、丑三つ時などという言葉に恐怖を覚えることもない。なにせ、『草木も眠る丑三つ時』といえど、今俺が働いているコンビニエンスストアは、文明の利器のおかげでこんなにも明るい。そのため、丑三つ時の怪異など存在するわけもなく、恐るるに足らない。そんなもの、現代日本都会社会には存在しえないのだ。だから俺は、現在上司が見守る中、初めてレジ接客をしているこの状況のほうがよっぽど恐ろしいのである。
何事も、初めての経験というのはとても緊張するもので、それこそいつもなら意識すらしない心音がはっきりわかって、ああ、心臓というのは、本当に「とくんとくん」という擬音がお似合いだなって思ったりする。それはもちろん、俺が今まさにコンビニバイトで初めてレジ接客をするときにも当てはまる。ただ、通常時よりも早く急かすような俺の拍動とは裏腹に、客は存外来ない。なにせ、今の時間帯は『眠る草木もない丑三つ時』なのだから。近隣は住宅街で、ピーク時間はとっくに過ぎているのだ。ただ、やはり誰も来ないわけではない、現に今、俺が接客するお客様記念すべき第一号が、コンビニ特有の気の抜けるような入店音とともに来店した。
「いらっしゃいませ」
俺の放ったまだ慣れないこの言葉は、きっと彼女には聞こえていない。彼女はヘッドホンをしているのだ。そんな記念すべきお客様第一号は、迷うことなくアイスコーナーへ行き、アイスを二つ俺のもとに差し出す。
「袋お付けしますか?」
さんざんシミュレーションしたセリフ。すらすら出た。しかし、お客様第一号は、シミュレーションとは違う反応だった。
「……」
「あの、袋お付けしますか?」
「……」
完全なる無視。というか、彼女には俺の声が聞こえていない。そのヘッドホンを外せ。しかし今、俺は店員で彼女はお客様なので、そう言うわけにもいかない。いったん落ち着こう。そう思って視線を下に落としたとき、俺の目は彼女の手首に大きな傷の縫い跡を捉えてしまった。リスカ、とかいうやつ?さんざん勤務前にシミュレーションした接客マニュアルは、もはや頭の片隅にもない。
「ここは俺がやるよ」
上司が、見かねてか俺の代わりに彼女の接客をしてくれた。特に彼女に何を聞くでもなく、無言でお会計をする上司。顎に少し目立つ傷跡があり、そのせいか普段は強面な上司が今この瞬間のみメシアに見えた。彼女が去った後、メシアは、
「あの人、毎日この時間帯にアイスを二個買いに来るから何も聞かずにスプーン二個だけつけてあげればいいから。」
そう言うメシアの表情は、とても神妙であった。確かに俺も、彼女の手首の大きなリスカ痕には戸惑ったが、何回も彼女の接客をしている彼がそんなに神妙そうなのはなぜだろう。彼自身、顎に傷跡があるので、傷に関しては敏感なのだろうか。
なんにしても、あの女性もレジの時くらいヘッドホンを外せばいいのに。接客経験がない俺には、無視されることへのストレス耐性はない。毎日来るということだったので、俺はあの女を『アイスマニア耳なし芳一』と呼ぶことで鬱憤をを晴らし、いらだちを軽減することにした。現代日本都会社会にも丑三つ時の怪異が存在したとは驚きである。
第二幕 【二年前】 丑三つ時の怪異、『暗闇のナイフ男』
「とくん、とくん」
彼の心臓の音が好きだ。彼が私を抱きしめてくれているときに聞こえる音だから。彼が生きているのを実感できる音だから。だからあの夜も、私は彼の腕の中で、彼の心臓の一番近いところで、彼の心臓の音を聞いていた。
「ぐぅー」
彼は照れた顔で、
「コンビニに、アイスを買いに行かない?」
と言った。そうやって、彼の心臓の音は遮られた。彼の心臓の音を遮っていいのは、やはり彼から発される音だけだと思った。ムードは台無し。彼にはロマンチックなことなんてできないのを、付き合いが短くない私は知っている。おまけに、トロ臭くて、スポーツなんて全然できないことも知っている。それでも彼が好き。部屋に鍵をかける彼を見ながらそんなことを思う。
午前二時ともなると、住宅街であるこの辺りは、人通りはない。
「あ、スマホ部屋に忘れちゃった」
「大丈夫でしょ。近くだし。実は俺も持ってない」
「こういう冬の日にアイスを食べるのって、なんかいいよね」
「あら、今年の夏は、やっぱりアイスは夏に限るぜっていってたのに」
「細かいことはいいんだって」
そんなたわいのないやり取りをしながら夜道を歩く。
「そういえばこの時間帯って、『草木も眠る丑三つ時』っていうんでしょ」
という私。
「そうだよ、今に恐ろしいお化けが出てくるかもしれないよ」
そう言ってお化けのポーズをする彼。そういう茶目っ気があるところも愛おしい。
だけれど、そんな話をしていたせいか、本当に、恐ろしいものが現れてしまったのだ。暗闇の中の頼りない街灯に照らされて反射した、一筋の光。ナイフ?それを持った男が、私たちめがけて走ってくる。通り魔?彼より先に危険に気が付いた私は、彼の手を引いて逃げる。しかし、私たちの逃げ足は遅い。彼はスポーツが苦手。当然、足も遅い。
「手を放して!」
彼はそう叫ぶ。絶対放すものか。確かに私だけなら逃げ切れるかもしれないが、それに何の意味がある。
「絶対やだ!」
そう叫んだ。彼は、私のその叫び声とは裏腹に、小さな声で、
「ごめん」
そう呟いた。そして、力いっぱい私の手を振り切った。彼は通り魔に向かい合うようにして立ち止まる。私のために犠牲になろうとしていた。もう一度手を引っ張ろうとしたが、もう遅かった。通り魔は、彼の膝の上のあたりを刺したのだ。流れる赤い液体が、街頭に照らされる。通り魔は、それを見て今更自分のやったことを恐ろしく思ったのか、私に見向きもしないで逃げ出した。
ああ、血が、血が流れてる。彼から、彼から血が、血がたくさん流れている!早く止血しないと。彼の傷口を慌てて手で押さえたが、隙間から血があふれ出す。救急車も早く呼ばないと。急いでスマホを取り出そうとして気づく。スマホがない!彼の部屋に置いてきてしまっている。その時の私は、もう半狂乱だったかと思う。地面が崩れていくような感覚。それでも、彼を助けようと必死だったことだけは覚えている。
とにかくどこかで電話を借りて、救急車を呼ぼう。ああ、でも彼を置いていけない。こうやって考えている間にも、私の指の隙間から、彼の血がじわじわと流れている。それは、彼の命がじわじわと消耗されているということなのだ。今、救急車を呼びに行くために彼の傷を抑えているこの手を放してしまったら……。考えただけで、私も全身の血が抜かれたようだった。でも、ずっとこうしていても、彼の命は私の指の隙間からこぼれ続けてしまうのだ。ああ、やっぱり救急車を呼びに行かないと!どうか、どうかお願い。救急車が来るまで頑張って。ごめんなさい。あなたを置き去りにして救急車を呼びに行きます。ごめんなさい。本当にごめんなさい。怒ってもいいから。どうか助かって。助かった後で、どうか私にたくさん怒って。
明かりがついている部屋を探そう。寝ている住人を起こすのに、どれだけ時間がかかるかわからない。明かりのついた、アパート一階の部屋が目に留まる。あそこに電話を借りに行こう。それで、すぐ戻ってくるからね。その部屋めがけて、全速力で向かう。走って、荒くなる息が白くなる。そう、息が白いのだ。息が、白い……。ああ、なんてこと!今は冬の夜じゃない!こんな寒いときに、救急車が来るまでずっと彼を外に置いておくの?血がたくさん流れると、人は寒気を感じるのだ。そんな彼を、この寒さの中に放置なんてできない!あんなに血が流れている彼を、どこか室内に動かさないといけないの?ああ、どうして。ひどいじゃない!彼を助けたいだけなのに!こんな仕打ち!この状況が好転するためなら、私はどんなことをしても構わなかった。でも、私ができるのは、血を流している彼を放って救急車を呼んで、そしてそんな彼を動かすこと。本当にごめんなさい。でも、あなたを助けたいの。あなたを助けたいから。ごめんなさい。あなたにひどいことをします。
私はその部屋に住んでいた家主に助けを求め、彼をその部屋に運ぶのを手伝ってもらった。私は彼の血ができるだけ流れないように手で抑えるのに必死だったので、家主に救急車を呼んでもらった。家主は、救急隊員が私と話せるよう、スマホをスピーカーにしていたようで、救急隊員の声が聞こえてくる。彼の状態を教えてほしいらしい。そこで家主が、彼の心臓が動いているかを確認した。どうかお願いします。お願いしますお願いしますお願いしますお願いします。まだ心臓は、動いているよね?動いていると言って!
「動いているよ」
家主はそう言った。その言葉を聞いて、私がどんなに嬉しかったか。彼はまだ生きている。彼はまだ助かるんだ。本当は自分でも確認したかったけれど、そのために止血しているこの手がズレたらと思うと、怖くてできなかった。ただ、彼はまだ生きているんだ、彼はまだ助かるんだと、そのことだけが頭を埋め尽くした。
そして、救急隊員から
「輸血をするので、彼の血液型は?」
と聞かれた。彼はA型だ。そして、私は気づく。あ、私もA型だ。そうだ、私もA型なんだ。彼の傷口の大きさ自体は、ナイフで刺されたこともあって、片手で抑えられる程度。それを確認して、あたりを見渡す。そして、何かの缶詰の蓋を見つけた。ああ、神様ありがとうございます。私は彼にあんなにもひどいことをしたのに、まだ見捨てていなかったのですね。私は片手で彼の傷口を抑えつつ、もう片方の手で、缶の蓋を手に取り、傷を抑えている方の手首を切る。私の血が、手首を伝って彼の傷口のほうに流れていく。彼はまだ助かる。彼を助けるんだ。
どのくらいたっただろうか。本当に長い時間がたったような気がする。待ちわびた救急車が来た。救急隊員は彼の止血をしてくれた。そして私は、やっと自分で彼の心臓を確認できた。ああ、どうか、お願いします。彼は生きているんだ。彼は生きているんだ。彼は生きている。彼は生きている。彼は助かるんだ。彼は助かるんだ。助かるに決まってる。
「……とくん、とくん」
ああ、よかった。動いている。そこで私の意識は途切れた。
第三幕 【二年前】 丑三つ時の怪異、『鬼のような女』
あの夜、俺はテキトーにテレビを見ながら酒を飲み、缶詰の焼き鳥を食べていた。独身中年男性会社員の夜などそんなものだ。そんな時、
「スマホがないじゃないのぉーーーーーーーーー!!!!!!」
と、女性の、寒気を裂くような狂った叫び声が聞こえてきた。やだやだ。最近、ネット依存症という言葉もあるが、あそこまでいくともう末期だな。せっかくの晩酌の気分が濁され、気を取り直そうと面白い番組を探す。
その後すぐ、
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
と、窓の外から、地獄の罰を受けているような叫び声が聞こえてくる。その声を聞いた俺は、恐ろしくてただその場にとどまっていた。ああ、そして、その叫び声は俺の部屋へと近づいてくるではないか。俺は、少しの音を立てるのも恐ろしかった。見つかったらやばい。直感的にそう思った。俺が聞こえるのは、だんだん大きくなる彼女の叫び声。それと場違いに陽気なテレビ番組の音声。それを遮るように、窓が、バンッバン!バンッバン!と割れんばかりに勢いよく叩かれた。驚いた俺が気圧されてカーテンを開けると、鬼のような形相の女性が、血がべったりの手で窓を叩いていた。窓を開けるしかない。窓を開けなければきっと、俺が殺される。
「お願い!彼を助けて!早く!このままじゃ死んじゃう!」
彼女はそう叫んだ。どうやら彼女は俺と同じ人間のようだった。それだけで、俺がどんなに安心したことか。
「落ち着いてください。どうしたんですか」
「彼が、刺されて!救急車呼ばないと・・・止血も!」
要領を得ない彼女の言葉から、何とか状況を把握し、彼女と二人で彼をこの部屋に運んだ。俺が彼の頭のほうを、彼女が彼の脚のほうを持って。その間も、彼の膝上あたりから、とめどなく血が流れている。それを見て彼女が、もう聞き取れないくらいの、声にならないような声で彼に泣き叫ぶ。
「ああ、ごめんなさい。私が動かしたりしたから。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」そんな彼女を見ても、俺ができることは本当にわずかだった。俺は部屋に着くとすぐ救急車を呼んだ。俺もこの、さっきまでの日常とはかけ離れた状況に混乱していることを、電話番号を入力する震える俺の指が教えてくれた。スマホはスピーカーにした。この緊迫した状況に俺一人で電話で救急隊員に対応することが、到底心細く、土台無理なことに思われたのだ。なんと臆病なことか。俺が救急隊員に住所などを話した後、救急隊員が彼の状況を聞いてきたので、俺は彼の心臓が動いているかを確認した。
「……」
ああ、まさか。
「……」
俺は青ざめた。心臓は、動いていない。なにも、聞こえないのだ。そして恐る恐ると、錆びついたような首を動かして彼女のほうを見る。心音を確認した俺に、彼女は胸がはり裂けそうなくらい痛々しい表情である一つの答えを懇願していた。ああ、だから、だから俺は、あのとき、
「動いているよ」
そう言ってしまったのだ。言えるはずがない。あんなに必死な彼女に、『もう、動いていないよ』だなんて。だから俺は、心音が聞こえなかったのは、俺もこの状況に気が動転していて、心音のような小さな音は聞こえないだけなんだと、そう思うことにした。ああ、本当に、許されない。
彼の心臓は動いている。彼女にそう伝えてしまった後、彼女は、スピーカーのスマホ越しに、救急隊員に向かって、壊れた機械のように喚いた。
「早く来て!お願い!彼は助かるの!」
「落ち着いてください、今急いで向かっております。」
「まだなの!?彼はまだ生きてるの!早く!早く!お願いよ!」
「落ち着いてください!」
「早く!彼は助かるの!今なら助かるのよ!早く来なさいよ!」
そんなやり取りがしばらく続いた後、叫びすぎて声が出なくなった彼女の隙をついて、救急隊員が、
「到着次第輸血するので、彼の血液型は?」
と聞いた。
「彼は……」
そういうなり、彼女は、ハッと眼を大きく見開く。そして、何を思ったのか周りを見渡したかと思うと、すぐ近くの机の焼き鳥の缶の蓋を手に取る。そして何のためらいもなしに勢いよく彼女自身の手首を切ろうとした。俺は咄嗟に蓋を持った手を止める。すると彼女は、俺の首を嚙みちぎらんばかりの、本当に恐ろしい表情で、
「やめろ!殺すぞ!彼を助けるんだよ!」
と、金切声でそう言い放ち、俺の手を振りほどいて、俺の顎を切ったのだ。そのあまりの剣幕に圧倒された俺は、自分の手首を切って血を流す彼女を、ただただ見ていることしかできなかった。ただ、自分の顎から流れてくる血を、手で止めることしかできなかった。
そうして、救急隊員が到着した。すぐ包帯か何かで彼を止血した隊員は、彼女の手が彼から離れて初めて、彼女の手や手首についている血が、彼の血だけではないことに気づいた。それを止血しようとする隊員。彼女は、もう隊員のことなど見えていないように、その隊員を押しのけ、そして彼の状態を確認している他の隊員も突き飛ばし、そうしてやっと彼女自身で彼の心音を確認した。
「ああ、動いてる」
さっきまでの鬼のような表情とは一変、本当に安らかな、眠る寸前の赤子のような表情で、彼女はそういうなり気絶した。安堵によるものなのか、失血によるものなのか。だが、おかしい。俺が確認したときにはもう、彼の心臓は止まっていたはずだが。まさか本当に、それは俺の思い違いだったのだろうか。そう思い、俺の心に一筋ばかりの光が差し込んだ。しかしそこで、隊員が彼の心臓を確認する。俺は見てしまった。隊員の顔が、曇るのを、見てしまったのだ。ああ、やっぱり彼の心臓は…。
「彼の心臓は、動いてるんですか?」
俺のその問いに対し、隊員は、彼女が気絶しているのを確認した後、
「動いていません」
静かにそういったのだった。
第四幕 丑三つ時の怪異、『地獄の閻魔』
やはり今日も、彼女は午前二時ごろにコンビニに来た。二年前のあの夜、俺の家に血だらけの手で窓を叩いてきた時間帯だ。新人のアルバイトの前では、平静を装えただろうか。俺と彼女に関係があることを気づかれていないだろうか。俺のせいで、彼女は一生ヘッドホンをして、一生外の音を遮断することになってしまったことに。
俺はあの通り魔事件の後、ある程度事情を聴くことができた。それは、俺も一応あの事件の関係者であったためである。それに、俺が彼女に切られた顎を治療してもらった病院が、彼女が自分で切った手首を治療してもらったところと同じだったからである。自分が関係ある話というのは、自然と耳に入ってしまうのだ。
彼女は彼とコンビニにアイスを買いに行く途中、通り魔に襲われ、そのあと俺の部屋へやってきたようだ。彼女は彼が死んでしまったことを認められないらしい。病院に滞在中、医者や警察に、『彼はもう死んでいる』と彼女は何度も言われたようだ。そうして、彼女はヘッドホンを付け始めたのだ。彼の生を否定する言葉が聞こえないように。
ああ、もしも俺があの時、噓をついて
「動いているよ」
なんて言わなかったら。彼女は、彼の死を信じられたかもしれない。俺が彼女に希望を持たせてしまった。俺のせいで、彼女は彼の生にしがみつくことになってしまった。俺はどんな罰を受ければいいのだろう。俺は精神を病み、会社を辞めた。だけれど、そんなの罰にもならない。生きていくのに金がかかるので、ここでアルバイトを始めた。罰に報いるのなら、金が尽きて野垂れ死ねばよかったのに。結局それも怖くて出来なかった。俺は臆病者なのだ。俺はいつも、バイト終わりにここでアイスを買う。彼があの夜買えなかったアイスを。それを家で彼を思ってお供えすることが、せめてもの、臆病な俺の自己満足の罪滅ぼしなのだ。
バイトを始めて初めて彼女を目にしたときは、きっと罰を受けるときが来たのだと、本当にそう思った。彼女が俺に罰を与える、地獄の閻魔なのだと。しかし、彼女は俺に気づく様子はなかった。彼を助けるのに必死で、俺の顔など覚えていなかったのだ。彼女は毎日、この時間にアイスを二つ買う。ヘッドホンを付けて。彼が生きていたあの夜までで、彼女の時間は止まったのだ。いや、止まったのではない。俺が、俺が止めてしまったのだ。そう思うと、罪の意識というものが、俺の体を指先まで支配した。しかし俺はこのバイトをやめない。彼女の顔を見るたびに、あの夜のことを思い出す。罪悪感が俺の首を絞め、肺を埋め尽くす。それは、俺の罪に対する、当然の罰なのだ。
第五幕 丑三つ時の怪異、足音は心音
新人アルバイトの人が、困っていた。私がヘッドホンをしていて、レジでのその人の声が聞こえなかったから。困らせてしまってごめんなさい。だけれど、私の彼の心臓の音はとても小さくて、こうやって外の音を遮断しないと聞こえないの。特に、
「彼はもう死んでいる」
なんて失礼なことを言う人の声は、絶対に遮断しないと。彼は生きているもの。
ほら、今だってちゃんと、
「とくん、とくん」
って、彼の心臓の音が、私には、確かに聞こえているから。あの日、お医者さんは
「残念です」
だなんて言ったけど、そんなの嘘だ。警察が、
「こちらで調べた結果とお聞きした状況を鑑みると、彼は部屋に運ばれる前に死亡していたと考えられます」
なんて言ったけど、嘘に決まっている。そんなわけないじゃない。あの部屋に連れて行った時点でも、家主は彼の心臓が『動いているよ』って言ってたじゃない。救急車が来たときも、彼の心臓は動いていたのよ。私、ちゃんと聞いたんだから。
「とくん、とくん」
って。
今日も一緒にアイスを食べましょうね。そして、また私を抱きしめて。そうやって、ずっと、ずっとね。
読んでくださりありがとうございました。どんな内容でも、感想など頂けるととてもうれしいです。